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軍事・安全保障研究から見るロシア・ウクライナ戦争

掲載日:2023年2月22日

ロシアによるウクライナ侵攻が始まって1年が経過しました。この戦争の特徴やこれからの安全保障について、東京大学先端科学技術研究センター講師の小泉悠先生に聞きました。


 

歴史に復讐される現在

―― この戦争を軍事面で見たときの特徴はどのような点ですか?

二つの規模の大きな国家が兵力を全面的に投入して戦っているのが、今回の戦争の大きな特徴です。それも最初からロシア連邦軍が前面に出てきています。

ロシア・ウクライナと近隣諸国
ロシア・ウクライナと近隣諸国

ロシア軍がふだんと違う動きを始めていることは開戦前から指摘されていました。それは衛星画像からわかりますし、鉄道で戦車が運ばれる様子を沿線住民が撮影したTikTokの動画などを集めて分析すると、どの部隊がいつ、どこを通って移動したかも把握できます。すると、極東の東部軍管区やシベリアの中央軍管区の部隊が、はるか遠いベラルーシなどウクライナ周辺まで大挙移動して、集結していたのです。私はロシア軍の大演習を15年ぐらい毎年観察してきましたが、このような大規模な兵力移動はこれまで見たことがありませんでした。あの広いロシア全土から兵力をかき集め、いきなり正規軍の主力部隊を投入して攻め込んだのです。

これに対しウクライナも全軍を動員し、さらに開戦直後に総動員令を発令しました。ウクライナ共和国軍は平時で19万6000人ほどですが、今回の戦争では、正規軍のほかに、動員された民間人らを中心に組織した領土防衛隊、さらに準軍事組織や警察、外国人義勇兵なども加えて、100万人の兵力で対抗している状況です。こうなるとロシアも当初の兵力だけでは対抗できなくなったので、民間軍事会社「ワグネル」、コサック、チェチェン兵などをかき集め、2022年9月には30万人の部分動員に踏み切りました。

いずれもソ連の後継国家であるロシアとウクライナでは、軍事的な制度が日本よりもはるかに社会の中に浸透しています。また実際に、ソ連崩壊以降、ロシアは常にどこかで戦争をしてきたため、軍事と社会の距離が非常に近いといえるでしょう。2014年からロシアと戦争状態にあったウクライナも同様です。

―― 21世紀になって、過去のことだと思っていた国家間戦争が起こってしまった。

今回の戦争が始まる前、NATO加盟国の間では、国家間戦争などもはや過去のことで、とりわけヨーロッパはそんなこととは無縁の場所だという雰囲気がありました。ところが、それが目の前で裏切られた。そのショックはヨーロッパの人々にとって大きいと思います。

今回の戦争で出てくる地名からして、80年前の第二次世界大戦とそっくりなんですね。例えば、1943年に独ソ間のクルスク大戦車戦で焦点となったプロホロフカという場所がまた登場してきました。大戦中のドイツの重戦車と今のロシア軍の主力戦車はだいたい同じ重量です。すると戦車が行動できる場所や補給を行える場所は限られてくるので、同じような場所で似たようなことが起こるのです。まるで80年前の歴史に復讐されているような感を抱きます。

それはウクライナの占領地域でのロシア兵の振る舞いからも感じられます。100年前、200年前の軍隊の蛮行ではなく、2020年代に現代のロシア兵が無実の人々を殺し、性的虐待を加え、家財道具を略奪しています。結局、人類は80年前の戦争に学んで、あのような戦争を起こりにくくするよう努めてきましたが、完全に抑止はできなかった。そして戦争が起これば、そこで人間がやることにはあまり変わりはない。その意味では、我々は歴史を克服してなどいなかったと言わざるをえません。

変わらない戦争の本質

―― 今回の戦争は、歴史的にはどのような位置づけにあるとお考えですか?

2000年代初頭の国際関係論では、冷戦が終わって国際秩序が新しいステージに入りつつあるという認識が強くありました。経済や環境、人権が国際関係の基調となりつつあり、国と国との関係だけではとらえられない巨大企業やNGOといったアクターや、国を越えた地域単位の経済関係を重視する議論が盛んになされました。しかし一方で、19世紀的な国際秩序や国家間の大規模戦争の危険は完全に過去のものになったわけではなかった。今回の戦争では、依然として国民国家が国際関係の中心にあり続けていること、そして国家間ではいまだに大規模な戦争が起こりうるということが明るみに出たと思います。

もちろん、戦争における個別の特徴(character)は変わります。かつて500mの距離で戦っていた戦車が2000mで戦えるようになり、時速700kmしか出なかった戦闘機が今はマッハ2.5で飛びます。しかし、敵の野戦軍を撃滅して土地を占領し、それによって自らの意志を相手に強要する、という戦争の根本的な性質(nature)が変わったわけではありません。

世界史上、戦争の性質が変わるときが何度かありました。戦争で敵を完膚なきまで負かして相手を従えることは当たり前に思えますが、近代以前の戦争ではそんなことはできませんでした。軍隊は君主の私有財産なので、徹底的に戦って損害が大きくなっては困りますし、産業も財政基盤も脆弱なので、装備や物資を量産・供給することも難しい。そもそも民衆はまだ「国民」ではないので、自分から国のために戦おうなどと考えたりしません。このため戦争は、金をかけてつくった小規模な軍隊を大事に使って、ある種儀式のように行われたのです。

ところがナポレオン(1769-1821)が登場すると、これが一変します。自分たちを「国民」=ネーションだと自覚した人々で構成される巨大な軍隊が出現し、ものすごい犠牲を出しながら大戦争を繰り広げる時代がやってきたのです。つまり、フランス革命とナポレオン戦争を通した国民国家と国民軍の出現、それを支える近代工業といった、大きな時代の潮流が戦争の性質そのものを変えたのです。

このような変化は、人類の歴史の中で数度しか起こっていません。この先、AIはじめテクノロジーの発達によって戦争の性質自体の変化も起こるかもしれませんが、今のところそれはまだSFの領域にとどまっており、昨今の戦争も結局昔のスパイや軍人たちがやってきたことの繰り返しに見えます。その点では、今回の戦争は第二次世界大戦と異なるパラダイムの上にあるわけではなく、戦闘の特徴は違うけれども同じ性質の戦争といえると思いますし、これは当面変わらないのではないでしょうか。まだ我々は長い近代の影の中で生きていて、その影の中で戦争をする以上は同じようなことが起こるのだということを感じさせられます。

―― ロシアとウクライナの軍事力や戦略にはどのような特徴がみられるでしょうか?

ウクライナ全土と戦線
ウクライナ全土と戦線

今回の戦争は、ロシアの軍事力を考え直す上でも非常に興味深い契機だと思います。これまでロシアの軍人たちは、米軍にどうやって対抗するかは真剣に考えますが、ウクライナやジョージアといった旧ソ連の国々が相手なら楽々勝てると思ってきたフシがあります。通常戦力ではもちろん優勢だし、最近では偽情報やテロ、限定的な空爆を組み合わせて相手国内で内乱を引き起こせば公的な戦争に訴えずして勝てるという議論が隆盛を極めていました。「新世代戦争」理論とか「新型戦争」理論と呼ばれるこれらの非在来的闘争理論は、旧ソ連諸国が標的だと名指しはしないのですが、2008年のジョージアとの戦争や2014年の最初のウクライナ侵攻を契機として登場してきたものなので、要は旧ソ連諸国への介入戦略という性格が強いものと言えるでしょう。

ところが実際に戦争を始めてみると、勝てない。偽情報戦やサイバー戦ではウクライナは屈服しなかったし、全面的な武力侵攻になっても負けずに抵抗を続けた。これはロシア軍にとっても、外部の観察者にとっても、予想外の展開だったと思います。ウクライナ自身もここまでやれるとは思っていなかったかも知れません。

それは、やはりウクライナがある程度自力で戦えるだけの軍事力を持っていたこと、そしてロシアに屈しないという国民の士気があることが大きいと思われます。ウクライナ軍は、最初の1ヶ月間たいした軍事支援もない中で持ちこたえ、首都キーウと第二の都市ハルキウを守り抜きました。西側諸国は最初は冷淡でしたが、ウクライナ軍が持ちこたえたので、3月末になって榴弾砲や装甲車、防空システムを供与する方針を決めました。もう一つ大きかったのは、ゼレンシキー大統領が逃げずに踏みとどまったことです。その国の指導部に、徹底して抵抗するという覚悟があり、その覚悟をうまく国民に伝えるコミュニケート能力があったことは非常に大きな要素です。

逆にロシア側は、あると思っていた実力がなかった、という現実を受け入れられないでいます。それなのに、ロシアの考える秩序が実現されない場合は力を使ってでも果たさなければならないという考えにとらわれ、そのために不釣合いな軍事力を持とうとして、よけいに自分の首を絞めています。開戦前すでにロシアの国防費はGDP比2.6%、連邦予算の15.1%にものぼる約3兆8000億ルーブルに達しており、今年度は補正分を入れて5兆ルーブル以上、GDP比4%近くにもなるとみられています。

ロシアは広大な国土を持っていて、天然資源も豊かだしエリートの教育レベルは高い。帝国であろうとさえしなければ十分幸せに暮らしていける国だと思うのですが、自らが帝国でないことはやはり我慢がならない、という矛盾を抱えているように思います。ロシアがその幻想から解放されたとき、我々はようやくまともに付き合えるようになると思うのですが、どうすればそうなるかは非常に難しい問題です。

「安全保障のジレンマ」のゆくえ

―― 軍事力のバランスはどのように保たれているのでしょうか?

軍事力のバランスがどの状態を以て「安定している」とみなして安心するかは、誰の視点かによって全く違います。それぞれが安定を求めることが、結果的に軍拡につながることもありえます。暴力を行使する側は必要最低限の力を行使する、しかし相手からすれば甘受できず対抗作用が働く、すると最初に暴力を行使した側は敵を消し去らないと安心できない――というスパイラルが発生して、暴力は理論上極限までエスカレートする。このような相互作用を通じて出現するであろう無制限の暴力闘争を、プロイセンの軍人クラウゼヴィッツ(1780―1831)は「絶対戦争」と呼びました。

実際の暴力行使すなわち戦争には至らなくても、軍拡競争にも同じような力学が働きます。これが「安全保障のジレンマ」で、それを避けるために、軍事力の透明性を相互に高める信頼醸成措置が講じられてきました。1990年代のヨーロッパでは、欧州通常戦力(CFE)条約をつくって、兵力の範囲を制限すること、演習時には必ず事前に通告すること、1万3千人以上を演習に動員する場合に欧州安全保障協力機構(OSCE)の全加盟国からオブザーバーを招くことなどが義務づけられました。

OSCE
欧州通常戦力(CFE)条約締約国会議に参加するロシア代表団(2007年7月11日)©OSCE/Mikhail Evstafiev, CC BY-ND 4.0

ところが今回の事態で、信頼醸成は双方が誠実に協力する意思がないと成り立たない、ということが明らかになりました。今回の戦争が投げかける余波として、これからの安全保障のあり方を考え直さなければならなくなると思います。

―― 「安全保障のジレンマ」が現実化しつつあるのはなぜでしょうか?

1990年代は、人類は核戦争によって種として滅びるかもしれないという恐怖と隣り合わせの感覚がありました。ところが、第二次世界大戦のような戦争はもう起こらないだろう、核兵器はあるけれども使われることはないだろう、というその後の国際社会の雰囲気が、ならば多少不誠実に振舞っても大丈夫だろうというロシアや中国のおごりを容認してしまったのではないかと思います。あるいはまた、経済・社会などの複雑な相互依存によって国家はそう簡単に戦争を起こせなくなる、という議論もあったわけですが、むしろ中露はそうしたサプライチェーンを使って自国の軍事力を強化したり、逆に相互依存を武器として西側を縛りつけようとする戦略に出ました。

結果として我々は今、軍拡のスパイラルに巻き込まれつつあります。ロシアに接しているバルト三国やポーランドは以前からですが、他のNATO諸国でも国防予算をGDP比2%以上に引き上げるという話になっています。この軍拡競争をどう止めるかは、軍事の論理からは出てこず、それは現実の政治の役割です。しかし、現代の戦争では最終的に核兵器が使用される可能性が排除できません。

今回の戦争を見て、すっかり過去のものになったと思っていたことが実はどこにも去っていなかった、見えにくくなっていただけだったという感を持ちました。戦争の着地点はまだ見えませんが、軍事に着目することで、人類が歴史の中で克服したと思っていた危機の真ん中、つまり極めて危険な場所に私たちは今立っている、というアラームを鳴らすことはできると思っています。

 

*ウクライナの人名・地名はウクライナ語による読み方に基づいて表記しています。

 
小泉先生写真2

小泉悠
先端科学技術研究センター講師

早稲田大学大学院政治学研究科修了(政治学修士)。外務省国際情報統括官組織専門分析員、東京大学先端科学技術研究センター特任助教などを経て、2022年より現職。著書に、『プーチンの国家戦略』(2016年、東京堂出版)、『「帝国」ロシアの地政学』(2019年、東京堂出版)、『現代ロシアの軍事戦略』(2021年、筑摩書房)、『ウクライナ戦争』(2022年、筑摩書房)など。

取材日:2023年1月10日

 
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