多数派の専横を防ぐ 意思決定理論とEBPM
19世紀に起こった実証主義の流れを汲み、帰納的な論理に基づくエビデンス (科学的根拠) に基づく医療EBM (Evidence Based Medicine) という概念が 1990年代初頭から世界の医学界・医療現場を席巻して久しい。近年政治や行政の分野で世界的な潮流となっているEBPM (Evidence Based Policy Making) は、政策の企画を過去の事例や個々のエピソードに頼るのではなく、政策目的を明確化したうえでエビデンスに基づくものとすることであり、日本でも内閣府を筆頭にEBPMを推進するべく様々な取組が省庁横断的に進められている。本書ではEBMとEBPMという切り口から、研究デザインや研究データを読み解くリテラシーの重要性に触れ、学問領域を超えて普遍的なデータに基づく意思決定の在り方を検討する一助となることを目指した。
本書のユニークな特徴の一つは、医学と経済学という一見遠く離れた分野の共通点に焦点を合わせていることである。前半部分では、医学博士の宮木幸一が疫学や公衆衛生学における様々な実践例と理論を通して、EBM とEBPM の重要性、データ解釈や因果推論における落とし穴、相関関係と因果推論、人の認知の本質に関わるバイアスという落とし穴などについて解説する。エビデンスには強さの序列があり、RCT (ランダム化比較試験) による結果の信頼性の高さとともに研究デザインとしてRCTだけが尊重されるべきではないこと、古典的なHillの因果性判定基準、反実仮想の考え方など、具体的な例と対策を紹介している。後半部分では、筆者の旧友で経済学博士の郡山幸雄 (エコール・ポリテクニーク経済学部教授) がメカニズム・デザインやゲーム理論、投票理論を通して、意見集約と合意形成の様々な工夫について解説し、理論を用いることの重要性だけではなく、人のココロにひびく施策を行うための具体例や実践例を幅広く紹介している。
多数決という馴染み深い意思決定方法には問題点が多数あることがわかってきており、社会的に望ましい選択肢を導く方法としてより優れた方法が検討されている。パリの市民参加型予算で活用されているマジョリティ・ジャッジメントという投票手法もその一つである。多数派が少数派を迫害する危険性については、近代民主主義の概念が発展した当初から議論されている。多数派なら専制を行ってもよい、という主張は民主主義の一部ではない。一方で、データを積極的に用いて「最適な」決定をアルゴリズムによって導くという意思決定方法も近年喧伝されている。だが、アルゴリズムがうまく働くためには、それを監視する肥えた目 (一人一人のデータリテラシーと社会がどうあるべきかという規範意識) が必要不可欠である。本書は、よりよい社会決定とは何かを考え、よりよい社会制度をつくることに貢献したい人に読んでいただきたい。また学術研究の成果を現実社会で実装していくことの難しさと面白さ、また複数の研究事例紹介を通して学問領域を横断した研究・社会実践の面白さが伝わると幸いである。
(紹介文執筆者: 公共政策大学院 特任教授 宮木 幸一 / 2023)
本の目次
1.エビデンスベースで考える
情報をバイアスなく、解釈することができるか / エビデンスの強さの序列 / ランダム化比較試験という人類の進歩
2.垣根を超えて考える
医学領域から経済学領域へ。その逆も / 医学と経済学の共通点
第1章 エビデンスに基づく医療 (EBM) と政策形成 (EBPM)
1. 学術研究を政策立案に生かす
2.教育現場での活用も有効
3.よかれと思ったことも実は逆効果に
第2章 社会問題に対する医学・疫学のアプローチ
1.疫学の父 ジョン・スノウ
視覚的に「見える化」することで原因を明らかに / 上医は国を治す
2.疫学から見た統計データ解釈時の落とし穴
平均値と中央値 / データを見る目を養う
3.相関関係と因果推論
相関とは何か / 因果関係の判定を誤る落とし穴 / 他の因果推論方法 / 健全な批判精神を持ってデータを見る
4.「バイアス」という落とし穴
バイアスは分類できる / 選択バイアスをどう回避するか / 「偏り」を知ることで研究を有効化する
第3章 EBPMはいかに発展してきたか
1.エビデンスに基づく医療
2.What Works Centreの理想的とも言える取り組み
第4章 集団的意思決定の制度設計を求めて
1.社会あるところに集団的決定あり
集団的決定の学問 / 集団的決定は難しい / 難しさはどこにあるのか? / メカニズム・デザイン ― 私的情報のもとで / 意思決定者と専門家の関係 / どのような仕組みを使えばよいか?
2.意見集約のさまざまな工夫
一人一票は当たり前ではない? / 多数決の問題点 / 戦略的投票はなぜ問題なのか? / メッセージを豊かにする / フランス大統領選挙での実験 / 投票の集中度を数学的に示す / 社会にとって望ましいルールとは / 「平和のために投票した」 / 投票制度設計という手法
3.理論を上手に用いる
ゲーム理論を使った分析 / 平均値vs. 中央値 / マジョリティ・ジャッジメント / 制度設計におけるゲーム理論の役割 / 自然言語を用いる意味 / 重み付き集計で工夫をする / 本当の投票価値とは / 何をもって公平とするか / 小国の意見を尊重する / 少数派尊重の原則を数学的に示す / コレクティブ・デシジョン・メイキング (CDM)
4.人のココロにひびく施策
囚人のジレンマ / 勝者総取りのジレンマ / 協力行動を促す協調装置 / インセンティブを正しく理解する /お金で人は動かない? / クラウディング・アウト効果 / 施策の効果 / 納得感のある決め方
第5章 よりよい決断をめざして
1.医学と経済学の共通点
データを正しく用いる / 集団的意思決定 (CDM) の特性を用いる / 人のココロにひびく施策を選ぶ / 多角的に考える / 共通言語を用いる
2.リテラシーを上げる
3.理想の意思決定とは
関連情報
http://well-being.pp.u-tokyo.ac.jp/index.html
書評:
<出版時に寄稿された書評>
エビデンスに基けば、望ましい治療法が選択でき、良い政策選択ができる、とEBPMを誤解している人が多い。医療では、医師、患者、家族の価値観が異なっている。公共政策ならもっと複雑だ。EBPMと集団的意思決定の両方を理解しないと、質がよくて納得できる意思決定はできない。本書は医療と公共政策の意思決定の共通点を浮かび上がらせてくれる。(大竹文雄・大阪大学特任教授)
https://twitter.com/fohtake/status/1657236553360642048
個人や社会が意思決定をする際の「エビデンスの活用と解釈」「意思集約の科学的方法」が具体例とともに紹介され読み応えがあり、その際の基盤となる考え方について具体的に説明されていて「なるほど」の連発で、知的興奮を覚えた。医学や経済学の専門家だけでなく、様々な立場の方に読んでいただきたい。(川村孝・京都大学名誉教授)
前田裕之 (学習院大学客員研究員・文筆家) 評 「経済学の書棚: 証拠に基づく政策形成「EBPM」を政策現場で活用するための本」 (日経BOOKPLUS 2023年7月7日)
https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/122100175/062800014/
シンポジウム:
「地域×データ」実践教育推進室 設立記念シンポジウム 「足とデータで地域の未来をひらく」 (2023年8月10日 福島大学)
https://www.fukushima-u.ac.jp/news/Files/2023/07/175_07.pdf