本書は世界の君主号から重層的な歴史世界の姿を読み解くものです。
近代は国民国家の時代といわれ、その主権者は君主から国民へと移りかわりました。しかし、君主が持つ象徴的な役割は現代においても機能しています。一方で、前近代の君主をおしなべて国家の主権者とか統治者とかであったとみなすこと、あるいは世界をそうした君主が統治する諸国家によって構成された国際社会であったとみなすことも、前近代の歴史に対する近代的な国家観や世界観の投影にすぎず、歴史の実像からかけ離れています。われわれがよく知る前近代の君主号は、多くの場合、特定の民族や国家に結びつくというよりもむしろ天下や世界と結びついており、また一人の君主が次元を異にする複数の君主号をもつことも決して珍しくはなかったのです。
世界史において君主が果たした役割は、それぞれの時代や地域で君主が名のっていた、あるいは君主を指して用いられていた君主号の意味から考えることができます。例えば、われわれは一般にローマ帝国の君主も中国の君主もともに「皇帝」と呼んでいますが、実はまったく性格の異なる君主であり、原語の意味も同じではありません。一方で、日本では「天皇」が用いられましたが、それを用いるようになったとき、果たしてどこまで意識的に中国の「皇帝」と区別していたのかは、それほど明確ではありません。
本書は三部からなります。第1部「東アジアの君主号」では、中国における皇帝と天子の関係、大清帝国の君主号、シプソンパンナー王国における中国とビルマの君主の扱い、日本の天皇号の成立と変化について論じます。
第2部「南アジア・中央アジア・西アジアの君主号」では、ヴィジャヤナガル王国のサンガマ朝で用いられていたスラトラーナ、セルジューク朝のスルターン、サファヴィー朝のバハードゥル=ハーンについて検討します。
第3部「ヨーロッパの君主号」では、ローマ帝国のアウグストゥス、オスマン朝のバシレウス、ハプスブルク帝国における「皇帝にして国王」なる称号、イングランドのクロムウェルの護国卿なる称号について探究します。
以上の君主号の分析を通じてわれわれは、近代になってわれわれが一元的な主権国家に属するようになる以前は、人々は長く重層的で多元的な世界に生きてきたことを知るでしょう。しかも、その歴史的な展開は、必ずしも国民国家に向けて一元化への道をたどってきたとはいえず、むしろ多元的で複合的な方向へと進んでいくこともあったのです。そのような人類の歴史的な経験をどのようにとらえ評価すればよいのか、われわれは改めて考えてみるべきときに来ているように思われます。本書がその一助となれば幸いです。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 佐川 英治 / 2024)
本の目次
1章 皇帝が「天子」を称するとき――中華の多元化と東部ユーラシア 佐川英治
2章 ハン・ハーン・皇帝──中央ユーラシアと東アジアのなかの大清君主号 杉山清彦
3章 清代シプソンパンナー王国における中国・ビルマ両属関係とその終焉 武内房司
4章 天皇号の成立と唐風化 大津 透
II部 南アジア・中央アジア・西アジアの君主号
5章 スラトラーナ攷――神の鎧か西夷の号か 小倉智史
6章 スルターンをこえて――セルジューク朝時代の君主号 大塚 修
7章 称号はいかに生まれ、伝播するのか――バハードゥル゠ハーンをめぐって 近藤信彰
III部 ヨーロッパの君主号
8章 アウグストゥスのゆくえ――ローマ帝国統治の模索 田中 創
9章 バシレウスからスルタンへ?――ギリシア正教徒とオスマン君主号 藤波伸嘉
10章 複合君主号「皇帝にして国王」と主権の分有――ハプスブルク・ハンガリーの選挙王政と世襲王政 中澤達哉
11章 君主号とブリテン革命――護国卿、あるいはオリヴァ王? 後藤はる美
関連情報
河内春人 (関東学院大学) 評 (『文明動態学』vol.4 2025年3月25日
http://doi.org/10.18926/67965
https://ridc.okayama-u.ac.jp/publication/20250305-3902/
石井規衛 評 (『史学雑誌』133編1号p.96 2024年)
http://www.shigakukai.or.jp/uploads/pdf/133-01_shinkan.pdf
http://www.shigakukai.or.jp/journal/index/vol133-2024/
書籍紹介:
東京外大教員の本 > 2023年 (東京外国語大学ホームページ 2023年)
https://www.tufs.ac.jp/tufstoday/books/2023/23103001.html
イベント:
第120回 史学会大会 公開シンポジウム「君主号と歴史世界」 (公益財団法人史学会 2022年11月12-13日)
http://www.shigakukai.or.jp/annual_meeting/schedule/