東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

青と黄色の表紙に建物の写真

書籍名

『京城放送局 (JODK) ラジオプログラム集成』別冊 植民地朝鮮のラジオ放送 近代マスメディアとしての京城放送局 (JODK)

判型など

291ページ、A5判、並製

言語

日本語

発行年月日

2023年

ISBN コード

9784910998121

出版社

金沢文圃閣

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1990年代以降、植民地期朝鮮の性格について文化をキーワードにとらえようとする動きが現れたが、歴史学のみならず、社会学、人類学、文学、言語学等の領域から新たな問題提起がなされた。ちょうど「国民国家」批判に基づく、一国史批判、日本「帝国」史研究の進展とも相まって、従来の特定の分野に固定化された歴史像とは異なる多様な歴史像が提起され始めた頃でもある。植民地期朝鮮のラジオ放送についての研究は、まさにこのような時期にはじまり、2000年代になって研究の広がりを見せたのであった。これまで文字=ハングルメディアの近代性がメディア史では重要視されていたが、「文字 (ハングル) =近代」、「音=前近代」という単純な図式を生みかねなかった。だが、ラジオ放送やレコードに対する研究は近代的かつ「音」のメディアに注目するもので、ラジオ放送研究は研究の地平を大きく開く役割を担った。本書はまさにそのような広がりを示す現住所の役割を果たすものである。
 
その結果、ラジオという素材を通じて、さまざまな視角・論点が提示された。まずは基本的な政策・体制の確認であり (姜恵卿論文)、その言語編制の政治性である (徐在吉論文)。まさに日本語と朝鮮語の位階秩序を伴った二重言語体制のなかで、ラジオ放送はある種の拮抗関係を余儀なくされたし、かつ帝国の論理に民族文化の領域が動員されるさまをも明らかにできた。また、京城放送局がどのような放送体制を備えていたのかの内実に迫る研究も現れた。また、女性アナウンサーの研究 (厳玹燮論文) はジェンダーの観点から注目したものとして興味深い。
 
さらに、芸能 (李相吉論文) 、音楽 (朴用圭論文、金志善論文) 、日本語教育 (上田崇仁論文) といった各種プログラムが植民地支配ないしは植民地社会との関係でどのような意味を持ったのかという点が個別の領域において深まりを見せることになったのである。
 
このような、ラジオ放送の体制、ないしはコンテンツ運営が、日本の植民地朝鮮支配、ないしはその中の日本 (人) と朝鮮 (人) の関係性の構図をどのように規定していたのか。このような問いは、言語編制の観点から徐在吉論文が示しているが、姜恵卿論文は統制と動員という観点から論じた。一方、そのような統制と動員という上からの圧力に注目する一方で、マイケル・ロビンソン論文は日本語と朝鮮語という二重言語の状況や、ラジオ放送政策に対する朝鮮人の関与、朝鮮社会での受容といった事実が持つ性格は両義的であり、朝鮮総督府の政策にも変容を迫る可能性のあるものであった。そのような文化的ヘゲモニーは時期的に変化していくのであって、動態的にとらえる必要性を同論文は指摘している。金志善論文は、音楽プログラムの分析を中心としながら、放送編成におけるトランスカルチュラルな性格を明らかにしている。これは、日本─朝鮮という対立項だけでは見えてこない側面でもあろう。三ツ井崇論文はこのような研究状況を総合し、論点を提示した。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 三ツ井 崇 / 2025)

本の目次

第1章 「植民地期朝鮮のラジオ放送の性格をめぐって─総論にかえて─」
三ツ井 崇

第2章 「京城放送局初期における朝鮮語芸能番組の制作と編成」
李 相吉 / 森山 博章 訳

第3章 「植民地期二重放送とダイグロシア」
徐 在吉 / 津川 泉 訳

第4章 「植民地下ラジオ放送の音楽プログラムに関する研究 —1930 年代を中心に—」
朴 用圭 / 岡部 柊太 訳

第5章 「近代京城放送局と女性アナウンサーにおける声の文化の創出」
厳 玹燮 / 金 廣植 訳

第6章 「植民地朝鮮におけるラジオ放送を通じた統制と動員」
姜 恵卿 / 中野 耕太 訳

第7章 「マスメディアの中の日本語教育—ラジオ放送と新聞連載講座—」
上田 崇仁

第8章 「植民地朝鮮における放送、文化的ヘゲモニー、植民地近代性、 1924~1945 年」
マイケル・ロビンソン / 中野 耕太 訳

第9章 「京城放送局(JODK)音楽番組における音楽のトランスカルチャー」
金 志善

あとがき 金 志善
人物・主要用語索引
小説・脚本、曲名索引
執筆者・翻訳者一覧

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