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東大映画研究Now/韓 燕麗 中国系移民の映画とアイデンティティ――ナショナル・シネマの枠組みを突き破って

掲載日:2022年4月19日

UTokyo映画祭2022
カンヌやベルリンでやっているものとは違う、大学ならではの映画祭です。用意したのは、映画監督と研究者の対談、映画研究者4人による研究紹介、映画人として活躍する卒業生紹介、研究者12人が薦める映画作品集……。映画と大学の掛け算の成果をご覧ください。3、2、1、アクション!

中国系移民の映画とアイデンティティ――ナショナル・シネマの枠組みを突き破って

韓 燕麗/文
総合文化研究科 教授

HAN Yanli

韓先生の著書
『ナショナル・シネマの彼方にて』
(晃洋書房)2014年

1933年にサンフランシスコで中国系移民によって設立された映画会社「大観影片公司」(Grandview Film Company)における撮影風景。

大学院時代、恩師から「自分の生き方と関連するような研究をしなさい」と言われた時、内心忸怩たるものがありました。映画史専門の私は、冷徹な目で歴史的記述ないし映像を分析することこそが研究だと考えていました。しかし振り返ってみますと、中国大陸以外の場所に居住する中国系移民によって製作された中国語映画とそのアイデンティティの問題について研究してきた自分は、無意識のうちに恩師の言葉から大きな影響を受けていたかもしれません。

国籍を指標として映画を分類し批評することが、映画研究の主流でしょう。しかし国を単位とする映画研究のアプローチでは、もはや把握しきれない映画史の問題が存在しています。中国語圏の映画で考える場合、トーキー映画が大きな人気を博した1930年代初頭前後から、アメリカや東南アジアなど中国大陸以外の場所において、中国系の移民たちが自らの母国語を使って異境の地で映画を作り始めていました。例えば1933年のサンフランシスコのチャイナタウンで、中国系移民による映画製作会社が設立され、自社専用の映画館までチャイナタウンの中で建てられました。1950年代までに数十本の広東語映画がかの地で作られましたが、これらの映画は、映画の前に国名を冠するいかなるナショナル・シネマの枠組みにも収まらないものであります。

アメリカとは限らず、移民たちのアイデンティティの構築ないし変容するプロセスが、各時期に各地で製作されたこれらの国籍を持たない中国語映画のフィルムにさまざまな刻印を残していました。知られざるこれらの中国語映画のテクストそのものに注目することによって、歴史学や人類学だけでは究明できない中国系移民の複雑な心像地理を探ることができます。その考察は海外で暮らしている私自身にとっての内省の旅でもありました。中国で生まれ育ち、中国語による教育を受けた漢民族の中国人である私は、自らが「中国人」だと名乗る意味を、研究を通じて再考する機会が与えられたのです。移民のアイデンティティが構築されていったポリティックスは、中央集権的な国民アイデンティティへの同化に埋没されない「個」としての生き方を模索するわれわれに、新たなアイデンティティを把握するための座標軸を提供してくれればいいと、切に願います。

「大観影片公司」が戦後に製作したカラー映画のワンシーン。「アメリカン・スタイル」の生活を何の不自由もなく思う存分に楽しんでいる様子が描かれている。太平洋戦争の同盟国である中国の出身者に対して帰化を認めたアメリカ政府の移民政策の転換が背景にあると考えられる。
戦時中に「大観影片公司」が製作した映画『華僑之光』(1940)のパンフレット表紙。映画は「われわれにも国土を守る責任がある」と民族意識・国家意識を強調するものであった。

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