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森鴎外のイラスト

書籍名

岩波ジュニア新書 森鷗外、自分を探す

著者名

出口 智之

判型など

232ページ、新書判

言語

日本語

発行年月日

2022年12月20日

ISBN コード

9784005009619

出版社

岩波書店

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森鷗外、自分を探す

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有名だけど、何かと敬遠されがちな森鷗外。
 
「山椒大夫」や「高瀬舟」といった彼の作品は、今も比較的よく読まれているほうだと思うのですけれど、こと森鷗外自身のこととなると、どうもよく思わない人が多いようです。
 
その敬遠の原因は、陸軍軍医総監という公職の肩書があまりにエラそうだとか、陸軍での脚気対策の失敗とか、挙げてゆけばいろいろありますが、でもそこまで知って嫌うならむしろ大したもの。あまりに体制的だとして、反鷗外の旗印を掲げる反体制派の文学者は昔からいましたし、脚気問題にしても、陸軍軍医全体のトップの職にあった以上、事情や理由はどうあれ、現に起きた失敗について何らかの責任を負うのは役職者として当然です。
 
でも、どうも鷗外その人への批判は、そういう社会的立場や事蹟に関わることよりも、むしろ若き日の恋愛事件に集中している傾きがあります。そう、代表作「舞姫」と結びつけて語られる、あの事件です。ためしに「森鷗外 恋人」で検索してみれば、二人の事情をまことしやかに語ったホームページがわんさか見つかるでしょう。いわく、留学中に知りあったドイツ人の恋人が本気になり、帰国した鷗外を追って日本までやってきてしまったので、義兄や弟に説得させて追い返した、などなど。この事件をモデルにした小説「舞姫」のストーリーと重ねて、恋人は当時妊娠していたとか、鷗外と別れて発狂したとか言われることさえあります。
 
この状況、六草いちかさんが従来「エリス」と呼ばれていた彼女の実像を調べあげ、『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』(講談社、2011) と『それからのエリス』(同、2013) を書かれたことで大きく変りました。鷗外はおそらくエリーゼ (「エリス」の本名です) と本気で結婚するつもりで、彼女を一等船室で日本に招いたものの、家族や親戚、陸軍関係者からの猛反対に抗いきれず、結婚を諦めねばならなかった。しかし、エリーゼがドイツに戻ったあとも2人の文通は長く続き、それぞれが結婚したあとも消息を知らせようとしていた可能性さえあるというのです。
 
にもかかわらず、それでもなお鷗外がひどい男だという風説が絶えないのは、新発見の事実がちゃんと世に伝わっていないのではなく (六草さんのご著書を紹介したホームページもたくさんあります)、むしろ「舞姫」の影響力があまりに大きすぎるからでしょう。たしかに、「舞姫」の主人公は明らかに鷗外その人を思わせますし、妊娠した恋人と別れ、ショックで発狂した彼女を置去りにしてエリートコースに戻るべく帰国するという結末のインパクトは強烈です。ちょっと考えれば、恋人と別れねばならなかった直後、自分自身をいかにもだめな男として誇張して描くという自虐的な行動の背後には、かなり複雑な心情が見え隠れしていると思うんですけどね。
 
その心情をちゃんと理解するためには、鷗外を現代の留学生の感覚で捉えてはなりません。
 
幕末に生れ、多感な少年時代に、あらゆる秩序がひっくり返る明治維新を経験した鷗外。自身の好みや志望と、代々の職業との間で葛藤した鷗外。自由恋愛どころか、相手と一度も会わずに結婚を決められるのが当然だった日本に、国際結婚を持込む決意をした鷗外。自分をモデルに小説を書くという発想がまったくない時代に、あえて自身の恋愛事件を「舞姫」に描いた鷗外。そして、公的な立場が重みを増してからもなお、書くべきは書き、自分にしかできない仕事をはたそうとした鷗外。
 
彼の生きた時代や状況に立って、その足跡をあらためて見つめなおしてゆくと、自分探しと進路の模索に悩む鷗外のすがたが、意外に身近に感じられてきたりするのです。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 出口 智之 / 2023)

本の目次

第一章 鷗外少年の勉強――自分は何を学びたいのだろう?
 勉強しなさい!……でも何を?
 鷗外少年の書いた漢字
 鷗外という名前
 鷗外の手習い
 江戸が終わった!
 森家の上京
 勉強が役に立たない!?
 十一歳で東大医学部合格……!?   
 医学生、鷗外
 漢詩文への思い
 陸軍入り
 
第二章 鷗外の恋と「舞姫」の事情――自分の思いは貫けるか?
 高校現代文の四天王
 「舞姫」なんて最悪だ!
 鷗外の恋人
 「エリス」の実像
 結婚をめぐって
 エリーゼとの別離、登志子との離婚
 現実の体験から「舞姫」へ
 自己を見つめる豊太郎
 家族に読み聞かせられた「舞姫」
 エリーゼへの思い
 
コラム [1] 自分を書く小説――「文づかひ」から「舞姫」を考える
 
第三章 古文と現代文のあいだ――自分の言葉で書くのは難しい!
 古文と現代文の接続点
 言葉は変化する
 江戸後期の文体のいろいろ
 明治の言語改革
 文語なんて必要か?
 言文一致で小説は書けるか
 書き言葉と描写の問題
 話し言葉を話すのは誰?
 言文一致小説の難しさ
 「舞姫」の文体ふたたび
 新しい文体を探して
 一人称小説という新しさ
 一人称は書きやすい
 「舞姫」の奥ゆき
 
コラム [2] 一人称小説の難しさ──夏目漱石「吾輩は猫である」と鷗外の「雁」
 
第四章 文学者にはなったけど――ジャンルとスタイルの自分探し
 森鷗外は小説家か?
 文学者鷗外の自己認識
 多種多様だった「文学」
 鷗外の立ち位置
 翻訳家、鷗外
 「ミニヨンの歌」
 「オフエリヤの歌」
 評論家、鷗外
 「没理想論争」
 西洋思潮の紹介者
 匿名合評「三人冗語」
 樋口一葉「たけくらべ」の絶讃
 明治文学者としての自分探し
 
第五章 引き裂かれる鷗外――分裂してしまう自分
 明治二十年代の森鷗外
 鷗外や露伴たちの飲み会
 小倉への「左遷」
 あらためて勉強をはじめる
 二度目の結婚
 妻に厳しい遺言
 母と妻との狭間で
 家庭内の問題を描いた「半日」
 陸軍での栄達と文壇への復帰
 派閥を超越した存在として
 二重の自分
 引き裂かれる鷗外
 大逆事件と「沈黙の塔」
 暴行する日本兵と「鼠坂」
 狭間に立つことの苦闘
 
第六章 自己更新を続ける文学者――自分探しのゆくえ
 江戸と明治
 明治天皇の崩御と乃木大将の殉死
 「興津弥五右衛門の遺書」
 鷗外の突きあたった問題
 「歴史そのままと歴史離れ」
 ふたたび文学的想像力の問題
 「渋江抽斎」
 自己更新を続ける文学者
 軍医を辞して
 最後の公務
 家庭状況と「蛇」
 しげの立場の難しさ
 理想的な父を向こうに
 鷗外の遺言
 最後の自分探し
 
おわりに
 
森鷗外年譜
主要参考文献

関連情報

書評:
「大波小波」 (中日 / 東京新聞 2023年4月18日夕刊)
 
「今週の本棚」 (毎日新聞 2023年3月4日朝刊)
https://mainichi.jp/articles/20230304/ddm/015/070/005000c
 
書籍紹介:
「翻訳家としても一流 森鴎外の生涯」 (新刊JP 2023年3月14日)
https://www.sinkan.jp/news/11321?page=1
 
関連記事:
「森鷗外 未完の草稿見つかる イタリアの詩人に触れる 東大で特別展開会中」 (東京新聞web 2022年11月3日)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/211720
 
関連講演会:
附属図書館特別展示 記念講演会 「テエベスの甍―鷗外文庫の深奥から」 (東京大学附属図書館所蔵資料展示委員会 2022年10月28日)
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/events/z1901_00054.html

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