データ・メディア・テクノロジーで読み解くガザ危機の深層

パレスチナ紛争をめぐる言説について、研究者とジャーナリストたちは、それがいかに公平性や歴史的文脈に関する議論を無視したものであるかを強調して、その転換を求めています。視聴者がより情報源に近いコンテンツに接しうるよう、従来の放送メディアを超える新しいコミュニケーション手段が望まれます。2025年3月に東京大学で開催された国際シンポジウム「Beyond the Headlines」を取材しました。

「ガザ危機は2023年10月7日に始まった」──。欧米のメディアでは、しばしばこのような表現でパレスチナ情勢が報じられています。しかし、東京大学で開催された国際シンポジウム「Beyond the Headlines──データ・メディア・テクノロジーで読み解くガザ危機の深層」に登壇した専門家らは、特定の日付に焦点を当てすぎることの問題点、それによってもたらされる偏りを指摘しました。
10月7日は、パレスチナのハマースが国境を越えてイスラエルのコミュニティに侵入し、約1,200人を殺害、約250人を人質に取った日であり、この事件がイスラエルによる攻撃と戦争の激化を招き、ガザ保健省の計算では5万人を超えるパレスチナ人が命を落としたとされています。
「私たちは、あの日にすべてが始まったわけではないことを知っています。イスラエルによるパレスチナとレバノンを撲滅するための運動は、軍事攻撃の遂行も含めて、過去80年にわたって進行中の出来事なのです。イスラエルの入植植民地主義(settler colonialism)がどんな行いをしているか、私たちは知っています」
パレスチナ・ガザ地区出身で、ニューヨーク大学アブダビ校のハニーン・シェハーデ助教授は、イベント前のインタビューでこう語りました。「10月7日を起点に物語を組み立ててしまうと、イスラエル人入植者に注目が集まり、パレスチナ人の犠牲者が見えにくくなってしまいます。私自身もこの地域出身の研究者ですが、私たちにとっての物語(ナラティヴ)はまったく異なります。焦点を当てるべきはイスラエル側の被害ではなく、パレスチナの植民地化という長く続く歴史です。そして欧米諸国は、その歴史を知りながらも加担してきたのです」
本シンポジウムでは、日本、中東、欧州の研究者、ジャーナリスト、メディア関係者が集い、紛争に関して立場を異にする集団同士の関係、データやテクノロジーの活用と情報発信のあり方について、学際的な視点から議論が交わされました。

「いま私たちが目にしているのは、単なる戦争ではありません。物理的な破壊と同時に認知領域での破壊でもある、二重の破壊行動なのです。欧米の億万長者が旧来のメディアやソーシャルメディアを支配し、政治権力と結託して情報空間を独占しています」
そう語るのは、東京大学情報学環の滋野井公季客員研究員です。「かつては“メディアの民主化”として期待されたものが、むしろ権威主義的な政治支配を強化してきました。膨大かつ互いに矛盾する情報を意図的に氾濫させることにより、反対意見や権力に対する制度的な監視が事実上封じられているのです」
パネリストたちはまた、この紛争をめぐる「単一の視点」、つまりイスラエルや米国政府の視点による物語が、公の場でかつ公平に、十分に検証されることなく流通している現状にも懸念を示しました。
「現在進行しているのは、物理的な破壊にとどまりません。歴史的、文化的、情報的な抹消(erasure)が行われていることを、私たちは目撃しています。民間インフラを意図的に攻撃し、ジャーナリストを弾圧し、偽情報を拡散する行為は、パレスチナの物語を世界の記憶から消し去ろうとする試みです」
そう語るのは、アルジャジーラ研究所の上席研究員で、東京大学との共同プロジェクトに取り組むアラファート・シュクリー氏です。東京大学と、カタールに拠点を置く世界的なメディアエージェンシーであるアルジャジーラは、国連の特別報告者やアムネスティ・インターナショナルなどがパレスチナ人に対する「ジェノサイド」と呼ぶガザの事態を受けて、記録と可視化の取り組みを共同で推進しています。「偽情報が武器化され、SNSのスワイプひとつでコミュニティ全体が“消されてしまう”時代において、今日の講演者の多くが貢献している“Fighting Erasure(抹消に抗う)”プロジェクトのような取り組みは、抵抗の行為でもあるのです。記憶の重要性、生命の重要性、そして真実を完全な状態で保全し共有することが、将来の正義のための力となることを表わしています」
当日は現地の情勢悪化により来日できなかった登壇者も、事前に収録したビデオプレゼンテーションによってさらなる視点を提示し、議論に貢献しました。レバノン系イラク人研究者で、ノースウェスタン大学カタール校博士研究員のマリアム・カリーム氏は、自身が取り組むデジタルアーカイブ「フェミニスト・アラブメディア史“Nasawiyyah Arab Media History”(nasawiyyahはアラブ語で「フェミニズム」の意味)」を紹介。本プロジェクトは、反植民地主義フェミニズムの視点から、20世紀にメディアで働いていたアラブ女性の足跡を掘り起こし、保存しています。彼女は、アーカイブ(記録や資料) を抹消する行為について、歴史的な背景を指摘しました。
「アーカイブの破壊は単なる記録の喪失ではなく、集団的記憶とアイデンティティへの攻撃です。1948年のナクバ(独立宣言によりイスラエルとされた土地から、何十万人ものパレスチナ・アラブ人が強制移住または追放された事件)の前後、シオニスト民兵がパレスチナのアーカイブを略奪したように、これは組織的な事業の一環なのです」
カリーム氏は、「Fighting Erasureプロジェクト」が、人権侵害や戦争犯罪、文化的抹消の証拠を記録し、将来の世代がアクセスできる包括的な史料を構築する試みであると述べました。米国によって支援されているシオニストの物語(ナラティヴ)に異議を申し立てるパレスチナからの声を届けることをめざしていると言います。
同様に、レバノン出身のアーキビストでアムステルダム大学助教授のジャミーラ・ガッダール氏もオンラインで登壇し、Fighting Erasureプロジェクトについて紹介しました。「2023年10月、巨大IT企業によるパレスチナ関連コンテンツの検閲がピークに達していたとき、私たちは、新しいメディアとテクノロジーが旧来の人種差別を再び刻印し、新たな世界的不平等を生み出しうることを認識しました。このプロジェクトはそこから生まれたのです」
登壇者たちは、ガザで現在も続く危機を公正かつ中立的に伝えようとする中で、数多くの困難に直面していると述べました。ハニーン・シェハーデ助教授は、世界各地でパレスチナ研究に対する学問の自由が著しく制限されている現状を指摘しました。自身がかつて在籍していたニューヨークのコロンビア大学では、ガザ情勢をめぐる発言が政治的・制度的な圧力の対象となり、反対意見を表明した学生や研究者が排除される状況に直面したと語ります。
「大学こそが、ガザの現状を政治や植民地主義の問題として、世界に伝えていく重要な場であるはずです。そうした中で、日本や日本の大学がより開かれた議論の場となっていることに、私は心から感謝しています」;
シェハーデ氏は、日本のメディア報道にも課題はあるとしつつ、「ジェノサイドに関する報道が植民地主義の視点からではなく人道危機としてのみ描かれがちな中で、失われつつある声を届けることを可能にする新しい研究が行われ、日本から発信されていることを心強く感じます」と述べました。
このような研究の最前線に立っているのが、東京大学大学院情報学環の渡邉英徳教授です。渡邉研究室では、近年の地震被災地である台湾、ミャンマー、トルコ、そしてウクライナやガザといった紛争地域を対象に、先端的なデジタルアーカイブの構築を進めています。
今回のイベントでは、巨大なマルチディスプレイを活用し、複数のプロジェクトを来場者が体験できるかたちで紹介しました。たとえば、「ヒロシマ・アーカイブ」では、原爆投下当時の広島の街並みを3Dで再構成。現代の地元高校生が集めた被爆者の証言に、被爆者が当時どこにいたかを示すジオタグを付与し、1945年8月6日の爆心地を起点とした被害の記憶がインタラクティブに可視化されています。また、ウクライナやガザで市民やジャーナリストが撮影した実際の戦争被害を、現地の協力者とともに3Dデータとして復元し、メタバース空間で再現する取り組みも進行中です。

「被害の可視化には、生活空間を含めた包括的なデータが必要です。現地の人々が撮影し、記録するからこそ、戦争の人的コストが浮き彫りになるのです」
登壇前のインタビューで、渡邉教授はこう語りました。「ガザの状況を記録しているジャーナリストが直面している困難や検閲は過去に類をみないものであり、私はパレスチナ市民の支援に強い使命感を抱いています。私の使命は、感情を揺さぶるような力強さと親しみやすさを備え、アクセスの容易な視覚的イメージを通じて、文化を超えた共通感覚と共感を育み、世界に認識を広めることです。日本は、デジタル・アクティヴィズムやデータ・プレゼンテーションに対する制約が少なく、こうした活動に比較的オープンな空間だと思います。VRや大型プロジェクションのような没入型のビジュアルは、従来のメディアよりも深い感情的なつながりを生むことができます。私はこれを、人々のフィルター・バブルにいわば風穴を開けるための道具、特にオンライン上の誤った情報に対抗するためのツールであると考えています」

この「情報の伝達と受容」をめぐる課題は、パネルディスカッション全体の重要なテーマでもありました。渡邉教授は、東京大学先端科学技術研究センターの池内恵教授など人文・社会科学の専門家とも連携しながら研究を進めています。
池内教授は、言語や視覚的表現が持つ政治性や限界、さらに新たな可能性について次のように語りました。「今回の議論の重要なテーマの一つは、政治的にセンシティブな文脈における言語の力と限界です。特に戦争や紛争のような出来事を論じるとき、言葉は重く含意を帯びます。VRを含むビジュアル・メディアは、しばしば言語がもたらすその重荷を負うことなく、複雑な思考を伝えるための代替手段となり得ます。このアプローチは、既存の物語を再構築し、対抗するために役立ちます。ただし、視覚イメージもまた、政治的な意味を帯びうる点への留意が必要です」。また池内教授は、文化や感覚のギャップ、とりわけアラブ世界と日本の間に存在する見えにくい隔たりについても言及しました。「英語という共通言語があっても、背景にある前提や文脈は大きく異なります」と語り、自らをその隔たりをつなぐ「翻訳者」のような存在として位置づけました。
「このシンポジウムのように、政治的・感情的に強い意味を持つテーマについて、学際的な対話が交わされることには大きな意義があります。情報がどのように伝わり、受け取られるのかを再考する機会として、とても貴重な場でした」
「Beyond the Headlines」は、ガザ危機をめぐって長らく世界の隅に追いやられてきた人々の声に注目し、世界を支配する言説(ナラティヴ)の再検討を促す場となりました。記憶を保存するためのVRやデジタルアーカイブの活用をはじめ、文化的抹消や偽情報に対する学術的・ジャーナリスティックな取り組みを通じて、登壇者たちはそれぞれの立場から「真実と正義を戦争の犠牲にさせない」ための可能性を提示しました。
そして本シンポジウムは、テクノロジーが現実を歪めるための武器として使われることがある一方で、見えないものを目に見えるようにさせ、共感を取り戻す変革をもたらす可能性があることもまた想起する機会ともなりました。
取材:Rohan Mehra