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黒い表紙

書籍名

若きヴェルターの悩み/タウリスのイフィゲーニエ

著者名

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (作)、 大宮 勘一郎 (訳)

判型など

408ページ、四六判、上製

言語

日本語

発行年月日

2023年1月

ISBN コード

978-4-86182-957-4

出版社

作品社

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本書は、18世紀後半から19世紀前半を生きたドイツの詩人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの二つの作品の翻訳である。
 
『若きヴェルターの悩み』(初版1774年/第二版1787年) は、疾風怒濤 (シュトゥルム・ウント・ドラング) 時代の代表作として名高い書簡体小説で、主人公ヴェルターは、因習や迷信からの解放と自由への憧れを力強い言葉で語りながら、周囲と衝突を繰り返し、最後には自ら生命を断つことになる。本書の訳文は、直情的でやや乱暴な原作の言葉遣いをできるだけ写し取ろうと努めている。物語の軸をなすヴェルターとロッテとの恋愛関係は、高揚とともに始まり破滅で終わる。この恋愛は、幸福と不幸をない混ぜにしながら、時間の中で変容せざるをえないものと意味づけられているのである。こうした経過は、近代的恋愛に典型的なものだが、ゲーテはこれを自由への問いと関連させながら細密かつ劇的に描き出し、その後の世界文芸にも大きな影響を及ぼすこととなった。
 
ゲーテ自身は、1775年のザクセン=ヴァイマル公国への任官後、『ヴェルター』のような荒々しさを抑え、むしろ型を重視する作品を書くように転じたというのが通説とされる。とりわけ、エウリピデスの古代悲劇を換骨奪胎した戯曲『タウリスのイフィゲーニエ』(1787年) は、いわゆる古典主義的な作風が採用され、調和、抑制、静謐に染め上げられた作品とみなされる。しかし本書は、疾風怒濤との連続性を重視して、両作品を併録している。疾風怒濤は「若気の至り」として単に捨て去られたのではなく、表面上は調和的に終わるこの作品世界の中で、神話的秩序の桎梏に対する人間の名における告発という、より重大な役割を担わされている。このことは、母親殺しの罪を背負い、呪われた存在として登場するオレストの性格づけに何よりも現れている。彼の造形は、最後に誠実さによって登場人物相互の対立や誤解が解け、彼らの間に友情がもたらされる、という筋書きに陰影を施すためだけのものではない。山場でヴェルター以上に激烈な言葉を吐くオレストには、ヴェルターの魂が継承されているのであり、そこでの彼はただの狂乱者ではなく、自覚を欠いたままに理性的である。主人公であるイフィゲーニエもまた、疾風怒濤を内に秘めている。彼女は、ギリシャとタウリスという「文明と野蛮」の間に和解と友情を樹立する役割を果たすが、その一方で自分自身を衝き動かす力については、実のところオレスト以上に盲目である。
 
疾風怒濤が新たな形を模索する運動であることを反転させるように、古典的なるものは、表面の静謐な形の背後に荒々しい力を漲らせている。本書が両者の接近を敢えて演出する所以もそこにある。長く読み継がれた作品は、読むたびごとに違った姿を見せる。むしろ、そのつどに姿を変えるからこそ、読み継がれるのである。一つの視点に凝り固まらずに読んでもらえれば幸いである。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 大宮 勘一郎 / 2024)

本の目次

若きヴェルターの悩み
  第一の書
  第二の書
  編者から読者へ
 
タウリスのイフィゲーニエ
  第一幕
  第二幕
  第三幕
  第四幕
  第五幕
 
解題
  1『若きヴェルターの悩み』
  2『タウリスのイフィゲーニエ』
  i「人間的なるもの」の普遍へ
  ii「人間的なるもの」の裏面――ヴェルターからイフィゲーニエ/オレストへ、あるいは挨拶と呪詛
 
あとがき――揺れ動く時の狭間にて

関連情報

書評:
川崎祐 評「一人称の組み換えによる鮮烈な新訳の誕生 (『週刊読書人』5面 2023年3月24日)
https://dokushojin.net/dokushojin/355/

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