炭酸ガスに敏感なRNAの化学修飾 tRNA修飾とワールブルク効果の関係性
東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻のHuan Lin大学院生(現在、博士)と鈴木勉教授らの研究グループは、ヒトミトコンドリアにおけるtRNA修飾の生合成を研究する過程で、細胞内の炭酸ガスや重炭酸イオン(HCO3-)濃度によって、tRNA修飾が変動する現象を捉えました。
N6-スレオニルカルバモイルアデノシン(t6A)(図)は、アデニンのN6位に重炭酸由来のカルボニル基とL-スレオニンが結合したtRNA修飾の一種です。t6AはANNコドンを解読するtRNAのアンチコドン3’隣接塩基(37位)に存在し、タンパク質合成の様々な段階において重要な役割を担っています。t6Aはバクテリアからヒトに至るほぼすべての生物が持っており、多くの生物の生育に必須であることが知られています。
研究グループは、ヒトミトコンドリアtRNAのt6A修飾の生合成にYRDCとOSGEPL1の二つの酵素が関わることを見出しました。実際に、ヒト細胞でOSGEPL1をノックアウトするとt6A修飾が消失すること、また、ミトコンドリアにおけるタンパク質合成能が顕著に低下し、ミトコンドリアの機能異常が生じることを明らかにしました。さらに、これら二つの組換えタンパク質を用い、試験管内において、L-Thr、HCO3-、ATP、tRNAの4つの基質の存在下で、t6A修飾の再構成に成功しました。反応の速度論的な解析を行ったところ、HCO3-に対するKm値が31 mMと異常に高い値を取ることがわかりました。ミトコンドリア内のHCO3-濃度は10~40 mMであると見積もられており、t6A修飾の律速はHCO3-濃度であり、生理的な条件でt6A修飾がダイナミックに変動する可能性が示唆されました。実際に、ヒトの細胞を低いHCO3-濃度の培地で培養したところ、複数のtRNAでt6A修飾率が顕著に減少する結果を得ました。一般的に、tRNA修飾は安定で変化しないものであると考えられてきましたが、この結果からt6A修飾はHCO3-濃度を感知してダイナミックに変化することが判明しました。t6A修飾の低下は直接的にtRNAの暗号解読能に影響するため、細胞が置かれた環境や呼吸の状態によって、ミトコンドリアの翻訳が制御されると考えられます。この研究は細胞内メタボライトの濃度を感知してtRNA修飾を変化させることで、遺伝子発現を制御するという、これまでにない新しい概念を提供するものです。がん細胞は低酸素環境下でミトコンドリアの活性を低下させ、嫌気的解糖系を更新させるというワールブルク効果が知られていますが、細胞内CO2の大半は呼吸から生じることを考えると、t6A修飾のCO2感受性は低酸素時にミトコンドリアの翻訳を低下させることで、嫌気的解糖系へとシフトさせる本質的なメカニズムである可能性が考えられます。
「『最も有名かつ重要なtRNA修飾が、炭酸ガスというとても単純な代謝物によって制御される』ということがわかり、とても興奮しました。なぜならば、この発見は、tRNA修飾が安定で変化しない、というこれまでの常識を打ち破るからです」とLin博士は話します。「これはtRNA修飾が代謝制御を受けることを示した重要な成果であり、生命科学に新しい分野を切り開く発見です。今後、RNA修飾が細胞内の代謝物に制御される他の例が報告されることを期待しています」と今後の展開に期待を寄せています。
論文情報
Huan Lin, Kenjyo Miyauchi, Tai Harada, Ryo Okita, Eri Takeshita, Hirofumi Komaki, Kaoru Fujioka, Hideki Yagasaki, Yu-ichi Goto, Kaori Yanaka, Shinichi Nakagawa, Yuriko Sakaguchi, Tsutomu Suzuki, "CO2-sensitive tRNA modification associated with human mitochondrial disease," Nature Communications Nature Communications: 2018年5月14日, doi:10.1038/s41467-018-04250-4.
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