ちくま新書 現代ロシアの軍事戦略
今から7年前の2014年、ロシアが突如としてウクライナに軍事介入するという出来事が起きました。「同じ旧ソ連諸国同士で何故こんなことが」、というのが前著『「帝国」ロシアの地政学』におけるメインテーマの一つでしたが、今回の『現代ロシアの軍事戦略』はこの事態に別の視点から光を投げかけてみました。つまり「どうやってこんなことを」ということです。
ロシアによるウクライナへの軍事介入は、歴史の教科書に出てくるような戦争のやり方とはかなり違っていました。宣戦布告は行われず、実際に派遣されたロシア兵たちは国籍を示す徽章を一切取り外した状態でウクライナ領へと進出してきました。さらにロシアからは民兵や民間軍事会社 (PMC)、コサックといった非国家主体が送り込まれ、現地の住民と一緒になって武装蜂起を引き起こしました。戦いの手段も軍事力とばかりは限らず、サイバー戦や情報戦などの非軍事手段が多用されました。
こういう戦い方を「ハイブリッド戦」と呼ぶ、ということは、もはや時事用語集なんかにも載っています。ただ、じゃあハイブリッド戦て何なのだ、と言われると明確に答えられる人はあまりいないでしょう。第一に、この概念は米海兵隊の中で発達してきたものであり、「ヴェトナムからイラクに至るまで、世界最強の米軍はなぜ数でも装備でも劣るゲリラにいつも負けるのか?」という問題意識を前提にしています。それゆえにハイブリッド戦というのはかなり高度な軍事的知識を持たないと実は何の話なのだかよく分かりません。
第二に、以上の理由から、ハイブリッド戦はロシアの軍事力行使形態を理解する概念としては問題があります。それは米海兵隊が自分たちの実戦経験の中から編み出してきたものであって、ロシアはロシアでまた別種の戦争観や戦闘ドクトリンを発達させてきたはずです。
本書は、以上の二点を読者になるべく分かりやすく説明することを念頭に書かれています。大雑把に言えば、米国とロシアは異なる出発点から非常によく似たゴールへと辿り着いた、と言えるでしょう。ある事態に際し、軍隊は展開するが戦うとは限らない。戦っても勝利を目的としているとは限らない。戦いの手段は暴力に限定されず、非軍事手段が大きな役割を果たす。といったあたりが主な特徴でしょうか。
しかしだからといって、古典的な国家間戦争が過去のものになるというわけではありません。本書の後半ではロシア軍大演習の分析というちょっと珍しいことをやってみましたが、ここから明らかな通り、ロシア軍は依然として大規模戦争に備え続けています。非古典的な手法や主体によって戦われる戦争は、それで完結するとは限らず、最終的にはクラゼヴィッツが描いたような国家と国家の総力戦になる可能性が排除できないということです。
こうしてみると、戦争という現象は近年になってすっかり「変質」したのではなく、その幅が「拡張」されたと考えるべきでしょう。では、こうした時代にあって、我が国の安全保障をいかにして確保し、戦争そのものの可能性を低減していけるのか。こうした思索のきっかけに本書がなってくれるのならば、著者としては幸いです。
(紹介文執筆者: 先端科学技術研究センター 講師 小泉 悠 / 2021)
本の目次
第1章 ウクライナ危機と「ハイブリッド戦争」
1 NATO拡大 ―― 東欧でのオセロ・ゲーム
2 ウクライナで起きたこと
3 「ハイブリッド戦争」をめぐって
第2章 現代ロシアの軍事思想 ―― 「ハイブリッド戦争」論を再検討する
1 非軍事的闘争論の系譜
2 「永続戦争」の下にあるロシア
3 「カラー革命」に備えて ―― ロシア国内を睨む軍事力
4それでも戦争の中心に留まる軍事力
第3章 ロシアの介入と軍事力の役割
1 ウクライナ紛争に見る軍事力行使の実際
2 中東での「限定行動戦略」
3 特殊作戦部隊と民間軍事会社
4 「状況」を作り出すための軍事力
第4章 ロシアが備える未来の戦争
1 大演習を見る視角
2 対テロ戦争、大規模戦争、「カラー革命」
3 「新しい戦争」と総力戦
4 国家に支援された非国家勢力との戦い
5 演習をめぐるポリティクス
第5章 「弱い」ロシアの大規模戦争戦略
1 劣勢下での戦い方
2 戦場化する宇宙
3 ロシアの核戦略 ―― 「エスカレーション抑止」をめぐって
おわりに ―― 2020年代を見通す
あとがき ―― オタクと研究者の間で
関連情報
戦争と平和の隙間を衝くロシア暗躍の全貌とは (webちくま 2021年5月18日)
https://www.webchikuma.jp/articles/-/2386
著者コラム:
米露首脳会談でも止まらない ロシアによるウクライナ侵攻の危機 (Yahoo!ニュース 2021年12月10日)
https://ttps://news.yahoo.co.jp/byline/koizumiyu/20211210-00272010
中央アジアにおけるロシアの軍事プレゼンスとアフガニスタン情勢のインパクト (nippon.com 2021年11月4日)
https://www.nippon.com/ja/in-depth/a07803/
著者インタビュー:
崩壊30年も...なお消えぬ「ソ連の残影」 プーチン体制が象徴するトラウマとプライド (J-CASTニュース 2021年12月25日)
https://www.j-cast.com/2021/12/25427586.html?p=all
ラジオ出演:
特集「未来への戦争に備える、現代ロシアの最新軍事戦略とは」小泉悠 (TBSラジオ「荻上チキ・Session」 2021年5月31日)
https://anchor.fm/tbsradio-ss954/episodes/ep-e11t8u0/a-a5o0kll
「憲法記念日に考える“これからどーなる?憲法と安全保障”」by 小泉悠&辻田真佐憲&高橋万里恵 (Tokyo FM「News Sapiens」 2021年5月3日)
https://www.tfm.co.jp/sapiens/index.php?catid=4036&itemid=176791
アーカイブ動画:
廣瀬陽子×小泉悠 司会=上田洋子「ハイブリッド戦争と『大国』ロシアの地政学――『現代ロシアの軍事戦略』刊行記念」(2021/6/7収録)ダイジェスト (ゲンロンYouTube Officialチャンネル 2021年6月12日)
https://www.youtube.com/watch?v=K6vKrX7-Bpc
池内恵x小泉悠「現代ロシアの軍事戦略」 #国際政治ch 96前編 (ニコニコチャンネル: 国際政治チャンネル 2021年5月15日)
https://www.nicovideo.jp/watch/so38730013
オンラインセミナー:
【オンラインセミナー】地盤沈下に抗うロシアの軍事戦略 (1) (Foresightセミナー13 2021年3月26日)
https://www.fsight.jp/articles/-/47823
【オンラインセミナー】地盤沈下に抗うロシアの軍事戦略 (2) (Foresightセミナー12 2021年3月26日)
https://www.fsight.jp/articles/-/47824
書評:
橋本 努 (北海道大学大学院教授) 評「西欧の模倣で中・東欧が混乱 自由民主主義は自己鍛錬必要」 (週刊東洋経済Plus 2021年7月31日)
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/27634
(新書・文庫)『現代ロシアの軍事戦略』小泉悠 著 (日本経済新聞 2021年6月26日)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO73252930V20C21A6MY6000/
イベント:
小泉悠×安田峰俊×マライ・メントライン×神島大輔 「ロシア! ドイツ! チャイナ! オール大国大進撃」 『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房)『中国vs.世界 呑まれる国、抗う国』(PHP研究所)W刊行記念 (B&Bブックストア 2021年6月17日)
http://bookandbeer.com/event/20210617_rdc/
廣瀬陽子×小泉悠
司会=上田洋子「ハイブリッド戦争と『大国』ロシアの地政学ーー『現代ロシアの軍事戦略』刊行記念」 (ゲンロンカフェ 2021年6月7日)
https://genron-cafe.jp/event/20210607/
講座:
現代ロシアの軍事戦略と日本の安全保障 (早稲田大学エクステンションセンター 2020年1月12日~2月16日)
http://second-academy.com/lecture/WSD47990.html