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茶色い表紙、石のイラスト

書籍名

講談社学術文庫 播磨国風土記 全訳注

著者名

秋本 吉徳 (訳・解説)、 鉄野 昌弘 (解説・その他)

判型など

360ページ、A6判

言語

日本語

発行年月日

2024年5月16日

ISBN コード

978-4-06-531932-1

出版社

講談社

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播磨国風土記 全訳注

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『風土記』は、和銅六年 (713) に出された官命によって編纂された地誌である。当時、朝廷の支配下にあった各国の国庁でまとめられたと考えられるが、現在、書物として残っているのは、常陸 (現在の茨城県)・播磨 (兵庫県南部)・出雲 (島根県東部)・豊後 (大分県)・肥前 (佐賀・長崎県) の五か国に過ぎない。播磨国の『風土記』は、その中でも最初に書かれたと考えられる。『風土記』編纂が命じられたころは、朝廷による地方支配が浸透してゆく過程にあり (『風土記』編纂も、そのために命じられたのである)、地方行政組織は複雑化していった。『播磨国風土記』は、いつ編纂されたかは明記されていないが、国・郡・里という比較的単純な組織で記録されているので、官命が出て間もなく編纂されたことが分かるのである。
 
和銅の官命は、国の中にある金属・植物・動物などの特産品や、土地が肥えているか瘠せて居るか、また地名の由来や、古老の伝える故事来歴を記すことを命じている。『播磨国風土記』は、その官命に忠実に、それらを記録している。里ごとに、地味の良し悪しを上の上から下の下まで九段階で評価し、山野に鉄や、弓の材料になる木や、薬草などが採れることが記される。地名は、その土地に伝わる故事来歴によって付けられていることが多い。
 
播磨は、沿岸部と山間部では大きく異なっていたと見られ、沿岸部には人が多く地味は豊かで、山間部は人が少なく、金属や木材は採れるが地味は良くない。沿岸部は、古代の最も重要な交通路である山陽道と瀬戸内海航路があるので、そこにやってくる人は多く、朝廷の支配も及びやすかった。それを反映して、沿岸部の地名は、他の地域や外国から来た人々の事績や、天皇の巡行中の出来事から付けられた地名が多い。対して、山間部の地名は、神話に基づくものが非常に多いのである。西の出雲や北の但馬など、外からやってきた神々と、播磨に土着の神との土地争いの神話も見られる。それは、沿岸部よりも古い伝承を守る社会が山間部には残っていたことを反映すると思われる。
 
本書は、漢文で書かれた『播磨国風土記』を訓み下し、現代語訳・語注・解説を加えている。もともと秋本吉徳氏が一九八〇年代に執筆し、中断したままになっていた。秋本氏が二〇二二年に亡くなった後、発見された遺稿に、高校生の時に秋本氏に教えを受けた筆者が欠けていた部分を補い、刊行に至った。
 
二柱の神々が、重い荷物と大便の我慢比べをする話など、非常に興味深い。荷物も大便も、それが山となって残っているというのである。ぜひ本書を携えて、古代を偲びながら播州を旅してもらいたい。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 鉄野 昌弘 / 2024)

本の目次

 まえがき
 凡例
一 賀古郡 (一)
二 賀古郡 (二)
三 印南郡
 補説「印南郡」の存否
四 餝磨郡 (一)
五 餝磨郡 (二)
六 餝磨郡 (三)
七 餝磨郡 (四)
八 揖保郡 (一)
九 揖保郡 (二)
十 揖保郡 (三)
十一 揖保郡 (四)
十二 揖保郡 (五)
 補説「言挙げ」について
十三 揖保郡 (六)
 補説『万葉集』と播磨
十四 揖保郡 (七)
 補説 天日槍 付、粒丘銅牙石
十五 讃容郡 (一)
 補説 鹿の話
十六 讃容郡 (二)
 補説「異剣」伝説について
十七 宍禾郡 (一)
 補説「大神」「伊和大神」について
十八 宍禾郡 (二)
 補説 葦原志許乎神について
十九 神前郡 (一)
 補説 大汝神小比古尼神
二十 神前郡 (二)
 補説 百済人
二十一 託賀郡 (一)
 補説 盟酒
二十二 託賀郡 (二)
 補説 女性神
二十三 賀毛郡 (一)
 補説 地名起源記事の種類と性格
二十四 賀毛郡 (二)
 補説 根日女の話
二十五 賀毛郡 (三)
 補説 延喜式と風土記
二十六 美なぎ郡
 補説 於奚袁奚天皇と「詠辞」
 解説 鉄野昌弘
 播磨国風土記地図

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