U. P. Plus 「暴力」から読み解く現代世界
本書のきっかけは、2021年6月26日 (土) にオンラインで開催された総合文化研究科・地域文化研究専攻主催の公開シンポジウム「いま「暴力」を考える」である。シンポジウムの企画の背景にあったのは、2019年4月の逃亡犯条例改正に反対する香港の大規模抗議活動でのデモ隊と警官隊との衝突、アメリカのみならず全世界でBLM運動が再燃する契機となった2020年5月のジョージ・フロイド氏の死、そしてフランスで2020年10月に起こったジハード主義者による中学校教師の殺害といった一連の事件である。しかし、報告者と企画者の事前打ち合わせでは、当初から、目に見える仕方で身体に振るわれる暴力に問題を限定するのではなく、制度や社会状況がもたらす「システム的暴力」ないし「構造的暴力」をも扱うべきだという共通の認識があった。スマートフォンで撮影された鮮明な映像がSNSを介して瞬時に世界中に拡散され、暴力の視覚的・聴覚的イメージがかつてないほど増大している現在、こうした暴力の背後に潜み、その原因となっている「暴力」にこそ目を向けなければならないのである。こうした言わば不可視の「暴力」は、各地域に特有の歴史や文化、異なる権力構造や集団間の対立に由来するものであり、人文・社会科学の多様な専門分野を基礎に領域横断的な研究をおこなっている地域文化研究専攻ならではのアプローチができるのでは、という思いもあった。
シンポジウムの成果をもとにしつつ、専攻以外の執筆者も交えて、対象となる地域やテーマを広げるかたちで編まれたのが本書である。第I部「暴力の再領域化」では、とりわけ2019年以降に深刻な「暴力」が前景化しているフランス、香港、アメリカの事例を扱ったあと、後半では、国際法や「人間の安全保障」の枠組みを踏まえながら、特にアジア地域や日本における「暴力」の問題を考察している。自国の歴史のうちにさまざまな「暴力」が刻まれている大国と、私たちの生きる日本およびアジア地域において、今日「暴力」はどのような新しい文脈のなかに位置づけられるのかという問いが、「再領域化」という言葉にはこめられている。第II部「暴力の乱反射」では、ミャンマー、ユーゴスラヴィアとウクライナ、レバノン、マリ、メキシコにおける「暴力」の問題を取り上げている。これらは西洋の国民国家の枠組みからすれば「周縁」に位置づけられる地域と言えるが、各地域で展開される複雑な「暴力」の様相は、むしろこうした近代的なシステムのひずみのなかで「暴力」が乱反射するさまを明らかにするだろう。
ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まったのは、本書の編集作業中のことだった。「暴力」の世界地図は刻一刻と更新され続けている。本書が、さまざまな「暴力」が繰り広げられる現代世界を読み解くガイドとなり、ひいては、本書が役目を終えるような世界が訪れることを願ってやまない。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 藤岡 俊博 / 2022)
本の目次
「暴力」の再領域化 (藤岡俊博)
テロリズム、黄色いベスト運動、聖職者の性的虐待
――現代フランスの「暴力」の諸相を「権力」関係の歴史から読む (伊達聖伸)
「見える」暴力と「見えない」暴力
――香港の二〇一九年大規模抗議活動を題材に (谷垣真理子)
暴力と非暴力のアメリカ (矢口祐人)
平和的な抗議活動をする権利の侵害としての法執行官による「暴力」(キハラハント愛)
「人間の安全保障」からみた「暴力」と「難民」
――冷戦後の「アジア」と「日本」(佐藤安信)
在日朝鮮人への暴力――その歴史から考える (外村 大)
II 「暴力」の乱反射
「暴力」の乱反射 (伊達聖伸)
ミャンマーにおける国家的暴力/革命的暴力の可視化 (藏本龍介)
冷戦後東欧地域における紛争と暴力の歴史的背景
――ユーゴスラヴィアとウクライナ (黛 秋津)
中東における抵抗の暴力と宗派間の暴力
――レバノン内戦下のあるマルクス主義思想家を例に (早川英明)
フランス語圏アフリカの女性に対する暴力
――マリの女性性器切除 (FGM) の実態と取り組みを中心に (園部裕子)
社会運動と「暴力」の関係
――メキシコの抗議行動分析を中心に (和田 毅)
あとがき (伊達聖伸)
関連情報
本の棚: 森井裕一 (『教養学部報』639号 2022年10月3日)
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/booklet-gazette/bulletin/639/open/639-02-3.html
書籍紹介:
「いま「暴力」を考えるために/『「暴力」から読み解く現代世界』序章」 (東京大学出版会 | note 2022年6月24日)
https://note.com/utpress/n/n064bef9add8c