GSIセミナー 後藤はる美 ポスト真実の時代の歴史学
基本情報
区分 | 講演会等 |
---|---|
対象者 | 社会人・一般 / 在学生 / 教職員 |
開催日(開催期間) | 2024年7月25日 15時 — 16時30分 |
開催場所 | 駒場地区,ハイブリッド |
会場 | 対面:東京大学 駒場Iキャンパス18号館4階 コラボレーションルーム1(開場時間 14:45~) https://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_17_j.html オンライン:Zoomウェビナー お申込いただいた方に、ZoomのURLをお知らせします。 |
参加費 |
無料
|
申込方法 | 要事前申込
以下のリンクより事前登録をお願いいたします。 https://u-tokyo-ac-jp.zoom.us/webinar/register/WN_Kl9r9st5ThGmfqtIP4SAQA 対面参加・オンライン参加とも、上記のURLから事前に登録する必要があります。 その際、対面参加の場合は、姓名の後に〇印を付してください(記入例:東大 太郎 〇)。 定員:対面20名程度、オンライン200名程度 |
申込受付期間 | 2024年7月19日 — 2024年7月25日 |
お問い合わせ先 | グローバル・スタディーズ・イニシアティヴ(GSI)事務局 contact*gsi.c.u-tokyo.ac.jp ※メールを送信する際は、*を半角@マークに変更してください。 |
GSIセミナー 後藤はる美「ポスト真実の時代の歴史学:近世イギリスにおける感覚と感情」
【司会】
國分功一郎(総合文化研究科超域文化科学専攻)
國分功一郎(総合文化研究科超域文化科学専攻)
【コメンテーター】
伊達聖伸(総合文化研究科地域文化研究専攻)、大石和欣(総合文化研究科言語情報科学専攻)
伊達聖伸(総合文化研究科地域文化研究専攻)、大石和欣(総合文化研究科言語情報科学専攻)
【要旨】
近年、歴史学の分野では、過去の人びとの感情や感覚のありかたへの関心が高まっている。数百年前の人びとは、私たちと同じように喜び、怒り、痛みを感じ、涙したのだろうか?ある感情は、時代によって姿を変えたり、新しく現れたり、消えたりするのだろうか?
欧米圏で2000年前後に始まる感情史の隆盛は、しばしば「感情論的転回」ともよばれ、神経生理学や人類学など、他分野との学際的交流のなかで展開したところに特徴がある。同時にこの動きは、現代社会において人びとの関心が感情へと向けられたこととも深く関係するように思われる。2016年にオクスフォード辞書が「今年の言葉」に指定した「ポスト真実」は、感情が世論形成にもたらす影響に注目した語であった。
本報告は、歴史のなかの感情と感覚の問題を、近世イギリスを主要な対象に考察する。16~18世紀のヨーロッパは、ルネサンスから宗教改革のなかで、それまでの「真実」が崩壊し、活版印刷術の普及によりコミュニケーションの性質が劇的に変化した時代である。他方で個々人の身体は、個人のものとしてよりは、いまだ社会的身体としてイメージされていた。たとえば、17世紀のある敬虔なプロテスタントの領主夫人は、地元でのペストの流行に際して集団祈祷を組織し、神との和解による終息をめざしたのだった。生理学によって普遍的なものと定義される以前の身体をもつ近世人の感情や感覚には、どのように、どこまで、史料から迫ることができるのか?こうした問題を「感じる」身体に注目しつつ考察してみたい。この作業は、現代における感情の問題を問い直すための、ささやかな手がかりともなるはずである。
近年、歴史学の分野では、過去の人びとの感情や感覚のありかたへの関心が高まっている。数百年前の人びとは、私たちと同じように喜び、怒り、痛みを感じ、涙したのだろうか?ある感情は、時代によって姿を変えたり、新しく現れたり、消えたりするのだろうか?
欧米圏で2000年前後に始まる感情史の隆盛は、しばしば「感情論的転回」ともよばれ、神経生理学や人類学など、他分野との学際的交流のなかで展開したところに特徴がある。同時にこの動きは、現代社会において人びとの関心が感情へと向けられたこととも深く関係するように思われる。2016年にオクスフォード辞書が「今年の言葉」に指定した「ポスト真実」は、感情が世論形成にもたらす影響に注目した語であった。
本報告は、歴史のなかの感情と感覚の問題を、近世イギリスを主要な対象に考察する。16~18世紀のヨーロッパは、ルネサンスから宗教改革のなかで、それまでの「真実」が崩壊し、活版印刷術の普及によりコミュニケーションの性質が劇的に変化した時代である。他方で個々人の身体は、個人のものとしてよりは、いまだ社会的身体としてイメージされていた。たとえば、17世紀のある敬虔なプロテスタントの領主夫人は、地元でのペストの流行に際して集団祈祷を組織し、神との和解による終息をめざしたのだった。生理学によって普遍的なものと定義される以前の身体をもつ近世人の感情や感覚には、どのように、どこまで、史料から迫ることができるのか?こうした問題を「感じる」身体に注目しつつ考察してみたい。この作業は、現代における感情の問題を問い直すための、ささやかな手がかりともなるはずである。