東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

スリランカの介護人と子どもの写真、カラフルな背景

書籍名

響応する身体 スリランカの老人施設ヴァディヒティ・ニヴァ―サの民族誌

著者名

中村 沙絵

判型など

404ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2017年3月31日

ISBN コード

9784779510199

出版社

ナカニシヤ出版

出版社URL

書籍紹介ページ

学内図書館貸出状況(OPAC)

響応する身体

英語版ページ指定

英語ページを見る

本書は、南アジアの島国スリランカの老人施設での長期のフィールドワークにもとづく民族誌である。シンハラ語で「ヴァディヒティ・ニヴァーサ (年長者の家屋)」とも呼ばれるこの施設は、様々な理由から家族や親族、その他の既存の関係から離れた人々が、寝食の場を与えられながら、場合によっては死を迎えるまでを過ごす場所である。著者はこうした施設の一つでスタッフ見習いとして働き、介護や看取りに携わりながら調査する機会を与えてもらった。本書はその経験をもとに、他者の老病死にかかわることが孕む倫理的契機について考察したものである。
 
​活力ある高齢者像、高齢者の社会参加といったフレーズが膾炙して久しい。依存を避け、自立した生活を志向し、「主体的」な老いの構築を求める時代を、私たちは生きている。これに対して、ケアの現場に足場をおく研究は、〈ままならなさ〉を生きることそれ自体に光をあててきた。介護や看護の現場で応答し合う身体と、それが形づくる社会性に言葉を与え、老病死を単に「負担」や「問題」とみなす思考を解きほぐし、それらと共に生きる態度を模索してきた。本書もまた、この解きほぐしの作業に貢献しようとするものだ。
 
ただ、従来の研究が、病や障害と共に生きる者にとっての何らかの「よさ」を模索しながら、周囲の人やモノと調整をくり返す様子を捉えてきたとすれば (そしてその意味において、ある種のバイタリズムに依拠したケアを描いてきたとすれば)、本書の舞台となる施設は、この種のケアが志向されないか、不可能か、いずれにせよ後景化した場所だった。軽微の不調には投薬がなされるが、経口栄養が基本で、食べ物を飲み込めなくなると1~2週間ほどで死は訪れた。「こんなにして生きていても仕方がない」という言葉は、体が不自由になり、身辺の世話をスタッフや同室者に頼むしかない入居者の目の前で、ときに若いスタッフの口から発せられるものだった。その傍らで、人々は医療的介入をほとんど受けることなく、静かに死んでいった。
 
末期の入居者たちが過ごす部屋の担当になりしばらくが過ぎたころ、私は目の前の壊れかけた体を前に、それが喚起する深い苦悩に圧倒されてか、無気力になってしまった。施設での営みが、この深い苦悩の〈分有〉にゆるく向かうものだと理解したのは、帰国後フィールドノートに立ち返り、記述している最中だった。施設の運営を支える日々の食事や生活必需品の布施は追悼供養を兼ねていた。それは施主の喪失経験が露わになる反面、入居者が布施の相応しい受け手になり功徳回向をすることで相手を配慮する存在となる契機であった (第二部)。フロアスタッフにとって、死にゆく入居者は自身の苦悩を決して語らない、その意味で理解を越えた「他者」である一方で、間身体的な次元で自身を巻き込み、自らの生の不確かさや偶有性を感知させる存在であった (第三部)。施設をとりまく環境や文化装置に媒介されつつ、それを分有する間身体的な関係が実はあちこちで生成されている。そのことが入居者やかれらに関わる人々の行為や語りを通じて了解されたとき、著者の戸惑いも徐々に紐解かれていった。
 
本書は、フィールドでの出会いを端緒として始まる人類学的探究のひとつの形である。そうした研究に関心をもつ方に、手にとってもらえたらとても嬉しい。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 中村 沙絵 / 2022)

本の目次

はじめに  フィールドとの出遭い  
 
序論 ヴァディヒティ・ニヴァーサが投げかける問い
 
第I部
第一章 老親扶養をめぐる規範と実態――シンハラ農村社会の家族と世代間関係から
第二章 シンハラ社会とモラトゥワ
    ――ヴァディヒティ・ニヴァーサをとりまく社会的・空間的文脈
 
第II部 ダーナ実践がとりむすぶ社会関係
第三章 ヴァディヒティ・ニヴァーサの成立――ダーナを通したチャリティの現地化
第四章 ヴァディヒティ・ニヴァーサを支える社会関係
第五章 揺らぐ「与え手/受け手」関係――ダーナ実践における相互行為とその意味
 
第III部 施設における老いと死、看取り
第六章 「生活の場」としての施設――MJSニヴァーサ概況
第七章 ヴァディヒティ・ニヴァーサで生きるということ
    ――入居者たちの「人生の物語」と日常生活の記述から
第八章 ヴァディヒティ・ニヴァーサにおける死と看取り
 
結 論 ヴァディヒティ・ニヴァーサを支える関係性とその倫理
補 論 スリランカにおける高齢者福祉の展開

関連情報

受賞:
第7回日本南アジア学会賞 (日本南アジア学会 2019年)
https://jasas.info/award/winner/
 
第45回澁澤賞 (澁澤民族学振興基金 2018年)
http://www.sfes.jp/past/shibusawa_award/45/nakamura45.html
 
第3回生存学奨励賞 (立命館大学生存学研究所 2017年)
https://www.ritsumei-arsvi.org/news/news-785/
 
書評:
野村亜由美 評 (『アジア・アフリカ地域研究』18(1) pp. 61-64 2018年9月)
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/234856/1/aaas_18_61.pdf
 
中村友香 評 (『コンタクト・ゾーン』10 pp. 392-397 2018年6月)
https://core.ac.uk/download/pdf/160460089.pdf

このページを読んだ人は、こんなページも見ています