本書は2019年度の東京大学ホームカミングデイ文学部企画のシンポジウム「ことばの危機―入試改革・教育行政を問うー」の内容をもとに、これを新書に編集し直したものです。
現在、文部科学省を中心に大学入試改革や新学習指導要領の改訂がすすめられ、「国語」という科目の内容が「実用」に大きく舵を切ろうとしています。一連の改革論議の中で「実用」「情報」「論理」といった言葉がともすれば一人歩きし、「社会の役に立つ」という概念がきわめて表面的に受けとめられているのではないか、という危惧が感じられるわけです。シンポジウムでは、文学部の教員4名が、そもそも人間が言葉で他者とコミュニケーションをとるとはどのような意味を持つことなのか、一見わけのわからないもの、理解しがたいものを排斥しようとする発想が社会に蔓延しつつあるのではないか、こうした時代だからこそ文学的知性や想像力がわれわれに求められているのではないか、といった問題を熱く語り合いました。
たとえば第一章で英文学研究室の阿部公彦教授は、近年議論になっている「読解力」が、実は「注意力」と同じレベルで捉えられている点を問題視し、言葉の持つ多義性や意味深さへの敬意がないがしろになっているのではないか、と問題提起しています。また、第二章では現代文芸論研究室の沼野充義教授が、現代社会においてコミュニケーション能力が劣化している事実に警鐘を鳴らし、あわせて情報伝達能力だけを取り上げて言語能力を評価することの危険を、ご自身の文章がセンター試験に出題された体験をもとに解き明かしています。第三章では哲学研究室の納富信留教授が、ことばを実用的なツールと見なす発想を批判しています。ことばは「わたし」と他者との関係を成り立たせる根源的な基盤なのであり、ことばをツールと見なすことは、他者との対話を放棄し、自分自身をもツールと化してしまうことなのだというのです。第四章は中国文学研究室の大西克也教授が、言語が本来持つポライトネス (対人配慮) が軽視されている風潮に警鐘を鳴らし、あわせてセンター試験に代わる「新テスト」の漢文の問題 (プレテスト) を例に、古典の作品を「情報処理」の対象として扱おうとする発想の危険を指摘しています。
上記のシンポジウムは大変好評で、これをぜひ書籍化したい、という要望に応え、メンバーがさらに原稿を書き直して世に問うたのが本書です。その意味でもこの書は文学部、だからこそ世に問うことのできる警告であり、問題提起でもあります。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 安藤 宏 / 2020)
本の目次
(安藤 宏 / 国文学研究室)
第一章 「読解力」とは何か――「読めていない」の真相をさぐる
(阿部公彦 / 英語英米文学研究室)
第二章 言葉の豊かさと複雑さに向き合う――奇跡と不可能性の間で
(沼野充義 / 現代文芸論研究室・スラヴ語スラヴ文学研究室)
第三章 ことばのあり方――哲学からの考察
(納富信留 / 哲学研究室)
第四章 古代の言葉に向き合うこと――プレテストの漢文を題材に
(大西克也 / 中国語文化研究室・文化資源学研究室)
第五章 全体討議
おわりに
(安藤 宏)
関連情報
「ことばの危機」など注目の新書5選 (朝日新聞 2020年7月4日)
https://book.asahi.com/article/13519692
大好評を博した文学部のシンポジウム『ことばの危機』が書籍化 (東京大学ホームページ 2020年6月29日)
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/articles/z0105_00011.html