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岩村透の本と写真

書籍名

上・下巻 近代日本の美術思想 美術批評家・岩村透とその時代

著者名

今橋 映子

判型など

(上巻) 716ページ、A5判、(下巻) 788ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2021年4月26日

ISBN コード

(上巻) 9784560098189
(下巻) 9784560098196

出版社

白水社

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書店で素敵な装幀の本を手に取ったり、ふと休日に美術館に展覧会を見に行ってカフェでのんびりしたり、旅先でその地方の代表的な工芸品を買ってみたり、あるいは江戸時代の遺構がそのまま活かされた庭園を散策したり――と、私たちの日常にいまや自然に溶け込んでいるこのような楽しみや習慣が、たかだか百年に満たない先人たちの努力によって醸成されたものであると知ったら、どのように感じるだろうか。
 
本書『近代日本の美術思想――美術批評家・岩村透とその時代』は、日本における西洋画教育が本格的に始まった時期、しかしまだ洋画家の地位も定まらず、まだ「前衛的」と呼ばれる芸術運動が先鋭化しない1900年から1917年頃までの時期、〈美術〉という概念を思い切り押し広げて若い制作家たちを励ます一方、美術家たちが経済的に自立でき、法的に自由を保障されるべく共闘した人々を、知られざる歴史の中から掘り起こす書物である。本書の題目にある「美術思想」は、日本語として聞き慣れない言葉だが、「仏教思想」「経済思想」などの言葉と同様に、〈美術〉という現象をいかに捉えるか、〈美術〉を支える社会がいかにあるべきか、などについて、単なる思いつきや主張ではなく、系統立って思考する営みを指している。
 
本書では、この時代の「美術思想」を本格的に理解するために、岩村透(1870-1917)という一人の美術批評家を中心に据える。岩村透は、東京美術学校初代の西洋美術史教授であり、黒田清輝・久米桂一郎と共に「美校の三羽烏」と呼ばれた存在だった。黒田清輝が近代美術界の「巨匠」と呼ばれ、教科書でもよく知られるのに対し、岩村については、いまやほとんど知られていないであろう。しかし岩村透は、バイリンガルに近い英語力と、美術のみならず人文全般の広範な智識と研究力、そして何よりも歯に衣着せぬ批評力によって、際だった才能を示す美術史家であり批評家であった。
 
岩村の美術思想は何よりも、「国家百年の計」ならぬ「美術百年の志」を持ったことにその根源を持つ、と筆者は考える。1900年前後の東京には、(過去の遺物を展示する博物館ではなく)制作家たちが毎年の新作を展示し海外の最新潮流を知る「美術館」は一つもなく、インディペンデントな活動ができる「画廊」も一つもなく、美術家たちが寄り集まって語り合うカフェさえ一軒もなかった。海外の美術情報を簡単に手に入れる雑誌媒体はなく、ましてや西洋画や西洋彫刻を見る機会もなく、そして裸体画や裸体彫刻はすぐに官憲の目に止まって規制を受けた。そもそも「画家」や「彫刻家」「建築家」の地位さえ社会の中で、ろくに定まっていなかった時代である。「無い無い尽くし」のアジアの新興都市にあって、岩村たちは「美術百年の計」を立てる。その心には自由民権運動の志士のごとき「志」があっただろう。
 
本書は上・下巻で計1100頁を超える規模をもち、筆者が30年の研究人生を費やして完成させた書物である。長いだけに一度には読めないかもしれないが、岩村透とその仲間たちの真摯な苦闘、百年後の日本に向けて放たれたメッセージ、先見の明、そして希望や挫折など、多くの人間たちのドラマが交錯する読み物でもある。
 
果たして文学や芸術は本当に「不要不急」なのか——本書を読む中で、若い皆さんの目でそれを今こそ、問い直して欲しい。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 今橋 映子 / 2021)

本の目次

[上巻目次]

はじめに——美術百年の志

第I部 岩村透を読み直すために
 第1章 その生涯 (1870-1917)
 第2章 岩村透研究の推移と問題点
 第3章 美術批評史研究の推移と岩村透の位相——批評期区分の試み

コラム1 岩村透の蔵書——明治大正期知識人の世界像

第II部 世紀転換期の美術批評と岩村透の仕事
 第4章 美術批評はいかにして可能か
 第5章 技芸家のための西洋美術史
 第6章 ボヘミアニズムの仕掛け人——「巴里の美術学生」の波及力

第III部 明治大正期の初期社会主義と美術批評
 第7章 坂井犀水と初期社会主義
 第8章 岩村透と初期社会主義
 第9章 先取られた追悼——森鷗外「かのやうに」における岩村透像

第IV部 前衛史観に抗して
 第10章 『美術新報』改革とその戦略 (1909−1913)
 第11章 文展時代の <小芸術> —— <民藝> 直前の装飾美術運動
 
[下巻目次]

第V部 美術行政とアーツマネジメントの先駆者
 第12章 「美術問題」の輿論形成に向けて—— <時言> <週報言> の戦略
 第13章  海外美術情報の領分——生きて動く世界美術史
 第14章 『日本美術年鑑』の百年——国内美術情報収集の意味とその継承者
 第15章 美術行政とアーツマネジメントへのめざめ——国民美術協会という遺産
 第16章 美術と建築、技芸家と社会
 第17章 歴史が照らすもの——美術行政とアーツマネジメントの先駆者

第VI部 途絶された旅路——岩村教授復職却下事件の真相
 第18章 ボヘミアニズムの光と闇——岩村教授復職却下事件の真相と高等遊民問題
 第19章 幻の著作——二言語使用者の夢
 終 章 大樹の倒れたあとに——岩村透没後十年忌 (1926年) 本瑞寺所蔵追善作品群の意味

コラム2  百年後の光輪——岩村透百回忌 (2016年) 法要および記念展覧会

おわりに——一念の誠天地を動かすべし
 

関連情報

セミナー:
第58回HMCオープンセミナー:忘れられた美術思想家・岩村透への光――比較文学比較文化研究の視座から語る (東京大学ヒューマニティーズセンター 2022年3月18日)
https://hmc.u-tokyo.ac.jp/ja/open-seminar/2022/58-toru-iwamura/

関連記事:
大学を楽しもう:体験レポート「美術と社会をつなぐ! 忘れられた美術思想家・岩村透への光~東大のオンラインセミナーをレポート」 (ほとんど0円大学ホームページ 2022年5月10日)
http://hotozero.com/enjoyment/learning-report/hmc-u-tokyo_toru_iwamura/

書評:
吉野良佑 評「「美術百年の志」からこれからの建築と社会を思考する」 (『建築討論』 2022年4月1日)
https://medium.com/kenchikutouron/%E4%BB%8A%E6%A9%8B%E6%98%A0%E5%AD%90-%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%BE%8E%E8%A1%93%E6%80%9D%E6%83%B3-%E7%BE%8E%E8%A1%93%E6%89%B9%E8%A9%95%E5%AE%B6-%E5%B2%A9%E6%9D%91%E9%80%8F%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3-7cd6178494f1

稲賀繁美 評「ボヘミアン自由主義復権への巨大な紙碑にして歴史的里程標――本書の基本姿勢には、この国における文化行政への根底的批判も見透かされる」(『図書新聞』第3505号 2021年7月24日)
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/shinbun_list.php?shinbunno=3516

天野知香「読書アンケート」 (『図書新聞』第3505号 2021年7月24日)
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/shinbun_list.php?shinbunno=3505
 
高橋咲子 記者「美術批評家・岩村透に光 / 社会と芸術結ぶ運動———今橋映子教授、
30年の研究を著書に」 (『毎日新聞』夕刊 2021年6月24日)
https://mainichi.jp/articles/20210624/dde/014/040/002000c

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