日本語で歌われるオペラやミュージカルを見たことはありますか? 帝国劇場や劇団四季や宝塚、各地の市民オペラに、漫画やアニメが原作のいわゆる2.5次元ミュージカル……。劇場に縁がなくても、NHK教育テレビ (現・Eテレ) の人形劇で、キャラクターが歌いだすのを見たことはあるでしょう?
では、これらの作品を見た率直な感想はどうですか? 金髪のカツラが似合ってない? 歌詞が聞き取れない? 演者の発声や表情が、セリフの箇所と歌とで違いすぎ? 「愛」だの「死」だの大げさで、日本人には似合わない? 「本物」のオペラや「本場」のミュージカルと違って、まがいものみたい? いや、そもそも、オペラやミュージカルって、なんでわざわざ歌うの?
わたし自身、そんなふうに思うことがないわけではないのですが、この本は1冊丸ごと、洋楽曲に合わせて日本語で歌う、さまざまな音楽劇を取り上げています。こうした劇が日本で目指されるようになってからの最初の20年の経緯を、個々の作品の台本と (残っていれば楽譜や録音も)、同時代の劇評を手がかりに、丹念に追いました。わたしも演劇経験者なので身につまされるエピソードも多く、いつしかこのジャンルにすっかり肩入れしてしまいました。
はじまりは明治30年代、ちょうど20世紀初頭のことです。世界的なヴァーグナー・ブームの影響で、本で読んだオペラなるものを日本でも実現したい、と勇み立った若者たちがいたのです。はじめは台本が書けても技術的・物理的に上演不可能だったり、上演に漕ぎつけたものの資金と情熱がすぐ底をついたり、嘲笑や酷評に晒されたり。それが次第に熱心なファンを獲得するようになり、そして、当初の理念とは別物になってしまったかもしれないけれど、児童向けの「お伽歌劇」や大衆向けの「浅草オペラ」といった形で人気を博すようになります。でもそこで関東大震災が起きて東京の興行界はいったん停滞してしまうのですが、この本が取り上げているのは、そんな時代のことです。
翻訳オペラにせよ日本語創作オペラにせよ、これまでまともな学術研究の対象とは見なされておらず、実態がよく分からないまま、過渡期のキワモノというレッテルを貼られてきました。けれど調べれば発見があるものです。この本ではたとえば、明治期の創作オペラ台本の多くは、能や歌舞伎の台本形式を踏襲して書かれている、ということを指摘しました。台本をきちんと読まなければ分からなかったことです。これまでの日本のオペラ受容史研究では、あたかも何もないところに西洋からオペラが移植されたかのように語られがちだったのですが、そこに一石を投じた形になりました。
定説に異を唱えるわけだから、なおさら議論を慎重に進める必要があります。そこでこの本では、キワモノ扱いされている台本を、あえて一字一句揺るがせにせず厳密に読み込みました。言ってみれば、わたしはこの本の中で「学者」の役柄を演じているのかもしれません。時々うっかり素に戻って、100年後の後輩の立場から先輩をフォローしたり、100年後の観客の目線で無粋なツッコミを入れたりもしていますが。
(紹介文執筆者: 大西 由紀 / 2020年6月2日)
本の目次
[第一部 物語る声は誰のものか──東西の戯曲形式の狭間で]
第一章 オペラが目指されなかった時代──演劇改良論から新劇運動まで
第一節 オペラ劇場への憧れと、オペラ待望論の欠如──演劇改良論
第二節 独白表現と「チョボ」の呪縛──『ハムレット』をめぐって
第二章 二つの浦島劇──森鷗外『玉篋両浦嶼』と坪内逍遙『新曲浦島』
第一節 ヴァーグナー・ブームとオペラ待望論
第二節 「白を主とする劇」──『玉篋両浦嶼』
第三節 「振事」を基礎とする「新国劇」──坪内逍遙『新曲浦島』
第三章 オペラと歌舞伎と「叙事唱歌」の距離──北村季晴『露営の夢』
第一節 音楽劇『露営の夢』の成立まで
第二節 歌舞伎座における上演の実態
第三節 歌唱者の振り分け──義太夫節の歌舞伎化との対照において
[第二部 音楽劇は何を物語るべきか、何を物語れるのか]
第四章 日本人による初期の歌劇上演
第一節 東京音楽学校『オルフォイス』
第二節 楽苑会の創作および翻訳歌劇上演
第三節 前期文藝協会の上演した逍遙の音楽劇作品
第四節 山田耕作『誓の星』
第五章 帝国劇場の試行錯誤
第一節 帝国劇場の誕生──新時代の理想と伝統の継承
第二節 女優と歌手、バレエとオペラ──帝国劇場歌劇部の発足と『胡蝶の舞』
第三節 日本的題材の採用の是非──『熊野』
第四節 劇評界の示した二つの方向──『釈迦』
第五節 「常磐津のオペラ」という反動──『江口の君』
第六節 その他の歌劇関連の演目
第六章 帝劇歌劇部の達成したもの
第一節 ローシー指揮下の洋楽音楽劇の展開
第二節 小林愛雄の翻訳喜歌劇台本──『ボッカチオ』を例に
第三節 帝劇洋劇部の解散以降
[第三部 歌とセリフは、それぞれ何を物語るのか]
第七章 実験の場としての「お伽歌劇」
第一節 歌とセリフのすみ分け──北村季晴『ドンブラコ』
第二節 音楽の挿入を目的とする劇──本居長世『うかれ達磨』
第三節 『ドンブラコ』『うかれ達磨』から見えてくるもの
第八章 レコードになったお伽歌劇
第一節 佐々紅華の仕事
第二節 語り物の系譜に連なる音楽劇──『ウントコ爺さん』
第三節 日本的な節回しの呪縛──『ウサヽヽ兎』
第四節 浅草での仕事ぶりを予感させる作品──『目なし達磨』
第五節 口語散文の自在な歌唱──『茶目子の一日』
第六節 「文句集」における歌とセリフの位置付け──「むすびに」に代えて
第九章 浅草オペラ──観客の支持した新しい音楽劇
第一節 浅草オペラとはどのようなものであったか──先行研究をもとに
第二節 帝劇時代の翻訳台本からの逸脱──再び『ボッカチオ』を例に
第三節 替え歌オペラ──伊庭孝『女軍出征』、佐々紅華『カフェーの夜』
第四節 「本格」オペラ上演への憧れ──小松耕輔訳『ファウスト』『椿姫』
むすびに
参考文献一覧
略年譜
あとがき
主要外国作品原題・邦題対照表
主要索引
※縦書きの二文字分の繰り返し記号は、「ヽヽ」で代替した
関連情報
受賞:
第51回日本演劇学会河竹賞奨励賞 受賞 (2019年)
http://www.jstr.org/outline/outline05.html
第24回日本比較文学会賞 受賞 (2019年)
http://www.nihon-hikaku.org/activity/award.html
書評:
中野正昭 評 (『演劇学論集 日本演劇学会紀要』第69巻 2019年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjstr/69/0/69_123/_article/-char/ja/
山口輝臣 評 (『教養学部報』613号 2019年11月1日)
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/booklet-gazette/bulletin/613/open/613-03-3.html
有光隆司 評 (『比較文学』第61巻 2018年)
http://www.nihon-hikaku.org/activity/comparative_literature/back_number.html
https://ci.nii.ac.jp/naid/40021926093