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「仏教を科学する」をモットーに、仏教の歴史と思想的源泉を探る。| UTOKYO VOICES 054

掲載日:2019年3月28日

UTOKYO VOICES 054 - 東洋文化研究所 南アジア研究部門 准教授 馬場紀寿

東洋文化研究所 南アジア研究部門 准教授 馬場紀寿

「仏教を科学する」をモットーに、仏教の歴史と思想的源泉を探る。

1990年代後半、バックパッカーとして訪れたスリランカや東南アジアでは、上座部仏教といわれる仏教が信仰され、古代インドの言語であるパーリ語の仏典に由来する言葉が多く使われていた。

パーリ語は現代のインドでは誰も話す人がいない、いわば死んだ言語なのに、だ。「スリランカや東南アジアではパーリ語が日本語でいうところの漢語、英語でいうところのラテン語のような存在で、異国から入ってきて根づいていたのです。言葉にまで影響を及ぼす仏教の歴史って面白いと思いました」と馬場は振り返る。

「行雲流水」という言葉がある。雲や水のように、修行者が一か所にとどまらず、あちこちを巡って学んでいくことだ。かつて仏教の修行者はまさに「行雲流水」のごとく遍歴した。その結果、仏教は地域を超え、広いネットワークを作り、インドからアジア全域に及ぶ大きな文化圏を生み出したのだ。

そんな仏教の波及を目の当たりにした旅先での経験から、大学院では「仏教を科学する」をモットーに、上座部仏教について、社会に大きな影響を与えた文化現象として実証的に研究しようと博士論文を仕上げた。「審査した先生たちからは厳しいコメントもありました。私の論文には3つの主題があったのですが、それらがつながっていなかったのです」。

それから東大の助教になり、2006年にケンブリッジ大学に留学してからも、四六時中、博士論文の問題を考え続けていた。転機が訪れたのは翌年、ナポリの大学で研究発表した後、中世の街並みがそのまま残るトスカーナ地方のシエナを旅したときのことだ。

「旅行中も博士論文のことが頭を離れませんでした。ところがシエナにあるカンポ広場を見渡せるカフェでメモ帳とペンを取り出した瞬間に閃いて、問題がきれいに解決したのです。自分でひそかに『シエナの奇跡』と呼んでいますが、研究の主軸となる論理展開が出来上がったのです」

これで世界の研究者たちと互角にやりあっていく覚悟と自信を得た馬場は帰国後、その内容を最初の著作『上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ』にまとめた。

次に取り組んだのは、最も古い時代の仏教である初期仏教の研究だ。まず仏教の起源を明らかにするために、パーリ語、サンスクリット語などさまざまな言語の仏典を比べて、遺伝子の配列を読み解くように古い部分を特定していった。

そして、初期仏教の思想を探った。仏典を歴史の文脈の中で読み解いていくと、古代インドにおける釈迦の言葉の意味が分かってくる。仏典を資料として批判的に検証した上で、それを取り巻く歴史的状況を考察し、文献学的に正確な読解をめざす。それに挑戦したのが2018年に上梓した『初期仏教―ブッダの思想をたどる』(岩波新書)だ。

旅先で出会った「奇跡」をきっかけに、馬場の研究者人生は着実に開かれていった。仏教の言葉や思想の発展過程を探究するその先に、見据えることがある。

「今、日本をはじめ世界中で社会の分断が露わになっています。このままでは人々の間で不安が増し、格差がますます広がっていきます。それを押しとどめることができるのは人々の信頼関係の広がりをもう一度作ることができるかにかかっています。そこで一旦ネットワークができれば仏教のようにまたたく間に拡がるのではないでしょうか」。ひとつの場所や考え方に縛られず広く教えを求めた修行者。そうした指向を持つ人たちが核になったネットワークが次の時代を作っていくと、馬場は確信している。

(小物)

Memento

タイ王室の援助で出版されたパーリ語の聖典三蔵。2008年に東大に寄贈された。

(直筆コメント)「病は一師一友の処にあり」

Maxim

師や友を一人に限るのではなく、様々な人と出会うことで、多くのものを得ることができる。仏教の根本思想であり、馬場が心がける学者としての基本的な姿勢だ。

Profile
馬場紀寿(ばば・のりひさ)

2006年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。東京大学東洋文化研究所助手(助教)、ケンブリッジ大学ダーウィンカレッジ・リサーチアソシエイト、スタンフォード大学何家基金仏教学センター客員研究員を経て、2010年より東京大学東洋文化研究所准教授。専門は仏教学。日本南アジア学会賞、日本印度学仏教学会賞、東方学会賞、日本学術振興会賞などを受賞。著書に『上座部仏教の思想形成――ブッダからブッダゴーサへ』(春秋社)、『初期仏教 ブッダの思想をたどる』(岩波新書)など。

取材日: 2019年1月8日
取材・文/菊地原 博、撮影/今村拓馬

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