合巻は19世紀の江戸(明治期には東京)で出版されていた絵入りの娯楽小説である。ほぼすべての紙面に挿絵があり、文章は挿絵の余白に書き入れられている。読者は挿絵を見ながら文章を読み、物語を楽しんだ。
絵と文章が混在する合巻の紙面は、版木に墨をつけて摺る整版印刷の技術によって支えられていた。明治期に入って活版印刷が主流になると、合巻も衰退してゆく。だが、人気のあった作品や登場人物は歌舞伎やマンガなどの媒体に取り入れられ、現代まで命脈を保っている。合巻を現代の娯楽文化の源流に位置づけること、これが本書の論点の一つである。
本書は4部構成である。第1部には、合巻について考える上で知っておくべき事柄がまとめられている。第1章は合巻史の概説で、題材や創作方法の特色などに言及しつつ、合巻が発生した文化期から長編合巻の『児雷也豪傑譚』が誕生する天保期までの流れをたどる。第2章では合巻が文学研究の対象としてどのように扱われてきたか、明治初期から現代までの展開を追う。合巻を読んだことがない読者でも、第1部に目を通せば、合巻とはどのようなものかが、おおよそ理解されるものと思う。
第2部には『児雷也豪傑譚』に関する論考を、第3部には『白縫譚』に関する論考を収める。『児雷也豪傑譚』は蝦蟇の妖術を使う児雷也を主人公とする作品で、児雷也と大蛇丸、綱手の三すくみが見どころの一つである。『白縫譚』には蜘蛛の妖術を操る若菜姫が登場し、実録の『黒田騒動』などを下敷きとした物語が展開する。いずれも幕末の合巻を代表する作品だが、研究は進んでいなかった。本書では、作品の素材、構造、長編化の方法など、複数の角度からこれらの作品に光をあて、その魅力を解き明かす。
第4部は「越境」をテーマとする。第1章・第2章では、歌舞伎と合巻、読本と合巻など、ジャンル間の越境をとりあげ、第3章・第4章では、作品の内部における伝奇性と当世性の接合の問題を考察する。第5章では、『児雷也豪傑譚』を取材源として作られた抄録、講談、マンガ、歌舞伎などを論じる。
物語や登場人物が他のジャンルや媒体に取り入れられ、新しく生まれ変わる現象を、本書では虚構の〈転生〉としてとらえ直す。この視点は、合巻などの小説に限らず、さまざまなジャンルを論じる際にも有効である。〈転生〉する虚構と、そうでない虚構とはどこが違うのか。〈転生〉の原動力となるものは何か。その答えは、本書を読んで確かめていただければと思う。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 佐藤 至子 / 2025)
本の目次
凡 例
第一部 合巻を読むために
第一章 合巻の流れ――文化期から天保期まで
第二章 文学研究のなかの合巻
第二部 『児雷也豪傑譚』――近世娯楽小説の到達点
第一章 児雷也と蝦蟇
第二章 蛇の物語と三すくみ
第三章 転生する物語――『児雷也豪傑譚』から『NARUTO』へ
第三部 『白縫譚』――変革への希求
第一章 体制を攪乱する妖術使い――嗣子としての若菜姫
第二章 女性たちの悲劇――伝奇のなかの現実
第三章 叛逆の物語と土蜘蛛
第四章 「忠孝」から「善悪」へ――『白縫譚』初編・二編の構想
第五章 長編合巻を作る――キャラクターと見せ場
第四部 越境する合巻
第一章 歌舞伎と合巻――『吉皐染扶桑初鷄』
第二章 読本と合巻――『雪梅芳譚犬の草紙』『仮名読八犬伝』
第三章 伝奇性と当世性――文政期合巻における芸者像
第四章 幕末の合巻と「江戸」
第五章 合巻と転生――虚構の生命力
おわりに
初出一覧
主要人名索引・主要書名索引
関連情報
川平敏文 評 (川平敏文のブログ『閑山子余録』 2024年3月16日)
https://kanzanshi.seesaa.net/article/502682711.html
関連記事:
佐藤至子 合巻は転生する[『図書』2024年5月号より] (web岩波『たねをまく』 2024年5月7日)
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/8018
関連講座:
第138回 (2024年春季) 東京大学公開講座 (東京大学 2024年6月22日)
制約と創造
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