東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

白い表紙に昔の朝鮮の街の絵画

書籍名

朝鮮儒学史の再定位 十七世紀東アジアから考える

判型など

336ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2017年5月25日

ISBN コード

978-4-13-036262-7

出版社

東京大学出版会

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朝鮮儒学史の再定位

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本書は、朝鮮朝 (1392~1910) の中期に当たる十七世紀の儒学思想史について改めて考えるものである。しかし、本書の記述は、二十世紀前後東アジアの知識人が背負っていた時代的使命を述べることから始まる。朝鮮儒学史の研究が始まった背景をまず明らかにするためである。そもそも朝鮮史の研究は、韓国の植民地時代の20世紀初頭に、「植民史観」に対抗して朝鮮思想史の持つ価値を「発掘」する「時代的使命」として生まれてきたものであった。

植民史観が齎した朱子学墨守・独創性の欠如というネガティブな評価の克服を時代的使命として強く認識していた植民地の知識人たちは、17世紀朝鮮の儒者の営為から朱子学に対する批判的動向を「発見」し、これを「近代」への歩みとして位置付けた。

本書は今日まで続くこのような朝鮮儒学史に関する固定観念が、実は史実に反するものだと主張する立場を取る。植民支配下の知識人の歴史認識が17世紀朝鮮儒学史研究に投影され、朝鮮時代の儒者の考えではない20世紀の知識人の使命感が17世紀の解釈に交じりこんでいたのである。そこで、本書は、17世紀の日韓の儒者の著作及び20世紀以降の研究文献などを広く調べ、17世紀の日韓の儒者世界の相違、20世紀の植民宗主国である日本の学術が中・韓の知識人に起こした反響、17世紀と20世紀の知識人の著しく相違する問題意識を確認した。

韓国の学術史において植民地時代が残した課題は依然に山積みになっている。国権を失っていた時、多くの資源と力がそれを回復するために用いられ、その他の問題は全て副次的ものになっていた。植民地史学を清算する課題は今でも残っており、その渦中では客観性を取ることを先送りにする場合もある。例えば韓国「実学」史研究の大家李佑成氏 (1925-2017) は、「(解放以後、植民地史学が実証史学に改良され、) 市民的意識の上、民族と歴史を客観的に扱うことを学問の基本方針とした。……主体性のない客観性、どの時代にも通じる客観性、これは中性的客観性である。民族の痛痒には無関係なのである。」(『李佑成著作集』1、ソウル:Changbi Publishers、2010年、9頁) と述べている。

何かに対抗するものとしての思想史研究から脱し、朝鮮の儒者たちが本当に追求したものが何であるのかを明らかにすることは、21世紀の韓国思想史研究の課題だと筆者は考える。いまや植民と被植民の主体が協力して歴史を顧みる作業ができる時代になっているのではないか。植民地時代を直視し改めてその意味を考え直すのは対抗するためでもなく、是非を追及し責めるべき対象を見出すためでもない。対立と闘争の研究をもって国を守ろうとしていた時代への共感と敬意は抱きつつも、淡々と、そして黙々と文献に臨むこと、これが今の時代が研究者に要求するものだと信じている。このような課題は、21世紀の研究者としての使命感を必要とするかもしれないが、決して対決と犠牲を通じてではなく、十分に学問の楽しさを満喫するうちにできるものであろう。

 

(紹介文執筆者: 姜 智恩 / 2020年6月16日)

本の目次

凡例
はじめに

第一章 二十世紀初頭、「東アジア」の誕生
 第一節 儒学史への関心
  梁啓超・井上哲次郎・丸山眞男の思想史叙述
  植民地知識人の時代的使命
 第二節 十七世紀への注目

第二章 十七世紀儒者世界の様相
 第一節 朝鮮の士大夫社会
  華夷変態に臨む
  士大夫グループの出生と成長
  科挙と士大夫社会
 第二節 共鳴できない日韓の儒者
  「中華」と我が国
  儒者という業

第三章 儒者たちの信念
 第一節 朝鮮儒者社会の思想的基礎
  儒者の第一義
  学術環境
  学術的論議――その重点
 第二節 新たな経書注釈の登場に際して
  問題の焦点
  攻防――「朱子の注を改めた」のか?
  異見提出者――そのアイデンティティー

第四章 朝鮮儒学史展開のかなめ
 第一節 朱子学研鑽
  朱熹の学説――その変化への追跡
  朱子は聖人に非ず
  儒学史からの消失――宋時烈門下の朱子学研究方法論
 第二節 朝鮮儒学の創見提出パターン
  独創性の否認
  朱熹の注釈という出発点
 第三節 新たな解釈――その意義付け
  尹鑴の「精意感通」
  朴世堂の「初学入徳之門」
  趙翼の饒魯説受容

第五章 東アジアの中の朝鮮儒学史
 第一節 観点の転換
  経学的アプローチ
  経学思想と現実思想との不一致
  十七世紀の朝鮮儒者に要求できること
 第二節 東アジアから見つめる
  古 (いにしえ)
  朱子学に対する捉え方
  方法論――コンテクスト重視とテキスト重視

おわりに
あとがき
参考文献
人名索引

関連情報

書評:
中 純夫 評 (『東洋史研究』第77巻 第四号 2019年3月30日)
http://www.toyoshi-kenkyu.jp/mokuroku/index.html