本書は、「近代立憲主義」と呼ばれる概念のイデオロギー批判を試みたものです。ここに近代立憲主義とは、国家権力を構成し、同時にこれを制約する考え方をいいます。本書の根底には、この近代立憲主義が、日本の統治システムにおいて十分に機能してこなかったという問題意識があります。実際、立憲主義の核にあるとされる権力分立と権利保障ですが、そのどちらもいまだ建前の域を出ないというのが現況です。その原因はどこにあるのかを探ろうというのが本書のねらいです。
この点で本書が注目するのが、「他者」という概念です。ここにいう他者とは、自己という概念では決して包摂することのできない何かをいいます。それはかつて「神」と呼ばれていたものに相当しますが、近代に入ってからは神は背景に退き、代わりに「自己」中心主義の時代が始まります。近代立憲主義というのもまた、この自己中心主義を法の世界に応用した結果といえます。そこでは、自己保存を図るべく、人々が理性を働かせて社会公共を生み出したという説明がなされます。
しかし本書は、むしろ「他者」との関係の内にこそ、立憲主義を支える原動力があると主張します。このことを主張する憲法学者がアメリカにいました。Robert Coverです。彼はNomos and Narrative (1983) と題する論文の中で、法とはノモスであり、それは物語によって紡がれるというテーゼを主張しました。ここでいうノモスとは「規範世界」のことであるとCoverがいうとき、それは法を社会統制の道具とする従来の見方に対する強烈なアンチテーゼとなっています。法が私たちを統制するのではなく、私たちが法を生きるのです。それと同時に、Coverは、私たちが生きる上で必要なのが「物語」だといいます。規範世界に生きる人間にとって重要なのは規範意味であり、その意味を提供してくれるのは物語だからです。Coverはあらゆる法規は物語によって意味を充填されることを欲していると主張します。
このようにCoverの議論に着想を得た本書は、ノモスや物語という「他者」と関連の深い概念をもって、近代立憲主義の「生き生き」とした姿を描き出そうと努めています。それは従来の静態的な憲法観とあまりにかけ離れているため、憲法に馴染みの深い読者ほど戸惑うこと間違いありません。しかし、読み進めていくうちに、憲法もまた、人と人の「間」が生み出すシナジーによって支えられているということを知るはずです。
その意味では本書は、新しい憲法の姿を描き出しているようで、実は当然のことを述べたものにすぎません。にもかかわらず、これが新規に聞こえるのは、その当然の事柄が憲法学では忘れ去られてきたからです。本書は、「他者」を招き入れることでみえてくる憲法のもう一つの姿を論じたものです。
(紹介文執筆者: 江藤 祥平 / 2020年6月16日)
本の目次
第I部 批判
第一章 意味の不在
序 節
第一節 『憲法的思惟』――再考
第一款 普遍的個人
第二款 カタログ化された諸自由
第三款 中立性の原理
第二節 象徴
第一款 神なき宗教
第二款 象徴的世界
第二章 近代立憲主義の理性
序 節
第一節 政治的リベラリズム
第一款 国家の権威と実践的理由
第二款 切り札としての権利
第二節 卓越主義的リベラリズム
第一款 人格的自律
第二款 憲法学との整合性
第三節 他我問題
第一款 力と他者
第二款 戦後という時間
第三款 ノモス主権論――再考
第II部 全体性
第一章 意味の世界
序 節 第一節 ノモス
第一款 世界構築
第二款 パラダイム
第二節 物語
第一款 不在
第二款 文学
第三款 始まり
第三節 架け橋としての法
第一款 終わり
第二款 軌道
第二章 コミットメント
序 節
第一節 可能性の投企
第一款 覚悟
第二款 意味と相貌
第二節 血
第一款 法と血
第二款 死
第三節 分離
第一款 分離と献身
第二款 客体化
第三款 共存
第四節 暴力と平和
第一款 コミットする立憲主義
第二款 Bob Jones University 判決
第三款 抵抗
第III部 無限
第一章 存在からの脱却
序 節 第一節 メシアと法
第一款 法的メシア
第二款 狂気
第二節 メシアと法外
第一款 終末論
第二款 神秘
第三款 顔
第四款 身代わり
第二章 贖い
序 節
第一節 責任
第一款 神,人間,世界
第二款 無限責任
第二節 国家
第一款 民族
第二款 義務
第三款 希望
終 章 「真に善き日本的なもの」