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廃墟を守る 軍艦島のコンクリート建築に魅せられる理由

掲載日:2018年10月17日

長崎県沖の端島の全景。軍艦のような姿をしていることから一般的には軍艦島と呼ばれている。© 2018 野口貴文

東京大学工学系研究科建築専攻長の野口貴文教授は自他ともに認める「コンクリート建築の医者」です。

東京大学大学院工学系研究科の野口貴文教授 © 2018 東京大学

30年間の研究生活の大半を、古くなった鉄筋コンクリートの状態を診断することに、また「手術」を施すことでコンクリート建築を長生きさせることに費やしてきました。

そんな野口先生に7年前、長崎県のとある無人島にある、世界で最も劣化の進んだコンクリート建築の調査と修復に知恵を貸してほしいという依頼が舞い込んだ時、断る理由はありませんでした。

その島の名は端島(はしま)。鉄筋コンクリートの建物が詰め込まれた6ヘクタールの島が、軍艦のようなシルエットを呈していることから「軍艦島」と一般的に呼ばれています。

海底炭鉱を抱える軍艦島は1974年に無人島となり、そのまま放置されてきました。

住宅を含む木造の建物はすべて台風と高波で吹き飛ばされて消滅してしまいました。コンクリートの建物はかろうじて残っていますが、錆びて折れ曲がった鉄筋がむき出しになっています。

「普通の状況だと、ここまでダメージを受ける前に建物は取り壊されるはずです」と、劣化を示す詳細なデータを手にしながら語る野口先生。「あそこまで劣化している状態というのはきわめて珍しい。残っていてくれてありがたいと思うほどです」。

観光ブーム

空から見た端島(軍艦島)。
By Flickr user: kntrty https://www.flickr.com/photos/kntrty/ [CC BY 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons

現在は一大観光地としてにぎわう軍艦島。2009年、指定された一部のみ、長崎市が観光客向けにフェリーでの一時上陸を許可しました。

軍艦島の人気は2012年に007シリーズの映画「スカイフォール」で悪役キャラクターの基地の舞台になってからうなぎ上りに。2015年のユネスコ世界遺産リスト入りも人気に拍車をかけました。

三菱財閥によって開発された軍艦島は、日本の20世紀初頭の急速な産業化のアイコンでもあり、第二次大戦後の復興の象徴でもあります。防潮堤で囲まれた島の人口はピーク時の1960年には約5300人にも上り、地球上でもっとも人口密度の高い場所の一つでした。この「コンパクトシティ」には学校、病院、郵便局、寺社からパチンコ店、映画館までが揃っていました。

錆びた冷蔵庫が放置されたアパート。戦後、この島では全国に先駆けて当時の「三種の神器」であるテレビ、洗濯機、冷蔵庫が普及した。© 2018 野口貴文

他の研究者たちと2011年秋に軍艦島に初上陸した野口先生は、この特殊な島の生活の片鱗を垣間見ています。

1974年の炭鉱閉鎖以降、島のアパートは、住民が退去してから手つかずの状態。ほとんどの日用品がそのまま残されていたので、当時の生活の様子を伺うことができたと話します。

「テレビ、洗濯機、漫画、新聞、それに給与明細や通知簿まで見つかりました」と語る野口先生。「時間が凍結されているようでした。なんとなく覚えているなつかしい私の子供時代を思い出しました」。

戦後、この島で働いていた鉱員たちは比較的高給取りだったため、当時の贅沢品だった「三種の神器」であるテレビ、洗濯機、冷蔵庫を買う余裕があったといいます。

先進的な建築技術

1916年、日本で最初の高層鉄筋コンクリート共同住宅として建てられた30号棟。© 2018 野口貴文

古いものでは100年以上の歴史を持つ鉄筋コンクリート建築は、先進的で当時最先端の技術を使って建てられたと野口先生は話します。

1916年築の30号棟は、日本で最初に建てられた鉄筋コンクリートの高層アパート。140戸からなる30号棟は当初4階建てでしたが、のちに7階に拡張されました。

他の建物も、厳しい自然環境を耐え抜けることができるよう設計されていました。

「海沿いの建物は防潮堤としての役割も兼ね備えていました。島は台風シーズンには異常な高波に襲われます。当時撮影された写真で、台風時に住民が島の中央にある高い建物の屋上に避難し、高波が海側の建物に激しくぶつかる様子を眺めているものが残っています。海側の窓は小さめに設計され、廊下を隔て部屋が配置されていました」。

その他にも、16号棟から20号棟の住宅アパート群には共通の中庭がありました。日光が中庭に届くように、高層の階は階段のようにセットバックされています。

16号棟から20号棟は中央の中庭に日光が届くように、高層の階は階段のようにセットバックされていた。© 2018 野口貴文

2011年以降、野口先生を含む研究グループは、赤外線スキャナーなど様々な道具を使って鉄筋コンクリートの調査を開始。同時に倒壊の危険が高い建物の補修方法や補強方法の調査も始めています。

野口先生によると、セメントと骨材と水の混合物であるコンクリートは本来あまり劣化しないとのこと。ところが、海水にさらされ塩分が染みこむと、中の鉄筋を腐食します。腐食した鉄筋は酸化して太くなり、内側からコンクリートを圧迫し、ひび割れが起こりやすくなります。

ひび割れたコンクリートにはさらに塩分を含んだ水や酸素が入りやすくなり、鉄筋を膨張させる結果、コンクリートが剥がれ落ちていく、という過程をたどります。

これらの劣化対策として、さまざまな方法が検討されていますが、その一つはコンクリート中の電気の流れをコントロールしようというもの。

現在、酸化反応を生じている錆びた鉄筋は電気的に陽極になっているため、太陽光パネルで生み出した電気を使って常時電流を流すことで、コンクリートが高濃度の塩分を含んでいても、鉄筋が酸化や腐食するのを食い止められるかもしれないのです。

廃墟の文化的価値

がれきがあちこちに散乱する65号棟。いつ崩落するか分からない建築現場で働く作業者を確保するのも容易ではない。© 2018 野口貴文

一方で、指定文化財の補修には独特の課題があります。例えば、島の建築物の補修、補強に使われる技術は「可逆的」でなくてはなりません。将来的によりよい技術が登場した時、置き換えることを可能にするためです。

劣化が進んだ建物をそのまま守る方が、一度取り壊して新しいものを一から作るより費用がかかります。

「軍艦島の文化的価値には、廃墟になってから40年間の歴史も含まれています」と話す野口先生。「なので、廃墟として保存されなければならないのです」。

長崎市が割り当てた予算は、補修に必要な額には程遠いのが現状。さらに、補修は時間との戦いでもあります。

「7年前に最初に島を訪れてからも、建物はどんどん劣化が進んでいます」。

いつ倒壊するかもしれない建築現場で働くことを厭わない作業者を確保するのも容易ではありません。

鉱員住宅の一つだった65号棟(東)。コンクリートがはがれ落ち、鉄筋が剥き出しになっている。© 2018 野口貴文

それでも、野口先生は保存に取り組みます。2016年には、産業界の協力を得て、様々な化学物質や防錆剤を塗布したコンクリートブロックを配置し、10年かけてその劣化状況を調べるプロジェクトが始まりました。

病院があった建物の屋上に置かれたそれらのコンクリートブロックの調査のため、またその他の建物の調査のため、年に2回は島に上陸しています。

「建物が生き残ったとしても、また崩れ去るとしても、我々研究者にとっては非常に興味深い知見が得られるはずです」。

取材・文:小竹朝子

 

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