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旅する書物を追って中国から日本にやって来た研究者。| UTOKYO VOICES 082

掲載日:2020年4月23日

UTOKYO VOICES 082 - 大学院人文社会系研究科 アジア文化研究専攻 教授 陳 捷

大学院人文社会系研究科 アジア文化研究専攻 教授 陳 捷

旅する書物を追って中国から日本にやって来た研究者。

「子どもながらに、世の中に大きな変動が起きていることは日々感じていました」
陳の小学生時代は、中国を吹き荒れた文化大革命の後半に当たっていた。

学校の授業では孔子の言葉を批判することもあった。その時々の政治情勢次第で、子どもの本に出てくるような歴史上の人物の評価すらころころ変わった。

陳が古文献学に惹かれたのはそのためだ。史料研究ならば、誰かの価値観による評価を教わるのではなく、史料を直接見て自分の頭で判断できる。

北京大学に進み、中国古典の研究者となった陳は1994年に日本を訪れた。目的は、中国では失われた中国の古典籍を日本で探すこと。調査を進めるうちに、明治時代に来日した中国人が日本で漢籍を探し集めた時の記録に出会った。

「彼らは日本語が話せないので、日本人と情報交換する際には漢文で筆談をしていました。当時の筆談メモや書簡、日記などの資料を読むと書物がたどった道筋を知ることができます。しかしそうした探索の詳細は誰も研究していなかったので、私はそれを調べることにしたのです」

“書物の移動史”ともいうべきこの研究は書物の移動ルートを描き出すだけではない。その背景にはさまざまなストーリーや社会情勢が見えてくる。

「明治初期の日本では、西洋志向や廃仏毀釈など社会の変動や価値観の変化によって、漢籍を含め古典籍や美術品が大量に海外へ流出しました。中国にも多くの漢籍が移動しています」

陳は調査で、この時期の書物の移動は中国人の学者によるものだけでなく、商業的なルートも存在していたことを明らかにした。

しかし明治後期から大正時代には、日本で力をつけた財閥や新設された研究機関が美術品や漢籍など文化的に価値の高い文物を海外から収集した。一方、そのころ清朝が終焉を迎えようとしていた中国では、多くの文化財が海外に流出。この時期、書物は中国から日本へ、すなわち明治初期とは逆方向に移動している。

「そしてこの20年ほどは中国経済が発展し、書籍の流れが中国へ向かっています。歴史研究で見てきたことが自分の目の前で再現されていく面白さを感じています」

筆談や書簡などの史料からは、漢籍を探す中国人と、協力した日本人との交流の様子も垣間見える。異文化の人間同士の衝突も、思わぬ相互理解の喜びもうかがえる。書物の移動史とはさまざまな階層の人々による、国をまたいだ交流史でもある、と陳は言う。

近年、日中間で人々の接点は急激に増えている。にもかかわらず、必ずしも相互理解が進んでいるとは言いがたい場面は多い。

「しかし書物の移動史は、相互理解には“体験”と“時間”が必要であることを教えてくれています。人は、異なる価値観を持つ人との直接的なやりとりを積み重ねることで自分の価値観を相対化することができる。それこそが相互理解の出発点だと思うのです」

名もなき史料を読み解きながら、陳は誰のものでもないオリジナルな視点で歴史に光を当て、そこに新たな意味を見出していく。

小物

Memento

陳が日本で見つけた書簡。明治時代に来日した中国人が日本人に送ったもので、どうやら多大な迷惑をかけたらしく詫びの言葉が見える。調査にはこうした史料のサイズを測るための巻き尺も欠かせない。

直筆コメント

Maxim

書物の本当の意味を知るには、よく学び、深く思索をめぐらさなくてはいけない。――司馬遷『史記・五帝本紀』の一節だ。「自分の指針となる言葉であり、指導する学生にも必ず伝える言葉です」。

Profile
陳捷(チン・ショウ)

北京大学中国語言文学系修士課程を修了後、同大学で専任講師を務め、1994年に来日。慶應義塾大学附属研究所斯道文庫、東京大学東洋文化研究所で研究に従事し、1995年東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東アジア思想文化専門分野)博士課程に入学。2001年博士号取得。日本女子大学人間社会学部文化学科助教授や国文学研究資料館研究部教授などを歴任し、2017年より現職。日本と中国の書籍文化・学術交流史を研究している。

取材日: 2019年11月18日
取材・文/江口絵理、撮影/今村拓馬

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