本書は、放送大学の印刷教材『地中海世界の歴史　古代から近世』(二〇〇九年) に手を加え、放送大学叢書の一冊として刊行したものである。古代の地中海を専門とする本村凌二が1～7章、中世の地中海を専門とする筆者が9～15章を担当し、8章は共同で執筆した。F・ブローデルは、その名著『地中海』(原著1949年；日本語訳1991-95年) において、地理的環境と生態系に基づく環地中海地域の一体性を主張し、これを地中海世界と呼んだ。そして、この地中海世界の動きを総体的に捉え、その短期的な変化と長期的な変化の諸側面を描写しようとした。地理的環境から言えば、確かに、環地中海地域は一つの完結した世界を示しているように見える。しかし、人間の活動に焦点を当てるなら、環地中海地域が政治的・文化的に一つの閉じた世界を作っていたのはローマ帝国時代に限られるだろう。ローマ帝国を除けば、この地域を統一的な支配組織の下においた国家は存在しないし、そのような民族もいないのである。
 
環地中海地域の歴史の際立った特徴は、ブローデルの主張に反して、むしろ、多様な文化的背景をもつ人間や人間集団が地中海を介して接触し、交流と対立を繰り返しながら刻んできた異文化の併存状態と多文化の重層性ではないだろうか。同地域の中では、様々な文化が異なる場所で生起しており併存していた。そして、それぞれの文化は相互に影響を与えていた。一方で、それぞれの場所に目を向けて時系列でみると、過去の文化の上に新たな文化が重なり、多様な文化が混在する重層的な文化が生まれた。
 
唯一環地中海地域全域を支配し一体的な文化を生み出した古代ローマ帝国の覇権が失われると、西側の帝国にとってかわったゲルマン諸王国、残存する東側の帝国 (ビザンツ帝国)、そして、拡大するイスラム勢力の併存状態が、環地中海地域の複合的な性格を強めることになる。このような環地中海地域の歴史は、多様な文化の併存や重なり、相互影響関係とともに、魅力的な人間像を万華鏡のように次から次へと輝かせてみせてくれる。魅力的で豊かな歴史研究の題材を提供してくれるのである。
 
本書の第一の目標は、環地中海地域のこの多面的な歴史を古代から近世まで概観しながら、風土や文明が歴史の中に刻んだ足跡をたどり、環地中海地域の歴史の魅力を伝えることである。そして、第二の目標は、多様な文化的背景をもつ人びとが接触・交流・衝突してきた環地中海地域の歴史を振り返ることにより、グローバル化する現代世界の異文化共存や衝突の問題を考察するための材料を提供し、私たちが生きる世界の現在と未来を把握するための視座を提供することである。

 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 高山 博 / 2021)

本の目次

関連情報

著者プロフィール:
本村凌二 (東京大学名誉教授)
西洋古代史。『薄闇のローマ世界』でサントリー学芸賞、『馬の世界史』でJRA賞馬事文化賞、一連の業績にて地中海学会賞を受賞。著作に『多神教と一神教』『愛欲のローマ史』『はじめて読む人のローマ史1200年』『ローマ帝国 人物列伝』『競馬の世界史』『教養としての「世界史」の読み方』『英語で読む高校世界史』『裕次郎』『教養としての「ローマ史」の読み方』などがある。
 
高山博 (東京大学大学院人文社会系研究科教授)
西洋中世史。著書に『中世地中海世界とシチリア王国』『The Administration of the Norman Kingdom of Sicily』『神秘の中世王国』『ハード・アカデミズムの時代』『中世シチリア王国』『歴史学 未来へのまなざし』『「知」とグローバル化』『ヨーロッパとイスラーム世界』『中世シチリア王国の研究』『Sicily and the Mediterranean in the Middle Ages』などがある。紫綬褒章、サントリー学芸賞、地中海学会賞、マルコ・ポーロ賞、R. Lopez Memorial Prize受賞。

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