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アスリートの身体で起こっていること──スポーツ科学の知見から

掲載日:2024年9月24日

アスリートたちは、どのように身体能力を向上させているのでしょうか。オリンピックや世界選手権で記録が更新される仕組みや、最新の測定技術について、身体の動きや知覚を研究する工藤和俊先生(総合文化研究科)に聞きました。

Sport Science
 

── スポーツ科学とはどのような分野でしょうか?

Prof.Kudo

スポーツ科学は、スポーツを研究対象として生理学、神経科学、心理学、医学、生化学、工学、情報学など、さまざまな領域の知見を総合した応用科学です。パフォーマンス向上と健康増進がスポーツ科学の主な柱となっています。私の研究室では、スポーツ選手、ダンサー、音楽家、俳優などの熟練者がどのように自らの身体を使い、周囲の環境を知覚しているのかについて研究しています。熟練した行為は常に、熟練した知覚と一体になっています。具体的な研究例としては、ダンサーはどのようにして自らの動きを音楽に合わせているのか、レーシングドライバーはどのように周囲の環境を知覚しているのか、陸上競技選手のピッチおよびストライド調整にかかわる知覚情報は何か、などの分析を行っています。

スポーツ科学の知見は、一般の人々の生活や健康増進にも役立ちます。私たちは日々、身体を使ってさまざまな活動をしており、ストレスマネジメントやポジティブシンキング、怪我をしにくい身体づくりなど、スポーツ科学は非常に広い分野に応用されます。駒場キャンパスでの私の授業では、身体作りの基本に加えて、オペラ歌手として活躍する先生をお招きし、姿勢の改善や発声トレーニングを行う試みなどを取り入れることもありました。スポーツ科学の中で研究が進められてきたプレッシャーへの対処法などは、音楽演奏を含む多くの身体パフォーマンスに応用することが可能です。これらの授業をとおして、人前で話すことが苦手な学生も、学期末には見事なパフォーマンスができるようになりました。

進化を続ける身体と測定技術

── 陸上競技選手の動きの計測から、何がわかるのでしょうか?

2017
2009年ベルリン世界選手権大会100メートル決勝(右から2人目:ウサイン・ボルト選手、3人目:タイソン・ゲイ選手) Photo by Erik van Leeuwen. GFDL, 出典:Wikimedia

陸上競技選手の身体運動の計測から、他者を含む周囲の環境が能力を引き出すことが分かってきました。ウサイン・ボルト選手は、2009年ベルリンで開催された世界選手権大会の100メートル決勝で、9秒58という世界新記録を出しました。同大会2位のタイソン・ゲイ選手は、9秒71という自己新記録をマークしました。決勝戦で隣同士のレーンを走った2人の動きを解析した先行研究から、2人のストライドが一部の局面で同期していたことが明らかになっています。これは、2人が別の組で走った準決勝では見られない現象でした。

2021年に鳥取県で開催された布勢スプリント2021では、山縣亮太選手が9秒95で日本記録を更新し、多田修平選手が10秒01で自己記録を更新しました。私たちの研究室では、深層学習法を利用した映像解析ツールを用いて選手の身体座標点を抽出し、2人の動きがどのように関連しているのか解析しました。その結果、2人のストライドは、異なるレースで走っていた準決勝よりも、隣り合うレーンで走っていた決勝において、より一致していることが明らかになりました。(※1)

これらの事例は短距離走ですが、スポーツ全般において、誰かが良い記録を出すと、それにつられて周囲の人々のパフォーマンスが伸びる、と言われることがよくあります。私自身は学生時代に器械体操部に所属していましたが、器械体操の世界でも同様の現象が確認されています。一人が新たな技を成功させるまでには時間がかかりますが、誰か一人が成功し、“ブレイクスルー”が起こると、周りの人々が後に続きます。また、観客の有無もパフォーマンスに影響します。このようなエピソードや、関連する実験結果は、個人の能力が各人の身体のみに内在するものではなく、他者を含む環境との関係性の中で引き出されるものであることを示しています。

TadaandYamagata
山縣選手と多田選手とステップの同期を可視化したグラフ。準決勝(下)に比べて、決勝(上)の動きのほうがより同期している。
出典:https://doi.org/10.21203/rs.3.rs-4661387/v1(※1)

── 最近の測定技術は、どのように進化しているのでしょうか?

最近では、映像から心拍を計測する技術も開発されています。この技術を使えば、例えば、野球のバッターがどれくらい緊張しているのか、心拍から瞬時に読み取ることができます。他には、微細な目の動きを解析する技術も発達してきました。眼球の動きから、その人が何を知覚し、何を考えているのかの手がかりを知ることができます。なかでも、微小眼球運動(マイクロサッカード)は、スポーツにおいてとても重要な情報となる可能性があります。高速カメラで時間解像度を上げて撮影すると、微小眼球運動から、選手が潜在的に空間のどこに注意を向けているのか読み取れるようになる可能性もあります。また、運動中に脳活動を計測する装置も進歩しています。信号/雑音比が改善され、運動中であっても信頼性の高い脳活動データが得られるようになってきました。

これらの技術に加えて、非線形力学系モデルと呼ばれる数理モデルを使って、これまで感覚的な言葉で説明されてきた複雑な変数間の関係も、数式や単位で示すことができるようになりつつあります。スポーツの試合では、相手の情報をより多く持っているほうが有利です。現状では、国際的な試合で選手の情報を解析することに関して、特に規制が設けられていません。アスリートの身体を自由に測定・解析することが可能になった今、技術の悪用や倫理的な問題も懸念されます。公平性と公正性を担保しつつ、技術をどのように活用して、アスリートのパフォーマンス向上につなげるかについては、これからも議論が必要でしょう。

「制約」を乗り越えた先に

── パリ五輪では、ブレイキンと呼ばれるダンススポーツが新競技に採用されました。スポーツ科学からみて、ダンスの上達に必要なことは何でしょうか?

音に対してより多様な動きができるようになると、ダンスを通した表現の幅が広がると考えられています。ダンスパフォーマンスの向上には、いくつかの段階があります。まずは、音に合わせたリズミカルな運動ができるようになり、その運動を複雑化し、洗練させていく段階があります。さらに、これらの運動を自由なタイミングで音楽と組み合わせていくという段階があります。たとえば、熟練者は拍と拍の間のタイミングで自由に動きを入れられるのですが、これは初心者にとって大変に難しいスキルです。単にある運動を行うことと、その運動を特定のテンポやタイミングで行うことは、似ているようで大きく異なります。初心者が熟練者の真似をして踊ろうとしても、拍のタイミングに動きが引き込まれてしまうため、思うように身体を操作できないのです。

このような現象は、「動きの引き込み」(エントレインメント)と呼ばれています。リズミカルな音楽を聞くと体もリズミカルに動くようになったり、隣で踊っている人同士の動きが似てきたり、右手と左手の動きが似てきたり、といった現象も「引き込み」の一種です。引き込みを上手く利用すれば、上手な人の動きに同期して自分のパフォーマンスを向上させることができますが、意図せずに動きに引き込まれてしまうと、思い描いたパフォーマンスが実現できなくなります。例えば、両手を交互に早く動かそうとすると、右手と左手の動きが同期してしまいます。このように、無意識のうちに起こる「動きの引き込み」がダンスにおける「制約」の一つと考えられます。その「制約」を乗り越えたとき、思い通りの自由な表現が可能になるのです。(※2)

── スポーツにおける「制約」には、他にどのようなものがありますか?

もう一つの「制約」には、いわゆる「思い込み」があります。専門用語では認知バイアスといいます。スポーツにおいては、認知バイアスとなる色々な「思い込み」が存在します。例えば、テニスのサーブを打つとき、ぎりぎりのところでエースを狙うとミスが増えます。一方で、ミスをしないように緩くて確実なサーブを打つと、今度は相手に有利になってしまいます。ある人はぎりぎりを狙いすぎてミスが多くなり、ある人は安全なところを狙いすぎて相手に打ち返されてしまいます。つまり、ここが最適だと思っても実は違ったりする、という「思い込み」を克服することで、パフォーマンス向上の可能性が拓かれます。

無限にある選択肢のなかから、コートのどこを狙うのが最適なのかを見極めることで、実力が発揮できるようになります。この狙い場所は、当然ながら熟達レベルによっても変わります。初心者が熟練者を真似してラインぎりぎりのところを狙えば、当然ミスばかりになります。狙い場所はまた、熟達の時間スケールによっても変わってきます。短期的には最適でない狙い場所でも、長期的にみると最適になることがあります。ライン際を狙ってミスばかりしていた初心者であっても、上達してくれば同じ場所が最適な狙い場所になりうるということです。同様の例は、良いプレーとリスクとが隣接している多くのスポーツにあてはまります。このような認知バイアスという足枷から自由になることが、上達の秘訣です。

── 「制約」を乗り越える方法はあるのでしょうか?

諸々の「制約」を乗り越えるためには、それらに関連する変数を見つけていくことが重要です。ダンスに関しては、運動の速度が引き込みに大きな影響を及ぼすことが分かっています。思い通り身体が動かないときは、ピアノ演奏の練習のように、速度やテンポを変える練習が役立ちます。また、「思い込み」の克服には、無意識にあたりまえだと思っていることについて再考することが必要になります。この作業は大変な労力を伴い、一時的にパフォーマンスが低下してしまうこともあります。制約を乗り越えるには、辛抱強く、また忍耐強く自分自身に向き合うことが必要になるのです。

また、一般に運動学習は、いろいろな動きを「探索」(エクスプロレーション)することと、一つの限定した動きを「利用」(エクスプロイテーション)した反復練習のどちらも重要です。あたりまえに思っていることを再考することは「探索」の一例であり、一つのスキルを繰り返し練習することは「利用」の一例です。これらをバランス良く繰り返すことで、動きが洗練されスキルが向上していくのです。

ヒトの身体と可能性

── コンピュータを使った解析技術が進化していますが、ヒトの身体ならではの特徴はありますか?

コンピュータプログラムでヒトの身体や脳を再現しようとする試みがあります。しかし、これらを完璧に再現できたように思えても、実はその振る舞いを予測することはできません。なぜなら脳を含むヒトの身体は環境と不可分の存在であり、環境を含めて丸ごと再現できなければ、ヒトの振る舞いは予測できないからです。現在は地球規模で温暖化が進展しており、地球環境にこの先どのような変化があるのか予測することはきわめて難しい問題です。環境と不可分であるヒトの身体の振る舞いを予測することは、それ以上に難しい問題なのです。始めにお話しした陸上のパフォーマンスは、その具体例です。選手の身体状態に加えて、当日の気象条件や、隣のレーンで走る選手や、観客の応援などが複雑に相互作用した結果として、アスリートの卓越したパフォーマンスが生み出されるのです。一方で、コンピュータを使った解析でわかることは、ごく限定された環境内での身体の振る舞いであり、多様な環境に開かれた身体の振る舞いでないことに留意する必要があります。

私の研究室では、身体の動きの微細な変動を調べています。動きの変動は、身体内部の状態変化によっても、また外力など環境の変化によっても引き起こされます。このように、内部環境と外部環境の変動が重畳し相互作用するとき、動きを完全に再現することは原理的に不可能になります。例えば、同一の動作を繰り返しているように見えても、精密に計測すると、動きは常に少しずつずれています。もともと変動し続けているヒトの身体で、複雑な動きを繰り返し再現すること自体が、奇跡といっても良いでしょう。このことが、人間が身体を使って行うスポーツや芸術が、観客に感動を与え続ける理由の一つかもしれません。私たちの研究では、熟練者が決してこのような変動をなくそうとはせず、一部の変動を保ったまま正確さを実現するという、柔軟な方略を採用していることが分かりました。ヒトであるからこそ生まれる変動に対して、ヒトがどのように対処しているのかという研究テーマは、「人間らしさ」に迫る一つのアプローチなのではないかと私自身は思っています。

参考文献
※1 Furukawa, H., Miyata, K., Richardson, M. J., Varlet, M., & Kudo, K. (2024). Could spontaneous interpersonal synchronization enhance athletes’ performance? A case report on the Japanese 100-m record race. Research Square. https://doi.org/10.21203/rs.3.rs-4661387/v1
※2 工藤和俊, 岡野真裕, & 紅林亘. (2023). 非線形力学系としての身体. 日本物理学会誌, 78(7), 390-398. https://doi.org/10.11316/butsuri.78.7_390

工藤先生

工藤 和俊
総合文化研究科 教授

1998年東京大学大学院総合文化研究科生命環境科学系修了、博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科助教、米国コネチカット大学 知覚と行為の生態学研究センター客員研究員、東京大学大学院情報学環・学際情報学府准教授などを経て2022年より現職。共著に『知の生態学的転回第1巻:身体』(2013年、東京大学出版会)、『東京大学駒場スタイル』(2019年、東京大学出版会)、『身体運動・健康科学ベーシック』(2022年、東京大学出版会)、『知のフィールドガイド 生命の根源を見つめる』(2022年、白水社)、Arts-Based Method in Education Research in Japan (2022年、Brill Sense)などがある。

取材日:2024年7月12日
取材:寺田悠紀、ハナ・ダールバーグ=ドッド

 
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