東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

白い表紙に青い写真

書籍名

エレミヤ書における罪責・復讐・赦免

著者名

田島 卓

判型など

328ぺージ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2018年4月1日

ISBN コード

9784818410015

出版社

日本キリスト教団出版局

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エレミヤ書における罪責・復讐・赦免

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21世紀は、宗教戦争の様相を呈するテロリズムから始まりました。もしかすると、倫理や理性といったものが宗教的熱心さよりも優先されるようになれば、こうした争いは避けられるのだと考える人がいるかもしれません。しかし、この考えはうまくゆきません。宗教的なものが人に生きる支えを与えうるからこそ、ときに命を賭けた行為として帰結してしまうのです。宗教を信仰するしないとは別に、なんらかの「超越的なもの」や「理性的でないもの」に向き合い、問うことがなければ、人々の生きる世界における重要な問題の一面を取りこぼしてしまうのです。
 
しかも、十分に近代化し、理性化されたと思われるような場面でさえ、実は宗教的なものが残っているし、それなしでは済ませられないということがあります。たとえば、国際政治の場面で、対立している国同士が和解するプロセスには、改悛、自白、赦しといった手続きが要請されることがしばしばですが、この手続きはキリスト的な赦しのプログラムに似ています。そこにはさらに「応報思想」と呼ぶべきものが横たわっていますが、これらを考えるためには、宗教的なものを考察することは不可避なのです。
 
それでは、倫理的なものを考えるために、宗教的なものをどう取り扱えばいいのでしょうか。そこでこの本では「聖書学」という方法を使いました。
 
ところで聖書学という学問をご存知でしょうか。「聖書」というからには何か宗教学やキリスト教に関連するもので、しかもキリスト教徒でなければならないように思われるかもしれません。しかし、キリスト教内部の学問として、キリスト教史の初期から発達した「神学」に比べると、学問分野としての「聖書学」は比較的近代になってから成立した学問です。聖書学は新約聖書や旧約聖書という文書が、いつ、どこで、誰によって書かれ、どのように伝承・編集されて、今われわれの手元にある形になったかを問うことから始まりました。いわば「神の言葉」であった聖書を、一旦「人の言葉」として取り扱い、分析する作業が必要になるため、信仰現象についての深い理解だけでなく、考古学、社会学、政治学といった人文学の学術的作業が必要になるのです。
 
キリスト教やイスラームの根幹をなす聖書を取り扱いつつ、しかも学問的蓄積が豊富にある聖書学の方法論を用いることで、宗教的なテクストを倫理学へと接続しやすくなります。その上で、本書では「悔い」という概念が、旧約聖書のなかの一書、エレミヤ書に多用されていることに注目しました。「悔い」は、宗教的なものにも倫理的なものにも、どちらの場合でも重要な概念ですが、「悔い」を巡る思想史のもっとも古い時代の一つに、このエレミヤ書があるわけです。そして、このエレミヤ書のなかにすでに「応報思想」に基づく復讐の連鎖を超える視座があることを本書では指摘しました。

 

(紹介文執筆者: 田島 卓 / 2021年1月26日)

本の目次

はじめに
概略
第1章 申命記史家とは誰か
第2章 応報倫理思想の展開
第3章 エレミヤ書における悔い改め
第4章 救済の条件法
第5章 災いの条件法
第6章 「新しい契約」をめぐって
第7章 「新しい契約」の哲学的解釈
参考文献

関連情報

受賞:
2018年 日本倫理学会 和辻賞受賞
http://jse.trustyweb.jp/2007/02/post_24.html
 
2017年度 ICU哲学研究会奨励賞
http://subsites.icu.ac.jp/org/philos/activity.htm
 
講座:
文学部総合人文学科主催公開講座【救いは苦しみの中に―聖書における苦難の意義―】 (東北学院大学 2019年7月6日)
https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/theology/info/event/190617-1.html