精神分析とフランス思想を研究する原先生が機構長を務める教養教育高度化機構
の国際連携部門では、毎回設定されるテーマを多分野の研究者が講じるシリーズを、南京大学と教養学部で開催してきました。
ここでは2014年度に行われた「排泄」の回
に注目。発達と排泄の関係について論じた講演の内容を紹介します。
精神分析学×排泄
人の発達における排泄
身体を介した他者との関係
原和之
HARA Kazuyuki
総合文化研究科 教授

精神分析学には、人間がその発達の初期に、自分では満たすことのできない身体的な欲求を介して他者との間に異なった関係性を築いてゆくという考え方(リビドー発達論)があります。そこでは生まれてすぐの時期、まず生命維持に不可欠な摂食の欲求がクローズアップされる「口唇期」に続いて、排泄の訓練が問題になる時期に、いわゆる「肛門期」が想定されています。フロイトが大まかに分けたこれらの段階を、弟子のカール・アブラハムはさらにそれぞれ二つに分けました。これはのちにジャック・ラカンが指摘したような、人間の欲望の二つのレベル、「欲求」と「要求」の鬩ぎあいから理解できます。
糞便は他者への贈り物
肛門期において問題となるのはまず、排泄そのものに伴う身体的な「欲求」の充足です。ただこの充足は、やはり発達の初期を通じて醸成されてきたもう一つの欲望、世話をしてくれる他者がそばにいてくれることの安心の追求、すなわち他者への「要求」と背馳します。というのも排泄の世話が終わればその他者はどこかへ行ってしまうからです。
肛門期の二番目の段階では従って、排泄のコントロールが問題になります。親に言われるがまま出すのではなく、糞便を体内に保持した上で、自分の好きな時に出すということです。フロイトは糞便を、子供が他者にできる最初の贈り物だと考えていましたが、これは別の言い方をすれば、「要求」のレベルで問題になる、他者の現前に自ら働きかける手段ということでもあります。欲求の満足という点で他者を必要とする点に変わりはありませんが、しかしその依存の上に主体的な領域が確保されるという、この「肛門期」の過程は、「自立」の意味をあらためて考える手がかりになるように思います。

2014年度冬学期の講義(当時の呼び方は「テーマ講義」)で使われたバナーは非常口が、2014年3月の南京大学集中講義で使われたバナーではトイレの男女マークが題材に。
排泄から見た精神分析学
フロイトは人間のこころを、刺激によって緊張した状態を不快と感じ、その刺激がなくなって緊張から解放されることを快と感じる、「快原理」によって説明しました。そのさい彼は、これを刺激を介して神経系に流れ込みやがて放出されるエネルギーの比喩で語るわけですが、このときフロイトが想定している快・不快のメカニズムは、すぐれて排泄をモデルにしているように思われます。その意味で排泄は、「快原理」を、そしてそれを根本原理とする精神分析学を見通す視点を与えてくれると言えるかもしれません。
身体の問題を解決するのに他者の手を借りる必要がない、「自立」した人、「自分で自分の尻を拭ける」人は、しばしば一種の理想として、「発達」の到達点に据えられてきました。ただその到達点でも問題の完全な解決は困難であることを、「欲求」と「要求」の二律背反は教えています。加えてそれが決して最終的な到達点たりえないこともまた、高齢化の進む現代では明らかになっています。ここには「自立」を誇っていたわれわれが、徐々に身体の問題の解決に人の手を借りることが必要になったときの「こころ」の変化を考える、「発達」論ならぬ「衰退」論を展開する余地があるように思います。
第1回 | 発達のなかの「排泄」 | 原和之 |
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第2回 | 社会人類学の視点から見た「排泄」 | 森山工 |
第3回 | 生物の排泄物 | 清家弘治 |
第4回 | 排泄物のDNA情報 | 服部正平 |
第5回 | 廃棄物管理の経済学 | 横尾英史 |
第6回 | 排泄コミュニケーション | 菊水健史 |
第7回 | 水洗トイレ~水システムの中の排泄設備~ | 前田裕子 |
第8回 | 都市水代謝における排泄と再生 | 古米弘明 |
第9回 | ベッド上で生活する高齢者の支援 | 仲上豪二朗 |
第10回 | Body, Mind, World. | ジョン・オデイ |
第11回 | 日本における文書の廃棄と再利用 | 渡邉正男 |
第12回 | 近世都市江戸の廃棄と再利用システム | 堀内秀樹 |
第13回 | スラムにおける排泄 | 中西徹 |
2013年12月には、「近現代東アジアにおける排泄・健康・環境」(福士由紀)、「中国映画における排泄」(刈間文俊)と題する2つのプレ講演も。後者では、中国映画『紅いコーリャン』(張芸謀監督、1987年)に登場する、酒に小便を入れたら旨い酒ができたというシーンが取り上げられました。