認知症社会の希望はいかにひらかれるのか ケア実践と本人の声をめぐる社会学的探求
実は、当初の仮タイトルは「認知症をめぐる包摂と排除」でした。これは、第1章の章題でもあり、率直に言うと、現在のタイトルよりも本書の内容を忠実に示しています。現在、認知症と呼ばれる人たちは、どのような存在として医学や介護実践の中で理解されてきたのか、またどのように排除されてきたのか、包摂はなされたのか。本書総論にあたる第1章では、「痴呆」や「呆け」などの表現で、この問題が認識され始めた1970年代から出発して、「認知症」となっていった2000年代以降の、認知症の理解と包摂のあり方を三つの流れに整理しました (第1章の4節参照)。そして、以降の章では、その三つの流れでの理解と包摂のあり方が、実際の認知症ケア実践や当事者運動がなされる場にいかなる課題をもたらすのかを描いていきました。
他方で、実際のタイトルは「認知症社会」「希望」「ひらかれるのか」という、学術的な言葉からやや離れた言葉から成っていて、「これから何が起こりうるか」を問うニュアンスとなっています。こうしたタイトルにしたのは、現在、認知症をめぐって当事者をはじめとして多くの人たちが、新たなチャレンジを始めており、その勢いの中で私が本書を書いていたからです。本書の作業自体は、認知症に関して「これまで起こってきたこと」を記述し整理するものですが、それをふまえて、現在、実践している人たちの未来に向けた何かを示したいと強く思ったのです。その意味で、本書は、現場の実践からは距離を置いた形で記述をするという学術的方法そのものを、「認知症社会」における一つの重要な実践と位置付けたいと考えて書きました (詳しくは本書序章をお読みください)。
「認知症」という言葉から、介護の問題を扱った書として本書に関心を寄せる人は多いかもしれません。実際、授業などで認知症の話をすると、自分の祖父母の認知症の様子や、親の介護の大変さを目にした経験を記してくれる学生たちが、こちらが思っていた以上にいます。そうした関心から読み始めていただいてももちろん良いのですが、同時に、本書を通じて、認知症という主題は「介護やケア」だけではなく、「当事者運動やまちづくり」などを含めて、私たちの社会の前提や価値を問い直すことにつながる、広い射程のものだということを伝えたいです。認知症に関する社会学は医療・福祉・家族に限られた問題ではなく、他の領域を含めた社会全体と関わる「認知症社会」を問う試みなのです。もちろん、本書は、「認知症社会」とは何であるかを十分に論じきれておらず、今後学術的に検討すべき課題は多く残されています。それらの課題について、私自身も今後取り組みつつ、一緒に取り組んでくれる方たちが多く現れてくれることを期待します。
他方、この紹介文を読む人の多くが20歳前後から20代の学部生だと想定すると、認知症を主題としたこの本への関心はそれほど高くないだろうと思います。そもそも、この紹介文にたどり着いていないかもしれません (笑)。しかし、たまたま見てしまった人たちにあえて言えば、本書は、認知症を対象として扱っているものの、それ以外の対象や、より一般的な社会学的テーマ、そして、社会学のスタンス・方法論を考えていく際に参照しうるものだと思っています。例えば、本書で描いた排除や包摂のありようは、他のマイノリティが「理解」されていく過程を考える際にも参照できる事例となります。また、認知症は加齢・老いと深く関連した現象であり、本書の中心部で注目したのが、その症状の「進行」をめぐる課題ですが、そのことを広く考えると、時間的経過の中で変容していく自分ならびに他者の身体とどのように付き合っていくのかを考える際の先端的事例と位置付けることもできます。このように、本書は、社会科学・人文学の研究が考えるべき普遍的テーマとつながり、また、私たちの人生の必然的な課題とも通じています。このような広がりを持つテーマの文脈で、この本が批判的に読まれていってくれることを強く願っています。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 准教授 井口 高志 / 2022)
本の目次
「みんなの問題」としての認知症
ケア実践の中に問う
実践を批判的に理解する
社会学的批判の方法
本書の構成
第1章 理解と包摂をめざして─ケア・介護の対象としての認知症理解へ
はじめに
1 排除と包摂のくり返しとしての認知症の歴史
2 理解からの排除︑理解することでの排除
「何もわからない人」からの出発
「正しい知識」による理解と排除
3 介護場面ゆえの理解と包摂
疾患にもとづく「問題行動」の理解
介護経験への理解不足
閉じた二者関係と失われる他者性
4 「新しい認知症ケア」の展開
その人らしさによりそう
疾患としての積極的対処
本人が「思い」を語ること
おわりに―三方向での理解・包摂
第2章 医療は敵なのか味方なのか─ケア実践による医療批判を考える
はじめに
1 医療への期待と批判
2 先駆的実践の背景
3 精神科臨床からの医療批判
「不自由をかかえた人」としてとらえる
「倦まずたゆまずのかかわり」
4 居場所づくりの実践からの医療批判
医療の外側へ
医療の論理を用いて
5 医療批判から学ぶこと
おわりに―新しい医療の論理に向きあっていくために
第3章 どのような「思い」によりそうのか─映像資料に見る本人の「思い」
はじめに
1 認知症関連番組に見る「思い」をとらえる実践
2 本人の「思い」を認める範囲
「問題行動」の背景にある「思い」
本人の「思い」の表現にともなう「問題行動」の軽減
介護する側の都合をやぶる「思い」
3 認知症の深まりへの怖れによりそう
認知症の進行を避けようとする実践
深まりゆく人の「思い」に向きあう
おわりに―どのような「思い」によりそうか
第4章 その人すべてを包摂することはできるのか─あるデイサービスにおけるケア実践のジレンマ
はじめに
1 「仕事の場」をつくる
2 「新しい認知症ケア」時代のケア労働
ケア労働としてのコミュニケーション
施設と在宅とのあいだ
「軽度」認知症の発見と早めのかかわり
3 オアシスクラブでの認知症ケア
よりそうことと進行を意識した実践
「ある」ことの許される居場所づくり
「その場での効果」を超えたケア実践
衰えの中での「その人らしさ」
限定的なよりそい
おわりに―よりそうことのジレンマ
第5章 本人の「思い」の発見は何をもたらすのか─「思い」の聴きとり実践から
はじめに
1 本人の「思い」の登場
2 「思い」を伝える〈媒介〉
認知症の人の「自己」への接近
関係の中での「自己」
3 〈媒介〉としての聴きとり
4 関係にはたらきかける聴きとり
家族への「橋渡し」
現れにくい「思い」
5 「思い」の聴きとりは新しいのか?
家族外部における〈媒介〉
語れなくなるときに向けて
おわりに―本人の「思い」の出現は何を提起するのか
第6章 認知症の本人たちの声はどのような未来をひらくのか─リアリティの分断に抗することに向けて
はじめに
1 「認知症問題」の当事者とは誰か?
当事者としての家族から本人の「思い」へ
「語る本人」から当事者団体による声へ
2 聴かれないことに抗して
代弁者として
「認知症らしさ」のジレンマ
聴かれない問題
3 聴かれるようになった後の課題
本人たちの声
「早期診断早期絶望」に抗する
異なる様式の語り
おわりに―リアリティの分断をつなぐ
終章 希望をひらくことに向けて─「進行」をめぐる諸実践への注目
1 認知症をめぐる新しい諸実践
「進行」という課題
新しい諸実践
2 障害の社会モデルから見た地域での諸実践
障害学から認知症を考える
「する」ことの幅を広げる地域
根強い「認知症にならないこと」「進行しないこと」の価値
3 認知症の自己定義への挑戦
インペアメントへの再注目
認知症におけるインペアメントの書き換え
おわりに―社会学的研究の課題と希望
補論 認知症当事者本がひらくもの─二〇一七年の著作群を中心に
1 認知症当事者本の積み重なり
2 本人の「思い」からの出発
3 当事者本の登場とその主張
4 二〇一七年の著作群から受けとれること
「できること」の実証と意味転換
個を超える希望
あとがき
文献
索引
関連情報
第6回福祉社会学会 学術賞 (福祉社会学会賞 2021年7月)
http://www.jws-assoc.jp/prize.html
著者インタビュー:
「東京大学人文社会系研究科社会学研究室准教授の井口高志先生にインタビューしました!」 (きらケア きらッコノート 2020年10月1日)
https://job.kiracare.jp/note/article/15874/
関連ページ
認知症EYES第153回: 町永俊雄「認知症社会を読み解く人たち ふたり研究者がすごい」 (認知症フォーラム.com 2020年9月25日)
https://www.ninchisho-forum.com/eyes/machinaga_153.html
書評:
木下 衆 (慶應義塾大学) 評 (『社会学評論』第73巻1号 pp.79-81 2022年7月)
https://cir-nii-ac-jp.utokyo.idm.oclc.org/crid/1520011461933385216
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jsr/list/-char/ja
深田耕一郎 (女子栄養大学) 評 (『ソシオロジ』67巻1号(204号) pp.167-175 2022年6月)
https://www.soshioroji.jp/index.php/volume/202/2164
山田裕子 (同志社大学名誉教授)、鄭 煕聖 (関東学院大学社会学部) 評「2020年度学界回顧と展望 - 高齢者福祉部門」 (『社会福祉学』62巻3号, pp. 155-173 2021年11月)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssw/62/3/62_155/_pdf/-char/ja
相澤 出 (岩手保健医療大学) 評 (『保健医療社会学論集』第32巻1号 pp.107-108 2021年7月)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshms/32/1/32_320111/_article/-char/ja/
川村雄二 (NHKディレクター) 評「空洞化した『希望』の救出劇」 (『支援』vol.11, pp.192-207 2021年5月)
https://seikatsushoin.com/books/shien11/
齋藤暁子 (近畿大学総合社会学部・准教授) 評 (『福祉社会学研究』18号 p.273-276 2021年5月)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jws/18/0/18_273/_article/-char/ja/
鶴野隆浩 (大阪人間科学大学) 評 (『家族社会学研究』33巻1号: pp.69-70 2021年4月)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjoffamilysociology/33/1/33_69/_article/-char/ja/
森下直貴 評「認知症社会の「これまで」と「これから」」 (老生学研究所ホームページ [老成学 研究資料](2) 2021年3月25日)
https://re-ageing.jp/11145/
佐川佳南枝 (京都橘大学) 評「現場の実践の過程やジレンマを描く――慎重な検討の先に提示される『認知症社会の希望』」 (『図書新聞』第3483号 2021年2月13日)
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/shinbun_list.php?shinbunno=3483
田島明子 (湘南医療大学) 評「複雑化した認知症の時代的変容を紐解く――社会学者の精緻なまなざしがみつめる希望」 (『週刊読書人』3367: 4面 2020年11月27日)
https://jinnet.dokushojin.com/products/3367-2020%E5%B9%B411%E6%9C%8827%E6%97%A5%E5%8F%B7-%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E7%89%88
オンライン講義:
不安の時代 (朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2020年講義): 第5回 病いという不安と生きる:認知症をめぐる人びとの実践から (OCW-UTokyo OpenCourseWare 2020年)
https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_2029/
NEW! シンポジウム:
【主催】国際シンポジウム アジアの社会におけるヘルスケアの現在ー子どもから高齢期まで Healthcare in Asian Societal Contexts: from Childhood to the Later Life (奈良女子大学アジア・ジェンダ文化学研究センターHP 2022年12月10日)
https://nwugender.wordpress.com/2022/11/10/%E3%80%90%E4%B8%BB%E5%82%AC%E3%80%91%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%80%80%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91/
関連書籍:
井口高志「認知症の人による〈当事者宣言〉は何に対抗し誰を包摂するのか? ――分断に抗することと認知症カテゴリーの行方」樫田美雄・小川伸彦編著『〈当事者宣言〉の社会学――言葉とカテゴリー』 (東信堂, pp.202-226 2021年3月)
https://www.toshindo-pub.com/book/91654/
井口高志「認知症新時代の福祉社会学的課題――ケアと承認をめぐって」上村泰裕・金成垣・米澤旦編『福祉社会学のフロンティア――福祉国家・社会政策・ケアをめぐる想像力』 (ミネルヴァ書房,pp.175-190 2021年11月)
https://www.minervashobo.co.jp/book/b592120.html