
書籍名
聴くヘルダーリン / 聴かれるヘルダーリン 詩作行為における「おと」
判型など
288ぺージ、A5判、上製
言語
日本語
発行年月日
2019年3月
ISBN コード
978-4-906917-89-1
出版社
書肆心水
出版社URL
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ヘルダーリン (Johann Christian Friedrich Hölderlin 1770-1843) は、20世紀以降に再評価が進んだ詩人である。現在では、ゲーテに並び立つ存在として知られており、文学研究者のみならず、哲学者や芸術家なども虜にし続けている。本書では、その中から、20世紀の作曲家に注目する。ヘルダーリン詩は、19世紀にはほとんど付曲されることがなかったが、20世紀以降には1,000を優に超える音楽作品が生まれている。この「ヘルダーリン詩×音楽」の特異な現象の秘密を解き明かすことが本書の目的である。
そのために、1.「付曲するvertonen」という行為はいかなる行為であるのか、2. ヘルダーリンの詩作行為はいかなる行為であるのか、という2つの問いをたてる。
詩作行為において、まず初めに出会う言語以前の「何か」をヘルダーリンはどのように感じ取り、幾多のプロセスを通じて「言葉」にするのだろうか。本書は、ヘルダーリンの詩作行為、すなわち「何か」を感じ取り「言葉」にする行為が、「おと」を聴く行為であることを論証する。ここで、漢字の「音」ではない、ひらがな表記される「おと」とは、具体音ではなく、また雰囲気や情調といった音調とも異なる、その前段階のものであり、より根源的なものである。また、作曲家は、詩の「何か」をどのように感じ取り、音楽化するのかを分析し、「付曲するvertonen」という行為は、詩の「おと」を聴き取り、その「おと」を音楽化する行為であることを明らかにする。これらは、従来のいかなる研究にもなかった新しい視点である。20世紀以降、「おと」を聴き取ろうとする作曲家が、「おと」を聴くヘルダーリンの詩に出会ったことこそが、「ヘルダーリン詩×音楽」の特異な現象に対する答えなのである。
まず第1章では、ヘルダーリンの生きていた文化圏やかれの音楽活動について概観し、第2章では、「付曲する」と訳されてきたvertonenという言葉の本来の意味を、この言葉の歴史的考察と分析を通して明らかにする。続く第3章では、作曲家が聴き取ろうとする詩の「おと」をヘルダーリンはどのように捉えているのかを、ヘルダーリン自身の難解で知られる美学論文から読み解き、ヘルダーリンにとって詩作行為は「おと」を聴く行為であることを明らかにする。その上で、第4章では、20世紀音楽の潮流の中にいたアイスラー、シェーンベルク、ノーノ、ライマンのヘルダーリン詩への付曲作品を取り上げ、作曲家自身の言説も参照しながら、かれらがヘルダーリンの詩の「おと」をどのように聴き取ろうとしたのかを具体的に分析する。
最後に一言。わたしは「おと」を聴く行為は、ヘルダーリンや限られた作曲家だけの話ではなく、全ての創造的な行為の秘密を解き明かす鍵になるのではないかと予感している。だから、本書で試みたことが、創造的な行為に携わる全ての方々へのエールとなるなら望外の喜びである。
(紹介文執筆者: 子安 ゆかり / 2021年1月12日)
本の目次
第I章 ヘルダーリンの詩作の概観と音楽活動
第一節 ヘルダーリンの詩作の概観
第二節 ヘルダーリンの音楽活動
第II章 ヘルダーリンの詩へのアプローチ
第一節 出版状況と研究状況
第二節 ヘルダーリンの詩への音楽的アプローチ
第三節 二〇世紀の音楽観と共振するヘルダーリンの詩の特徴
第四節 付曲=詩の「おと」の音楽化
第III章 ヘルダーリンの詩作行為
第一節 ベルトー / 詩作プロセスと作曲プロセス
第二節 『詩的精神のふるまい方について / 詩人がひとたび精神を操ることができるなら』
第三節 『表現とことばのためのヒント』
第四節 音調の交替
第IV章 ヘルダーリンの詩の「おと」を聴く作曲家
第一節 ヘルダーリンの詩の音楽化の試み / アイスラー
第二節 ヘルダーリンの詩の音楽化の試み / シェーンベルク
第三節 ヘルダーリンの詩の音楽化の試み / ノーノ
第四節 ヘルダーリンの詩の音楽化の試み / ライマン
終 章
参考文献 / あとがき / 索引