日本の制度的要因が利益調整に与える影響
本書の研究テーマは、会計学の利益調整 (earnings management) と呼ばれる研究領域に位置づけられるものです。ここでいう利益調整とは、誤解を恐れずに言えば、合法的な利益操作と言えるかもしれません。会計利益は会計基準にもとづいて算定されるため、会計利益は企業の業績を示す真実の姿と思っている人も多いかと思います。しかし、現行の会計基準は、会計利益を計算するプロセスについて、経営者にある程度の自由裁量を認めています。そのため経営者は、会計利益を裁量的に調整する手段を有しているのです。例えば、ある航空会社は、航空機の減価償却の耐用年数を変更し、かつ社債発行費を全額費用計上から繰延資産計上に変更することで、経常利益を約192億円増加させたという事例も報告されています。これは経営の実態にはまったく関係ない会計上の操作で、200億円近い利益を生み出せることを意味します。利益調整に関する経営者の意思決定は、財務報告に大きな影響をもたらすのです。
会計利益の報告は、様々な経済的な影響を生じさせます。たとえば、損失のような会計利益の悪化は、従業員のリストラを引き起こしたり、経営者自身が解雇されたりするかもしれません。また経営者ボーナスのカットや企業の資金調達を困難にする可能性もあります。経営者は、このような不利益を生じさせるような事象を回避するために、利益調整を行うことが予想されます。たとえば、経営者は受けとるボーナス額を増加させるために、利益を増加させる利益調整を行うかもしれません。利益調整研究では、このような経営者が利益を調整する動機を実証的に解明することを目的としています。すなわち、経営者の利益調整の動機について仮説を設定し、実証分析を通じた仮説検証が行われます。
本書は、そのような利益調整について、日本企業独自の利益調整が存在する可能性を検証したものになります。具体的には、企業を取り巻く制度的要因 (institutional factors) が経営者の利益調整に与える影響に注目しています。ここでいう制度的要因とは、投資家保護等の法制度、税制、規制、または金融システムの発展度合といった各国ごとに異なる制度的な特徴のことです。経営者が行う利益調整は、各国の制度的要因によって制約を受けたり、制度的要因自体が新しい利益調整インセンティブを創出することもあります。本書は、日本企業の制度的要因に注目して、日本独自の制度的な特徴が生み出す経営者の利益調整行動を解明しています。
日本では、会計学の実証的なアプローチは支配的でありませんが、米国では利益調整の知見は株式投資や監査実務にも応用されています。本書を通じて、会計学の可能性を感じて頂けると嬉しいです。
(紹介文執筆者: 経済学研究科・経済学部 准教授 首藤 昭信 / 2023)
本の目次
1. 本書の目的
2. 制度的要因と利益の質
3. 本書の分析視角と構成
第2章 日本の制度的要因が損失回避の利益調整に与える影響
1. 本章の目的と構成
2. 日本の制度的要因と仮説の設定
2.1 財務会計と税務会計の連携
2.2 企業と銀行の密接な関係
2.3 上場企業と非上場企業での利益調整インセンティブの比較
3. リサーチ・デザイン
3.1 変数の定義
3.2 仮説検証のための分析モデル
(1)仮説1と2の検証モデル
(2)仮説3と4の検証モデル
4. サンプル選択と記述統計
4.1 サンプル選択
4.2 記述統計
5. 結果
5.1 予備的分析
5.2 分析結果
(1)仮説1と2の検証結果
(2)仮説3と4の検証結果
6. 追加検証
7. 結論
第3章 日本の安定株式保有が利益平準化に与える影響
1. 本章の目的と構成
2. 先行研究と仮説展開
2.1 意思決定範囲の問題と利益調整
2.2 安定的な株式所有,投資意思決定範囲,および安定的な利益
2.3 仮説展開
3. リサーチ・デザイン
3.1. 利益平準化の測定
3.2. 検証モデル
4. サンプル選択と記述統計
4.1 サンプル選択
4.2 記述統計量
5. 分析結果
6. 追加検証
6.1 短期的な利益目標達成のための実体的裁量行動
6.2 結果の頑健性
7. 結論
第4章 総括とインプリケーション
1. 研究結果の要約
2. 研究結果のインプリケーション