本書は、二十世紀中国近代文学の一人者の魯迅の作品を読むものである。もちろん、本書は魯迅についての本である。しかし、本書は中国でも日本でも長い歴史を持つ「魯迅研究」という研究分野にもうひとつの著書を捧げるものというよりも、魯迅の作品を読むことで「テクストを読む」ことに取り組み、文学の意義を再検討しようとするものである、とまずことわっておきたい。
現在の若者に限っていえば、よく知られている文学者であるにもかかわらず、魯迅の作品を手に取って仔細に読む人がおそらくは少ないのかもしれない。たとえ書店の本棚に置かれている本書 (とその軽いタイトル) を見たところで、「へー」とスルーする人が多いのかもしれない。なぜ魯迅なのか。なぜ今の時代でわれわれは魯迅を読まなければならないのか。本書は、この問いに明確に答えるかわりに、魯迅のいくつかのテクストを読むことでヒントを与えている。いいかえれば、魯迅のテクストのみならず、一般的に「文学」とみなされるテクストは、結局「テクスト」と呼ぶしかないこの媒介を通じてしか、社会や時代の抱く根本的な問題に応えられない、と思われる。したがって、読者としてのわれわれは、「テクスト」を読むことでそれらの問題、さらにわれわれが直面しなければならない問題に対峙するしかないのだ。この意味で、「文学」には同時代の秘密が潜んでいるといっても過言ではない。
それが教養の意味でもある、とわたしは主張したい。つまり、「魯迅を読む」ことに関して重要なのは魯迅についての知識や中国近代文学についての知識では決してなく、むしろ魯迅のテクストを開くことで魯迅がいかにして自分のエクリチュールで当時彼が直面していた問題に格闘し、その戦いの記録をアレゴリー的に表現しているかを吟味することにほかならない。もちろん、魯迅がとくに面白いのは、彼の多様なエクリチュールの速さが読者のテクストを仔細に読むことの遅さにとても釣り合わないことにあるといってもよい。
したがって、魯迅の多彩なテクストを示すために、本書は彼のさまざまなジャンル――小説、散文詩、雑文など――からいくつかのものを選び、精読を試みる。いうまでもなく、もしも読者は本書をきっかけにして魯迅の文学世界に魅力されるのなら、著者としてこれほど喜ぶことがないのだが、仮にそうではなく「テクストを読むこと」という理論的な営みそれ自体についてヒントをいただくのなら、それはむしろ本書のひそかな期待に応えることになるほかない。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 王 欽 / 2023)
本の目次
第一章 文学の (不) 可能性に向かって――『いい物語』を読む
第二章 エクリチュールと記憶の弁証法――『吶喊・自序』を読む
第三章 啓蒙の声を「翻訳」する――『狂人日記』を読む
第四章 希望の政治学――『故郷』を読む
第五章 他者の「面影」――『無常』を読む
第六章 個体・歓待・共同体――『村芝居』を読む
第七章 我々は如何に許しを乞うべきか――『凧』を読む
第八章 非政治的政治へ――『阿金』を読む
註
初出一覧
あとがき
索引
関連情報
石井剛 評 (『教養学部報』第644号 2023年7月7日)
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/booklet-gazette/bulletin/644/open/644-2-03.html
中島隆博 評「ラディカルな精読」 (『UP』第52巻第4号 2023年4月)
https://www.utp.or.jp/book/b10031088.html
小林芳雄 評「気鋭の研究者による『新しい魯迅論』」 (WEB第三文明 2023年3月2日)
https://www.d3b.jp/npcolumn/15043
星野太 評 (Artscape 2023年2月15日号)
https://artscape.jp/report/review/10182841_1735.html
関連記事:
王欽「なぜわれわれは魯迅を読んでいないのか――『魯迅を読もう』の読者に寄せて (1)」 (じんぶん堂|好書好日 2022年12月1日)
https://book.asahi.com/jinbun/article/14758621
王欽「〈他者〉を文学する――『魯迅を読もう』の読者に寄せて (2)」 (じんぶん堂|好書好日 2022年12月8日)
https://book.asahi.com/jinbun/article/14758623