人間は哲学をせずに生きていくことはできない。| UTOKYO VOICES 061
大学院人文社会系研究科 基礎文化研究専攻 哲学専門分野 教授 納富信留
人間は哲学をせずに生きていくことはできない。
古代ギリシア哲学を専門とする納富だが、子ども時代は理系寄りの少年で、毎月のように渋谷のプラネタリウムに通っていたという。
進路を考え始めた中学3年の夏休み、カント研究の権威・岩崎武雄による『哲学のすすめ』を読んでみると、「すべてに通じる根本を勉強するのが哲学」とあり、まさに「ガーン!」としかいいようのない激しい衝撃を受けた。天体に思いをはせる感覚ともどこか共通する哲学の底知れなさに少年の心は躍った。
それを機に哲学の本を好んで読むようになったが、進路をやや曖昧にした形で東大文科三類に進学。大学で改めて哲学の面白さを実感し、「文学としても哲学としても波長が合った」というプラトンを専門テーマに選んだ。
ギリシア哲学は「根本」という意味で一番ストレート。中でもプラトンは「人間はなぜ、どのように哲学ができるのか」を追究しており、「自分もそこを徹底的に考えたいと思った」と納富は話す。
世界中のどこでも誰とでも議論できるのが哲学の面白さだが、中でもプラトンは「あらゆる主題に万能で、哲学とは何かを確立した存在」であり、古今東西、森羅万象すべてはつながっていることを体現する「哲学の共通言語」のような、巨大でありがたい存在であるという。
東大博士課程を中退し、ケンブリッジ大学で書き上げた博士論文は、プラトンによるソフィスト(授業料をとる知識人であり、詭弁家として非難される)への批判を読み解いたもので、『The Unity of Plato's Sophist: Between the Sophist and the Philosopher』(邦題『ソフィストと哲学者の間―プラトン「ソフィスト」を読む』)として、ケンブリッジ大学出版会から書籍化されている。
博士論文が同出版会から刊行されることは稀であり、要求されるレベルを満たすため現地に1年残って補足作業を行うなど刊行まで計4年をかけた労作だが、今や世界レベルで読み継がれるソフィスト研究のスタンダードとなっている。
「先を見ず、面白くてやっているうちに研究者になってしまった」と自らの歩みを振り返る納富だが、人間は生きている限り哲学するものであり、それをせずに生きていくことはできないと考えている。
「知る」ということは「わからない」ということを自覚することであり、「死とは」「無とは」「幸福とは」など、わからないことを自覚しながら探究する行為そのものが哲学だという。正解はないかもしれないが「考え続けることで、人間は前進、成長、進歩することができる」。それができるのは人間の特権であり、諦めずに続けることが大切だと話す。納富はそのあり方を「向き合って生きる」と表現する。
人は哲学することによって、自らの考え方に気づき、それを鍛え、「どういうことを心の中に持っておくべきか」を知る。つまり主体的に生きるには哲学が必要であり、その土台づくりのためにも「大学という場でこそ皆に哲学を学んでほしい」という。
「今後も哲学の裾野を広げるため、翻訳や入門書などを通じて、わかりやすく伝える手助けを末永く続けていきたい」と穏やかに語る。そんな納富の佇まいには、少年の日の感動を心の真ん中に持ち続けて日々を生きることの幸福と清々しさがあった。
授業や研究で用いるギリシア語のテキストは、しっかり読み込むために原語のままノートに書き写す。「手で書くと覚える」といい、左ページに原典、右ページにメモ書きの構成で、「ボロボロになったらテープで補強して使い続ける」
プラトンが著した『ソクラテスの弁明』の中に出てくる言葉。ここでいう「魂」とは「本当の私」のことであり、「それに目を向けなさい。それが幸せにつながる」とソクラテスが語ったとされる。
Profile
納富信留(のうとみ・のぶる)
東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士課程中退後、1995年ケンブリッジ大学大学院で古典学の博士号を取得。1996年秋から九州大学文学部(講師、助教授)、2002年春から慶應義塾大学文学部(准教授、教授)で哲学を教え、2016年春より東京大学に移籍。その間もオランダ・ユトレヒト大学で在外研究を行う傍ら、世界各地で開催されたギリシア哲学の国際学会・ワークショップに多数参加、精力的に研究発表や講義を行ってきた。2007~2010年国際プラトン学会会長、現在はFISP(哲学系諸学会国際連合)運営委員。
取材日:2019年1月16日
取材・文/加藤由紀子、撮影/今村拓馬