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白い表紙に魚のイラスト

書籍名

病んだ言葉 癒やす言葉 生きる言葉

著者名

阿部 公彦

判型など

367ページ

言語

日本語

発行年月日

2021年11月12日

ISBN コード

978-4-7917-7428-9

出版社

青土社

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病んだ言葉 癒やす言葉 生きる言葉

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本書に収めた文章はいずれも言葉を扱っている。言葉と出会うこと、勉強すること、読んだり書いたりすること、教えること。言葉とのかかわりはさまざまだ。
 
では、そこでなぜ、「病」がからむのか。本書のタイトルからは<病→癒やし→再生>というストーリーが想像されるかもしれない。うまく機能しない言葉が、癒やされ回復し、生き生きとする。一種の再生譚がそこには読み取れるだろう。
 
もちろん、そうした含みはある。しかし、私が本当に示したいのは、病から生という並びに必ずしも一方向の矢印がないということである。「病」や「癒やし」や「生」はゆるやかに等号で結ばれてもいい。病むことも、癒やすことも、そして生きることも、いずれも言葉の貴重なあり方だ。どれを切り離しても全体性が損なわれる。これらをすべて視野におさめることでこそ、言葉の働き方が理解できる。
 
昔から人は暴力・武力に頼って他者に言うことを聞かせようとしてきた。その後、人類は少しだけ賢くなり、力に訴えるかわりに、言葉を上手に伝えるための方法や、そのための装置を開発した。そんな中でとりわけ重要だったのは、「相手の言葉を勉強する」という方法を発見したことだった。「相手の言葉」とは外国語であったり、新しい探求の方法であったり、敵対する人物の論法だったりする。あるいは、非常に独特な感性や感情だったりする。そこには見知らぬ文法が埋め込まれている。
 
「相手の言葉」を完全に理解するのは無理だ。一生かかってもそんな「技能」は身につかない。しかし、少しだけ賢くなった人類は「相手の言葉を勉強する」過程で学んだのである、言葉が伝わらないのはあたりまえだ、ということを。
 
言葉はつねにずれる。誤解される。伝わらないのがふつう。相手の言葉は、永遠に相手の言葉なのであり、自分の言葉と完全に重なることはない。
 
これは物と言葉の関係でも同じだ。科学の発達で、私たちは世界のすべてを言葉化し、説明してしまえるような気分になった。しかし、新型コロナウィルスの到来でもはっきりしたように、それは幻想だ。物とすっかり一対一で対応して、すべてをきれいに説明できる言葉などない。物どころか、人間の心だって不可解なことだらけである。言葉にできることはたかがしれている。
 
言葉を使うとは、まさにそういう場で格闘するということなのである。自分の言葉がそのまま相手に届くという期待は捨てた方がいい。言葉ですべてを解き明かすのも無理だ。意思疎通にまったく無駄のない究極のウルトラ・コミュニケーション法などもない。誤解されたり、ずれたり、とらえそこねたりする言葉を、何とかして届ける。あるいは聞き取る。ぜんぶではなくても、8割、いや半分でもいい。
 
私たちはつい言葉に「強さ」を求めがちだ。「ぜんぶ伝えたい」という気持ちは、このように言葉を強力な武器のように使おうとする気分とつながっている。強く、効果的に、説得力をもって語り、相手にうんと言わせたい。語ることによって相手を支配したい。そういう言葉の使い手が偉いと思っている。それを、すごい、と賞賛する。
 
しかし、言葉は本来的に弱いものでもある。だから伝わらない。そこをやっと何とか乗り越える、というふうに考えるべきだろう。言葉が故障したり、病んだりするのはあたりまえなのである。
 
とはいえ、賢い人類は知っている。言葉には、弱さゆえの力がある。その細身と、やわらかさを生かして、薄暗い心の隙間や、物と物の隙間に入りこみ、とんでもない宝物を発見することができる。かと思うと、「まさかそんなふうに言うとは!」と奇跡的な形で世界をつかまえたりする。
 
本書におさめた31個 (要確認) の文章はいずれも言葉のそうした側面について語ったものばかりである。弱く、不安定で、しばしば失敗し、ずれることの多い言葉の背後には、同じく弱く、不安定な人間の本姓がある。興味深いのは、弱さを抱えた人ほど、しぶとく周到で魅力的な表現者になるということである。近代英文学の世界では、心や身体の失調が作品内で語られることが非常に多かった。18世紀の英文学ではメランコリーが流行病になったと言われるほどだ。日本文学でも多くの文章に何らかの ”失調“ が反映されてきた。表現者には病の香りが付きまとうのである。
 
言葉は毒にも薬にもなる。病を抱えた言葉はそれゆえに癒やしをもたらすこともあるだろうが、さらに病を広げてしまうこともある。取り扱い注意なのは間違いない。しかし、私たちが言葉を使って生きていかなければならない以上、言葉にさらされ、その危険や魅力と出会いながらやっていくことは回避不能の必然なのである。言葉や病がまるでないもののように、素知らぬふりを決め込むことなどできない。ちょうど人間などいないかのように振る舞うことができないのと同じように。これは自分が数字だけの世界に住んでいると信じる人にも適用されることだ。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 阿部 公彦 / 2022)

本の目次

はじめに
 
第1部 言葉を甘く見てはいけない
言葉は技能なのか
小説と「礼儀作法」
しようと思ったことができない病
発語の境界線
「論理的な文章」って何だろう?
入試政策と「言葉の貧しさ」
 
第2部 英語入試大混乱の後先
英語ができない楽しみ
英語はしゃべれなくていい?——英語教育の”常識“を考え直す
「英語教育」という幻想
「ぺらぺら信仰」の未来
「すばらしい英語学習」の落とし穴
 
第3部 「病」と「死」を生かす言葉
森鷗外と事務能力——『渋江抽斎』の物と言葉
漱石の食事法——胃病の倫理を生きるということ
「如是我聞」の妙な二人称をめぐって——太宰治の「心づくし」
西脇順三郎の英文学度——抒情詩と「がっかりの構造」をめぐって
 
第4部 言葉を伝えるために汗をかく
ワーズワスを教えたい
由良先生とコールリッジ顔のこと
記憶の捏造をめぐって
突然の人
少しばかり遅れた出会い——私のマーク・トウェイン体験
小説はものになれるか?——ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』を読む
 
第5部 書くことへの「こだわり」は病なのか、救いなのか
百合子さんのお腹の具合
境目に居つづけること——批評と連詩と大岡信
蓮實重彥を十分に欲するということ——『「ボヴァリー夫人」論』の話者らしさをめぐって
作家と胃弱——佐藤正午のある視点
大丈夫だ、オレ——佐伯一麦の呼吸
小川洋子の不安
元純文学作家の職業意識——島本理生の「こだわり」
 
第6部 どうしてもうまく語れない作家たち
大江健三郎と英詩——日本語の未開領域をめぐって
ボブ・ディランの拒絶力
ナマ・イシグロの「ナマさ」は? ——英語原文をちら見する
カズオ・イシグロの長電話——『わたしを離さないで』と”ケア“の語り
 
あとがき
 

関連情報

著者インタビュー:
篠原諄也「病んだ言葉 癒やす言葉 生きる言葉」阿部公彦さんインタビュー 言葉の「弱さ」、今こそ大事なとき (好書好日 2021年12月27日)
https://book.asahi.com/article/14506954
 
書評:
週間読書日記:佐川光晴 評 (日刊ゲンダイDIGITAL 2022年5月24日)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/305577
 
なぜ英語を勉強するの?言葉とのつきあい方を振り返る【ブックレビュー】 (ENGLISH ONLINE PEOPLE 2022年4月7日)
https://ej.alc.co.jp/entry/20220407-language-abe
 
須永紀子 評「誌のことばを生きる 詩書月評」 (『現代詩手帖』3月号 2022年2月28日)
http://www.shichosha.co.jp/gendaishitecho/item_2825.html
 
大井浩一 評「論の周辺:国語教育改革と「言葉の機微」」 (『毎日新聞』 2022年2月17日)
https://mainichi.jp/articles/20220217/dde/014/040/012000c
 
アエラ読書部: 苅部直 評「苅部直の読まずにはいられない いつのまにか言葉を超えた領域へ」 (『AERA』 2022年2月14日号)
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=23381
 
短評 (『産経新聞』 2022年2月6日朝刊)
https://www.sankei.com/article/20220206-TYW55VSADBPYTMBQMJVRCXWVRQ/
 
短評 (『東京新聞』朝刊 2022年1月22日)
 
江南亜美子 評「病んだ言葉 癒やす言葉 生きる言葉」書評 「存在の匂い」が滲む弱い日本語 (『朝日新聞』朝刊 2022年1月15日)
https://book.asahi.com/article/14522024
 
大竹昭子 評「伝わらないのはあたりまえ!? 身体を通して言葉の奥行きを探る」 (『週刊新潮』 2021年12月23日)
https://www.bookbang.jp/review/article/719910
 
 

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