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EAAトークシリーズ「アートを通じて空気をする」第1回 後援:ダイキン東大ラボ

掲載日:2023年10月2日

基本情報

区分 講演会等
対象者 社会人・一般 / 在学生 / 留学生 / 卒業生 / 企業 / 大学生 / 教職員
開催日(開催期間) 2023年10月26日 18時30分 — 20時
開催場所 駒場地区,ハイブリッド
会場 対面:駒場IIキャンパス S棟プレゼンテーションルーム(開場時間:18:00)
https://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_04_16_j.html

オンライン:Zoom開催
定員 135名
参加費 無料
申込方法 要事前申込
対面、オンラインともに要事前申込み
参加を希望される方は、下記のフォームより参加登録ください。https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScLdlHh_M9Qd_0R-z907KrZKjvmKVDBI6QwwgJZhXZx_9tiPw/viewform
第1回セッションでは手話通訳と文字通訳が付きます。対面参加に際して手話通訳に近い座席をご希望の場合は、フォーム上の「事務局への連絡事項」欄にその旨ご記入ください。

登録頂いたメールアドレスに、当日午前中までを目処に会場案内あるいはオンラインアクセス案内を送付いたします。
申込受付期間 2023年9月28日 — 2023年10月26日
お問い合わせ先 東アジア藝文書院(EAA)担当:野澤俊太郎
E-mail:nozawa*g.ecc.u-tokyo.ac.jp
※メールを送信する際は、*を半角@マークに変更してください。

ダイキン東大ラボ後援EAAトークシリーズ

アートを通じて空気をする(Doing Air through Arts)
第1回「たゆたう肌の上の空気」

このほど、本トークシリーズの第1回セッションにおいて、手話通訳と文字通訳を付けることになりました。詳細につきましてはEAAイベントページをご覧下さい。(2023年10月19日更新)

本トークシリーズでは、現代アートから見える物理的な空気、あるいは雰囲気としての空気をテーマにして、日頃気にかけることのない空気の世界について考えてみたいと思います。毎度アーティスト、美術批評家、キュレーター等の方々を2名ずつお招きして、制作過程における空気、制作過程において遭遇した空気、あるいは「空気をする(doing air)」体験についてお話し頂きます。シリーズ全体を通じて、あまり意識されることのない空気を取り巻く多様なつながりや影響関係等を現代アートとともに追体験し、空気がいかに人々や動植物等の「協存」「協同」を促進しているかについて議論してみたいと思います。

第1回は「たゆたう肌の上の空気」です。

アーティストの百瀬文さんと文化研究者の山本浩貴さんをお招きします。

多くのアーティストにとって、空気そのものが作品の題材になることは必ずしも多くありません。今回のセッションでは、まず百瀬さんにご自身の映像作品等を振り返って頂きます。そして、百瀬さんと山本さんによるディスカッションを通じて、百瀬さんの作品が捉える空気の世界、あるいはそれらの作品が浮かび上がらせる私たちの空気に対する認識の世界を追体験していきたいと思います。

【ゲストスピーカー】
百瀬文
アーティスト。映像によって映像の構造を再考させる自己言及的な方法論を用いながら、他者とのコミュニケーションの複層性を扱う。近年は映像に映る身体の問題を扱いながら、セクシュアリティやジェンダーへの問いを深めている。主な個展に「百瀬文 口を寄せる」(十和田市現代美術館、2022年)、主なグループ展に「国際芸術祭 あいち2022」(愛知芸術文化センター、2022年)、「フェミニズムズ/FEMINISMS」(金沢21世紀美術館、2021年)など。主な作品収蔵先に、東京都現代美術館、愛知県美術館などがある。

山本浩貴
文化研究者、アーティスト。1986年千葉県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、ロンドン芸術大学にて修士号・博士号取得。香港理工大学ポストドクトラルフェロー、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教を経て、2021年より金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科芸術学専攻講師。単著に『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』(中央公論新社、2019年)、『ポスト人新世の芸術』(美術出版社、2022年)、共著に『レイシズムを考える』(共和国、2021年)、『新しいエコロジーとアート まごつき期」としての人新世』(以文社、2022年)など。

【言語】日本語

【トークシリーズ全体の論点】

物理的な空気、あるいは雰囲気としての空気を認識する行為は、往々にして何らかの出来事を伴っている。そのような出来事の積み重ねが人々にとっての空気の世界をつくり上げているとすれば、それらは行為主体である生身の人間や共同体の中に織り込まれている。誰かの空気は誰しもの空気ではない。それらはむしろ、相対的な世界である。
現代アートは、私たちの知らない空気、まだ見ぬ空気を可視化しているであろうか?個々の、あるいは共同体の経験に織り込まれた空気の世界を表現しているであろうか?それらが内包する人間以外の存在を含んだ他者性は、現代アートを通じていかに前景化されているであろうか? 詰まるところ、現代アートは、空気を取り巻く意識上隠されたつながりや影響関係を浮かび上がらせているであろうか?そして、空気はいかに人々や動植物等の「協存」「協同」を促進しているであろうか?

【主催】
東アジア藝文書院(EAA)

【後援】
ダイキン東大ラボ

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