歴史学とはどのような学問なのかについて説明するのは、なかなか難しいように思います。確かに、歴史については学校で学んできているので、誰でも一定の理解はあるでしょう。でも、歴史学の研究とは何をするものなのか、簡単にわかるとは限らないのです。
この『論点・東洋史学』は、そのような歴史学の入門という意図を込めて作った本です。歴史学の研究とは、過去の事柄を論点とすることで進めていくものです。論点が生まれるにあたっては、まず疑問の提示があります。この疑問を具体的な史料に基づいて解明していくことが、歴史学の研究なのです。そして、異なる研究者が別個の回答を示したとき、そこには論争が生じ、論点が明確になります。
このように書くと、やや難しいようですが、とにかく具体的な論点を知れば、これまでの研究がどのように進められてきたのかは一通りわかります。この本は、そのような実例を集めたものなのです。結果として、この本は歴史の研究とは何かを知るのに便利な早道を提供していると言えるかもしれません。なお、論点に注目するというアイデアは、先行して出版された金澤周作監修『論点・西洋史学』(ミネルヴァ書房、2020年) に負っています。
この本では非常に多くの研究者がそれぞれの論点について執筆しています。論点の例を挙げてみましょう。本書で私が執筆した「辛亥革命」の項目では、これまでの研究上の観点を三つに分けて説明しています。辛亥革命とは、1911年から1912年にかけて清朝が政権を失い、中華民国という共和国が成立した政治変動を指します。第一の視点は、孫文などがどのように革命運動を展開して清朝を打倒しようとしたのかに注目し、第二の視点は各地で実権を握る地元の有力者がなぜ清朝から離反していったのかを問いかけます。また第三の視点は、清朝が満洲人の政権であったことが辛亥革命のなかで持っていた意味は何だったのかという疑問を立てて、現在の中国の民族問題の起源にも関心を拡げようとする立場です。
この本に収録した158の論点は、かなり数が多いようにみえますが、これは実際に過去の学者が関心をもった論点のごく一部にすぎません。そして、むしろ今後また別に新しい論点を立てて行くことこそが、歴史学の研究なのです。そして、本格的な歴史研究を進める時には、もう便利な早道はなく、自分で道を切り開くことになります。
さて、この本は「東洋史学」を題名としていますが、副題には「アジア・アフリカへの問い」とあります。「東洋史学」とは何なのでしょうか。この点について説明すると長くなってしまうので、それについては本書の「序説」を読んでいただきたいと思います。ただ、一つだけ言っておくと、私が夢想する「東洋史学」とは、何か世界の一部分の範囲の歴史を対象とするような限定されたものではなくて、日本史や西洋史も包含するような学問領域だということです。この本の読者とともに、その夢に向かって進んでいきたいと念願しています。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 吉澤 誠一郎 / 2024)
本の目次
序 説(吉澤誠一郎)
1 東洋史学とは何か
2 言葉と歴史
3 歴史叙述と文明
4 歴史研究の客観性とは何か――宗教を例として
5 国家とは何か
6 ビッグ・ヒストリーとグローバル・ヒストリー
7 歴史研究は何のために行うのか
I 文明と国家の形成
1 古代メソポタミアの王権――王はいかなる存在だったか(柴田大輔)
2 イスラム以前のアラブ――その歴史的意義をどうとらえるか(蔀 勇造)
3 ゾロアスター教――教祖のメッセージは何か(青木 健)
4 ピラミッド時代――ピラミッドとは何か(大城道則)
5 アマルナ革命――世界最古の一神教とは何か(大城道則)
6 無文字社会の歴史――サハラ以南アフリカ史研究は可能か(石川博樹)
7 インダス文明――その展開と滅亡の要因は何か(小茄子川歩)
8 扶南・林邑・チャンパ――東南アジアの古代国家はいかに形成されたか(山形眞理子)
9 東南アジアのインド化――インド化とは何だったのか(青山 亨)
10 夏王朝――果たして実在したのか(佐藤信弥)
11 周王朝の封建制と滅亡――新出資料は歴史像を変えるか(水野 卓)
12 中華と夷狄――中国世界の成り立ちはどのようにとらえられるか(渡邉英幸)
13 秦の始皇帝――ファースト・エンペラーの素顔に迫れるか(宮宅 潔)
14 漢の郡国制――中央集権への「回り道」か(杉村伸二)
15 漢の冊封体制――「漢委奴国王」金印はなぜ与えられたか(阿部幸信)
16 環境変動と中国古代史――なぜ「帝国」は拡大・崩壊したのか(村松弘一)
17 均田制――その実像やいかに(佐川英治)
18 魏晋隋唐の兵制――誰が兵士になったのか(平田陽一郎)
19 拓跋国家――胡漢の融合は何を生み出したのか(松下憲一)
20 ソグド人の活動――中国史にどのような影響を与えたのか(森部 豊)
21 5~6世紀の朝鮮半島情勢と倭――倭は朝鮮半島を支配していたのか(井上直樹)
22 唐の冊封体制――どのように展開したか(赤羽目匡由)
23 唐宋変革――中国史の転換点はいつか(丸橋充拓)
24 遊牧世界と定住世界――中央ユーラシアの共生関係とは何か(赤木崇敏)
25 遊牧帝国の形成と分裂――その構造と社会はどのようなものか(鈴木宏節)
26 中央ユーラシアの言語と文字――なぜ変わるのか,変わらないのか(坂尻彰宏)
27 仏教の東伝と定着――仏教を隆盛に導いたのは誰か(中田美絵)
28 「イスラム世界」という言葉――使うか,使わないか(森本一夫)
29 政教一元論――イスラムは政教一致の宗教か(中町信孝)
30 ムハンマド――イスラムの起源をどうとらえるか(亀谷 学)
31 カリフ――神のカリフか,預言者のカリフか(亀谷 学)
32 アッバース朝革命――その内実はいかなるものか(橋爪 烈)
33 ウラマー――彼らはどのように知識と権威を得たのか(森山央朗)
II 交流するアフロ・ユーラシア
1 世界史認識――「普遍史」とは何か(大塚 修)
2 スルターン――なぜ支配者の称号となったのか(橋爪 烈)
3 庇護民(ズィンミー)――イスラム世界の非ムスリムはどのように暮らしていたか(辻明日香)
4 アンダルス――イスラム期のイベリア半島をどうとらえるか(佐藤健太郎)
5 セルジューク朝――トルコ系遊牧王朝の歴史的意義は何か(大塚 修)
6 マムルーク朝――奴隷たちはいかにして帝国を支配したか(五十嵐大介)
7 トルコ系諸部族――トルコとは何か(笠井幸代)
8 インド封建制論――インド史に封建制はあったのか(古井龍介)
9 インドの王権と国家――前近代インドの王権をいかに見るか(三田昌彦)
10 インドへのイスラム伝来――イスラム化の実態はどのようなものか(二宮文子)
11 シュリーヴィジャヤ――700年続く大国か(山崎美保)
12 アンコール――帝国の連続性と経済基盤をどう考えるか(田畑幸嗣)
13 宋元代の都城と文化――都城はなぜ移るのか(久保田和男)
14 宋元代の王族と貴族――国家体制によって性格がどう異なるのか(牛根靖裕)
15 宋元代の地方エリートと新興豪民――彼らは何者か(山根直生)
16 宋元代の大運河と海運――その役割・変遷はいかなるものだったのか(矢澤知行)
17 宋元の社会制度――背景にあるものは何か(小川快之)
18 宋元代の多民族社会――戸籍・民族区分はどんな社会的意味を持ったのか(櫻井智美)
19 宋元明移行論――「伝統社会」を議論するには(小二田章)
20 漢語文化――漢字文化はどこまで広がったのか(櫻井智美)
21 宋代の儒教――新たな思想は社会といかに関わっていたか(梅村尚樹)
22 道教と民間信仰――宋代以後の道教と民間信仰はいかに変容してきたか(酒井規史)
23 中世キリスト教圏――アフロ・ユーラシア世界で孤立していたのか(小澤 実)
24 高麗における自尊の表象――朝鮮の王朝はいかに自国を位置づけたか(森平雅彦)
25 チベットと仏教――その歴史的重要性は何か(山本明志)
26 宋元中国の食文化――その実態にいかに迫るか(塩 卓悟)
27 航海をめぐる信仰――海域交流の発展と信仰はいかに関わるか(山内晋次)
28 宋元代のディアスポラ――中国海商とはどのような存在であったのか(向 正樹)
29 モンゴルの衝撃――モンゴル・インパクトとは何か(四日市康博)
30 モンゴルとイスラム――イスラム史にどのような影響を与えたのか(渡部良子)
31 モンゴルの覇権と危機――「14世紀の危機」とは何か(諫早庸一)
32 ユーラシアにおける銀と貨幣の流通――各地に何をもたらしたのか(安木新一郎)
33 科学の東西交流――天文学・医学はどのように相互交流したのか(諫早庸一)
34 陶磁器の生産と流通――ユーラシアにどのような影響を与えたのか(森 達也)
35 織物と図像の東西伝播――意匠はどのようにして伝わったのか(本間美紀)
III 初期グローバル化の時代
1 オスマン帝国の勃興――遊牧民か,信仰戦士か(小笠原弘幸)
2 近世イスラム国家――時代区分はどうあるべきか(近藤信彰)
3 シーア派政権サファヴィー朝――何をもたらしたか(守川知子)
4 オスマン帝国と地中海世界――「海の帝国」としての側面をどうとらえるか(澤井一彰)
5 インド洋海域の発展――ある海洋から見えてくる世界とは(大東敬典)
6 西アフリカのイスラム――どのように拡散・定着したのか(苅谷康太)
7 アクバル体制論――ムガル帝国の国家制度の意義は何か(真下裕之)
8 インド在地社会論――インド農村社会はどのように変化したのか(小川道大)
9 ヨーロッパのインド進出――「ヨーロッパの拡大」だったのか(和田郁子)
10 インドの植民地化――インド史の断絶か,連続か(太田信宏)
11 海域史の中の日本――海域の交流は何をもたらしたのか(関 周一)
12 海賊と倭寇――倭寇は海賊か,海賊とは何か(須田牧子)
13 アジアの中の琉球――どのような位置づけにあったのか(麻生伸一)
14 商業の時代――近世東南アジアをいかに理解するか(弘末雅士)
15 マレー世界の拡大――マレー人を自称する人々が増加したのはなぜか(西尾寛治)
16 オランダ東インド会社の役割――アジアでどのような活動をしたのか(島田竜登)
17 「華人の世紀」再考――華人だけが主役だったのか(太田 淳)
18 東南アジア大陸部の領域国家とゾミア――「大統合」は何をもたらしたのか(蓮田隆志)
19 明代の皇帝――皇帝権力をどう論じるか(城地 孝)
20 明清時代の農業――発展か停滞か(田口宏二朗)
21 明清時代のカトリック宣教――現地社会との接触の実態およびその意義とは(新居洋子)
22 明清時代のムスリム――マイノリティとしていかに存続したか(中西竜也)
23 明清交替と朝鮮――明の滅亡は何をもたらしたのか(鈴木 開)
24 清の国家体制――帝国はどのように統合されていたか(杉山清彦)
25 清の対外関係――なぜ新たな視座が求められるのか(岡本隆司)
26 清とチベット――いかなる関係だったのか(小林亮介)
27 ポスト・モンゴルの民族――モンゴル帝国継承政権の分立は何をもたらしたか(赤坂恒明)
28 中央ユーラシアと周辺文化圏――隣接諸国との関係をいかに構築したか(野田 仁)
29 中央ユーラシアのイスラム――その地域的特質とは何か(木村 暁)
IV 近代世界の形成
1 イスラム世界と軍事上の近代――軍事改革をどうとらえるか(小澤一郎)
2 オスマン帝国の非ムスリム――ミッレト制で説明できるか(上野雅由樹)
3 オスマン帝国近代の改革――近代化=西欧化=世俗化か(秋葉 淳)
4 オスマン帝国の解体――何が失われ,何が忘れられたのか(藤波伸嘉)
5 ムハンマド・アリーのエジプト支配――その歴史的意義は何か(勝沼 聡)
6 奴隷交易廃止とインド洋交易――奴隷交易廃止は何をもたらしたのか(鈴木英明)
7 イギリス帝国における南アフリカ――その歴史をどう理解するか(堀内隆行)
8 アフリカ植民地支配と労働移動――労働力はいかに集められたのか(網中昭世)
9 アフリカ植民地支配と医療――「熱帯医学」とは何か(磯部裕幸)
10 メディアとアフリカ植民地支配――近代メディアが果たした役割は何か(澤田 望)
11 アフリカ人としての民族意識――いかにして形成されたのか(溝辺泰雄)
12 フランスのアフリカ支配――植民地支配は何をもたらしたか(平野千果子)
13 インド大反乱――誰が何のために起こしたのか(井坂理穂)
14 オリエンタリズム――インドをめぐる近代知をどうとらえ,どう受け継ぐか(冨澤かな)
15 植民地支配下のインド経済――植民地支配は衰退をもたらしたか(神田さやこ)
16 東南アジア植民地経済の展開――世界との関わりがどう変わったか(加納啓良)
17 19世紀の労働・商業移民――移民は東南アジア各地でどのような役割を果たしたのか(小林篤史)
18 アジア域内貿易――なぜアジア各地で貿易が発展したのか(小林篤史)
19 植民地期東南アジアの社会変容――植民地支配は何を変えたのか(太田 淳)
20 シャムの自立――ナショナルヒストリーをいかに再考するか(小泉順子)
21 アヘン戦争――その意味をいかに再考するか(村上 衛)
22 太平天国――「革命史観」をいかに乗り越えるか(倉田明子)
23 朝鮮における開化派――近代世界にいかに対応しようとしたか(月脚達彦)
24 中国ナショナリズムの形成――その要因は何か(小野寺史郎)
25 辛亥革命――清朝はなぜ政権を失ったのか(吉澤誠一郎)
26 新文化運動――何がどのように主張されたのか(森川裕貫)
27 中国における外国資本――中国資本を抑圧したのか(富澤芳亜)
28 近代中国における法制度――新たな法は何をもたらしたのか(久保茉莉子)
29 植民地朝鮮の政治と社会――植民地とは何か(永島広紀)
30 日本植民地下の経済発展――日本植民地経済の特徴は何か(湊 照宏)
31 中央アジアの近代ロシア――帝国とソ連は何をもたらしたのか(長縄宣博)
32 モンゴルの近代――内外モンゴルはなぜ分かれているのか(橘 誠)
33 インド国民会議派――誰が何をめざしたのか(上田知亮)
34 ガーンディー――彼の政治構想の特徴とは何か(間永次郎)
35 東南アジアのナショナリズム――民族の目覚めとは何か(山本信人)
36 東南アジアの華僑・華人――アイデンティティをどう考えるか(貞好康志)
37 日本の東南アジア占領――日本占領の与えたインパクトをどうとらえるか(中野 聡)
V 現代史の展開
1 イスラムとジェンダー――ムスリム女性の地位と主体性をどうとらえるか(阿部尚史)
2 イスラムと民主主義――誰が,何のために論じるのか(藤波伸嘉)
3 パレスチナ問題――ナクバはどう記述されるのか(錦田愛子)
4 「アラブの春」以降の中東――宗派対立はなぜ拡大したのか(山尾 大)
5 クルド人――民族問題はなぜ生じたか(齋藤久美子)
6 アパルトヘイト――なぜ極端な人種隔離体制がとられたのか(永原陽子)
7 脱植民地化の中のアフリカ――イギリスはなぜ撤退したか(前川一郎)
8 現代アフリカの紛争――国際社会は有効な関与ができるか(武内進一)
9 印パ分離独立――南アジア史における分離独立の意味とは何か(粟屋利江)
10 インドのナショナリズムと地域主義――地域主義台頭の契機は何か(志賀美和子)
11 インドの経済発展――その実態はどのようなものか(杉本大三)
12 インド社会とジェンダー――女の生はいかに不可視化されたか(井上貴子)
13 近代インド芸能の発展――音楽はどのように研究されたか(井上貴子)
14 カースト政治――なぜカーストが重要なのか(舟橋健太)
15 東南アジアの国民国家――何に注目し,どう論じるか(高木佑輔)
16 東南アジアの政治と軍隊――安定の要か,抵抗勢力か(中西嘉宏)
17 開発独裁――経済発展と民主化は両立するのか(末廣 昭)
18 ASEANと地域協力――地域協力の枠組みは何をめざしたか(鈴木早苗)
19 東南アジアにおける民主化――その性格と背景は何か(根本 敬)
20 日中戦争の展開――戦争はなぜ長期化したのか(関 智英)
21 国共内戦――なぜ中国共産党は勝利したのか(杜崎群傑)
22 中国社会主義の形成――どう構築され,何を残したのか(加島 潤)
23 文化大革命――文革はなぜ起こったか(金野 純)
24 中国経済の躍進――その原動力は何か(伊藤亜聖)
欧文参考文献
人名索引
事項索引
関連情報
教員著作紹介 (橋爪烈 先生) (関西大学文学部 世界史専修ホームページ 2023年4月1日)
https://wps.itc.kansai-u.ac.jp/sekaishi/%E5%90%89%E6%BE%A4%E8%AA%A0%E4%B8%80%E9%83%8E%E7%9B%A3%E4%BF%AE%E3%80%8E%E8%AB%96%E7%82%B9%E3%83%BB%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E3%80%80%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%95/
地域の今を歴史から捉える:現地の活力にせまるアジア経済史 (小林篤史 助教) (京都大学 東南アジア地域研究研究所ホームページ 2022年4月6日)
https://onlinemovie.cseas.kyoto-u.ac.jp/movie_akobayashi/
東京外大教員の本 (石川博樹 先生、太田信宏 先生) (東京外国語大学ホームページ 2022年)
https://www.tufs.ac.jp/tufstoday/books/2022/22011001.html
研究活動 (五十嵐大介准教授) (早稲田大学 中東・イスラーム研究コース 2022年1月24日)
https://prj-islam.w.waseda.jp/archives/1739/
教員新刊紹介 (大城道則 教授、澤田望 講師) (駒澤大学 – 駒大PLUS 2022年1月13日)
https://www.komazawa-u.ac.jp/plus/topics/newbook/11143.html
教員著作紹介 (赤木崇敏 教授) (東京女子大学ホームページ 2022年1月10日)
https://www.twcu.ac.jp/main/topics/2021/0110_001.html