語用論の基礎を理解する [改訂版]
本書『語用論の基礎を理解する 改訂版』は、Understanding Pragmatics (Gunter Senft, Routledge, 2014) の全訳改訂版である。
語用論は言語学の一分野である。言語を構造と使用に分けて考えると、語用論は後者に関する研究分野である。本書は、語用論の基礎となる、言語と哲学・心理・行動・思考・文化・社会・政治について影響力のあった研究とその背景、およびそれぞれの研究の発展について解説している。ここに挙げた研究分野と密接に関係することから語用論は学際的な研究分野と言えるが、その知見はさらなる学際的研究への端緒となる可能性を含んでいる。
一例として言語と思考の関係を取り上げる。2024年のNatureに、“Language is primarily a tool for communication rather than thought” (「言語は基本的に思考ではなくコミュニケーションの道具である」) という論考が掲載された (Fedorenko et al.,2024)。脳神経科学の知見を基にして、脳の部位に関して言語の理解・生成と思考に関係する場所に違いがあることから言語が思考とは別の機能であることを示すとともに、音声・語彙・文法に関する言語の性質がコミュニケーションに適したものであると主張している。
言語と思考の関係についてはサピア=ウォーフの仮説 (本書4.3節) が広く知られている。「言語が思考を決定する」という強い仮説は否定されているが、「言語が思考に影響する」という弱い仮説は、どのように影響するのかについてさまざまな分野において研究が進められている。本書では、マックス・プランク (Max Planck) 研究所における研究の知見や心理・言語学者であるダン・スロービン (Dan Slobin) の洞察「経験を言語的に表現することが話すための思考 (コミュニケーションのために動員される思考の特別な形態) を形成する」(“the expression of experience in linguistic terms constitutes <thinking for speaking> – a special form of thought that is mobilized for communication.”) (本書p.173) が説明されている。これら語用論における知見・洞察は、脳神経科学の研究における言語と思考の脳の部位がどのように相互に関係するのかという問題と密接に関連する。
改訂版では、語用論を専門としない研究者はもちろん一般の読者にもわかりやすく読んでもらえるようにすべての訳を見直した。また参照文献に日本語訳がある場合は訳書の箇所を示した。本書が、人間・社会・文化における言語の役割を考える1つの契機になってもらえると幸いである。
参照文献:
Fedorenko, Evelina, Piantadosi, Steven T., & Gibson, Edward A. F. (2024). Language is primarily a tool for communication rather than thought. Nature, 575-586.
(紹介文執筆者: 情報学環 教授 石崎 雅人 / 2024)
本の目次
第1章 語用論と哲学―われわれは言語を使用するとき、何を行い、実際に何を意味するのか (言語行為論と会話の含みの理論) ―
第2章 語用論と心理学―直示指示とジェスチャー―
第3章 語用論と人間行動学―コミュニケーション行動の生物学的基盤―
第4章 語用論とエスノグラフィー―言語、文化、認知のインターフェース―
第5章 語用論と社会学―日常における社会的相互行為―
第6章 語用論と政治―言語、社会階級、人種と教育、言語イデオロギー―
第7章 語用論の基礎を理解する―まとめと展望―
関連情報
堀江 薫 評 (『語用論研究』第19号 pp.100-105 2018年)
https://pragmatics.gr.jp/journal/backnumbers/19.html
書籍紹介:
#5036. 語用論の3つの柱 --- 『語用論の基礎を理解する 改訂版』より (hellog~英語史ブログ 2023年2月9日)
https://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2023-02-09-1.html
指示代名詞は意外に奥深いーダイクシスの豊かな世界・語用論の展開【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル #93 】 (いのほた言語学チャンネル|YouTube 2023年1月15日)
https://www.youtube.com/watch?v=pIhctZwvLcs&t=17s
Gunter Senft著・石崎雅人・野呂幾久子訳『語用論の基礎を理解する・改訂版』(開拓社、2022年)のご紹介【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル #85 】 (いのほた言語学チャンネル|YouTube 2022年12月18日)
https://www.youtube.com/watch?v=2GawQSohsBU&t=29s
関連書籍:
ガイ・ドイッチャー (著) 椋田直子 (訳)『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』 (早川書房 2022年)
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015039/
ダニエル・L・エヴェレット (著) 屋代通子 (訳)『ピダハン――「言語本能」を超える文化と世界観』 (みすず書房 2012年)
https://www.msz.co.jp/book/detail/07653/
ニック・エンフィールド (著) 夏目大 (訳)『会話の科学――あなたはなぜ「え?」と言ってしまうのか』 (文藝春秋 2023年)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163916798