歴史学とは過去の事実を新たに発見することだけを目的としているのではない。過去の事実のあれこれを結び付け、どのように歴史を語るのかを考える学問でもある。事実の解釈をめぐって長期に及ぶ大論争が繰り広げられることもあれば、ある日突然、新解釈が提起され多くの賛意と厳しい批判が巻き起こることもある。過去を扱うとはいえ、歴史学も生きているのだ。
本書はすでに2020年に出版された。西洋史学に関する重要な論争となっているトピックについて、それぞれ見開き2ページで解説する。古代32件、中世28件、近世29件、近代26件、現代24件と、合計139の論点から構成されている。私が執筆者の一人であることには間違いないが、1項目2ページの執筆者に過ぎない。本書の執筆者は全体で優に100名を超す。京都大学の金澤周作教授が監修者として指揮をとられ、ほか5名の編者とともに編集され、刊行された。
私自身は「世界システム論」について執筆した。世界システム論、すなわち近代世界システム論といえば、もちろんウォーラーステインの所説である。16世紀以降、西ヨーロッパを中心に発達した「近代世界システム」が次第に地球を覆うようになるという資本主義システムの発達史である。この解説を行うとともに、その発想そのものが西洋中心主義的であるなど、いくつかの批判点を指摘した。
本書は好評を得ているようで何度も版を重ねてきている。多数の読者をえて喜ばしい限りである。大学生のほか、高等学校の先生方にも多数読まれているらしい。たしかに私にとっても本書は再学習の良い機会となっている。そもそも私が学部学生のころ、世界各地の歴史に関する講義にいくつも出席していた。卒業単位か否かにかかわらずである。講義を通じて当時の歴史学研究の最前線にふれることができたし、講義で紹介された本を手始めに多数の歴史書を読んだ。講義とは学問の道案内であったのだ。しかし、大学院に進学し、自分自身の研究分野に特化すればするほど、歴史学とはいえ、自分の専門分野以外について知識がアップデートされる機会はほとんどなく今に至る。そうした状況にあって、本書を読むことで、自分の専門分野以外について数十年ぶりにアップデートさせることができるのである。何とありがたいことか。
とはいっても、なんとなく本書のような手軽さというか、安直さが気になる。本書は歴史学の魅力を伝える一種のショーケースに過ぎない。本書を読むことで歴史学研究の面白さに気づき、さらに書物を読み進める読者が増えることを心から願う。そして、こうした歴史学の最先端に自ら挑もうとする人があまた出てきてほしい。そして、将来、歴史学の最先端に立ち、新たな論点を提起する人が生まれれば何よりのことであるし、そう期待してやまない。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 准教授 島田 竜登 / 2024)
本の目次
準備体操1 歴史学の基本
準備体操2 史料と歴史家の偏見、言葉の力と歪み
本書の使用法
I 西洋古代史の論点
1 ホメロスの社会(周藤芳幸)
2 ポリス形成論(竹尾美里)
3 歴史叙述起源論(師尾晶子)
4 ブラック・アテナ論争(庄子大亮)
5 アテナイ「帝国」と民主政(佐藤 昇)
6 アケメネス朝ペルシアの表象と現実(阿部拓児)
7 アテナイの演劇と社会(栗原麻子)
8 アレクサンドロス大王と「ヘレニズム論争」(長谷川岳男)
9 ヘレニズム期の王権とポリス(藤井 崇)
10 古代ギリシアの連邦とその受容(岸本廣大)
11 コイネー(石田真衣)
12 ローマ共和政の本質とアウグストゥス(丸亀裕司)
13 ローマ皇帝と帝国の統合(志内一興)
14 「ローマ化」論争(南川高志)
15 ケルト問題(疋田隆康)
16 ローマ帝政期のギリシア(桑山由文)
17 五賢帝時代と「3世紀の危機」(井上文則)
18 剣闘士競技(本村凌二)
19 キリスト教の拡大(大谷 哲)
20 強制国家論の現在(大清水裕)
21 ローマ帝国衰亡論(西村昌洋)
22 ローマ法典と社会(田中 創)
23 古代経済史論争(池口 守)
24 古代の奴隷(福山佑子)
25 古代ローマの家族とセクシュアリティ(高橋亮介)
26 古代人の宗教1:犠牲 (山内暁子)
27 古代人の宗教2:神話と造形芸術(福本 薫)
28 古代人の宗教3:国家と宗教(小堀馨子)
29 古代の科学:ガレノスを中心に(澤井 直)
30 「古代末期」論争(南雲泰輔)
31 ビザンツ帝国史の時代区分(井上浩一)
32 ビザンツ皇帝とは何か(中谷 功)
II 西洋中世史の論点
1 中世初期国家論(加納 修)
2 カロリング・ルネサンス(多田 哲)
3 ピレンヌ・テーゼ(山田雅彦)
4 中世農業革命(丹下 栄)
5 中世都市成立論(河原 温)
6 ヴァイキングのエスニシティ(小澤 実)
7 ノルマン征服(中村敦子)
8 封建革命論(轟木広太郎)
9 「封建制」をめぐる論争(江川 温)
10 教会改革(藤崎 衛)
11 中世修道会(大貫俊夫)
12 12世紀ルネサンス(小澤 実)
13 十字軍(櫻井康人)
14 レコンキスタ(阿部俊大)
15 迫害社会の形成(図師宣忠)
16 13世紀の司牧革命(赤江雄一)
17 神判から証人尋問へ(轟木広太郎)
18 儀礼とコミュニケーション(服部良久)
19 リテラシー(大黒俊二)
20 歴史と記憶(鈴木道也)
21 近代国家生成論(上田耕造)
22 スイスの起源(田中俊之)
23 タタールのくびき(宮野 裕)
24 ハンザ(小野寺利行)
25 14世紀の危機(加藤 玄)
26 ジャンヌ・ダルク(加藤 玄)
27 ブルゴーニュ公の宮廷文化(青谷秀紀)
28 イタリア・ルネサンス(徳橋 曜)
III 西洋近世史の論点
1 世界システム論(島田竜登)
2 世界分割(デマルカシオン)(合田昌史)
3 コロンブス交換(安村直己)
4 スペイン帝国論(安村直己)
5 オランダの黄金時代(大西吉之)
6 重商主義論と特権商事会社(大峰真理)
7 資本主義論(佐々木博光)
8 東欧の辺境化・後進性(秋山晋吾)
9 ヨーロッパとオスマン帝国(黛 秋津)
10 人文主義/文芸共和国(小山 哲)
11 レス・プブリカ(中澤達哉)
12 主権/主権国家/主権国家体制(古谷大輔)
13 宗教改革/対抗宗教改革論(塚本栄美子)
14 宗派化(高津秀之)
15 社会的規律化(鈴木直志)
16 エトノス論(中澤達哉)
17 複合国家/複合君主政/礫岩国家(古谷大輔)
18 神聖ローマ帝国論(皆川 卓)
19 アンシャン・レジーム論(林田伸一)
20 17世紀の危機(金澤周作)
21 軍事革命(古谷大輔)
22 三十年戦争(斉藤恵太)
23 イギリス革命(後藤はる美)
24 科学革命(坂本邦暢)
25 魔女迫害(小林繁子)
26 啓蒙主義(弓削尚子)
27 財政軍事国家論(山本浩司)
28 啓蒙改革/啓蒙絶対主義(岩崎周一)
29 アメリカ革命(鰐淵秀一)
IV 西洋近代史の論点
1 フランス革命(山中 聡)
2 イギリス産業革(坂本優一郎)
3 生活水準論争(坂本優一郎)
4 大西洋奴隷貿易(小林和夫)
5 大分岐(村上 衛)
6 民衆運動、民衆文化、モラル・エコノミー(山根徹也)
7 階級論(ジェントルマン論・ミドルクラス論)(岩間俊彦)
8 市民結社(ボランタリ・ソサエティ)(岩間俊彦)
9 消費社会(真保晶子)
10 男女の領域分離(山口みどり)
11 19世紀のジェンダーと人種(安武留美)
12 セクシュアリティ(林田敏子)
13 アイルランド大飢饉(勝田俊輔)
14 移民史論(中野耕太郎)
15 アリエス論争(岩下 誠)
16 ボナパルティスム(第二帝政)(野村啓介)
17 リソルジメント(濱口忠大)
18 農奴解放(森永貴子)
19 南北戦争(田中きく代)
20 第三共和政と改革(長井伸仁)
21 ナショナリズム論(東欧からのアプローチ)(桐生裕子)
22 ナショナリズム論(南北アメリカ・西欧からのアプローチ)(中野耕太郎)
23 帝国論(篠原 琢)
24 女性参政権(佐藤繭香)
25 「ドイツ特有の道」(西山暁義)
26 社会主義(福元健之)
V 西洋現代史の論点
1 帝国主義論(山口育人)
2 植民地と近代/西洋(堀内隆行)
3 植民地と環境(水野祥子)
4 第一次世界大戦原因論(小野塚知二)
5 ウィルソンとアメリカの国際主義(三牧聖子)
6 ロシア革命とソ連邦の成立(寺山恭輔)
7 スターリンと農業集団化・工業化(寺山恭輔)
8 世界恐慌(小野沢 透)
9 混合経済と福祉国家(坂出 健)
10 革新主義とニューディール(中野耕太郎)
11 ファシズム論(石田 憲)
12 ナチズム(藤原辰史)
13 ホロコースト(藤原辰史)
14 第二次世界大戦原因論(山澄 亨)
15 冷戦の起源(小野沢 透)
16 ハンガリー動乱と「プラハの春」(吉岡 潤)
17 ヴェトナム戦争とその影響(水本義彦)
18 デタント(青野利彦)
19 欧州統合(能勢和宏)
20 冷戦の終結(森 聡)
21 新自由主義(小野沢 透)
22 フェミニズムとジェンダー(兼子 歩)
23 オリエンタリズムとポストコロニアリズム(杉本淑彦)
24 「短い20世紀」(小野沢 透)
欧文参考文献
おわりに
研究者名一覧
人名索引
事項索引