東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

白と黒の表紙

書籍名

カントにおける倫理と政治 思考様式・市民社会・共和制

著者名

斎藤 拓也

判型など

364ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2019年7月30日

ISBN コード

9784771032286

出版社

晃洋書房

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カントにおける倫理と政治

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カントは政治をどのような理念に照らして考えていたのでしょうか。ドイツ語圏や英語圏では特に1980年代以降、カントのリベラリズムや啓蒙主義、共和制への改革に注目して法や政治を論じる良質な研究が積み重ねられていて、近年ではこの分野で日本語の優れた単著も増えています。
 
本書のもとになった博士論文の執筆を開始した当初は、カントが18世紀のプロイセンの君主制の社会で共和制を正しい政治体制の理念として擁護していることに注目し、それを徐々に現実の制度にしていく政治的改革の構想を明らかにしようと考えていました。しかし、研究を進める過程で、そのような改革を開始し、持続させるエネルギーはどこで生まれ育まれるのかといったことにも関心が広がり、政治制度だけではなく道徳哲学の観点から個々の行為者と社会を考察する研究になっていきました。
 
本書の特色をひとつ挙げるとすれば、共和制への漸進的改革を、これまで論じられてきた君主による上からの国家の改革という観点からだけではなく、「市民社会」という別の方向からも描き出したことです。自由や平等といった人間の権利と人民主権を実現する政治制度を打ち立てる過程に、当時の為政者である君主のイニシアティヴが不可欠だとカントが考えていたことに疑問の余地はありません。しかし同時に権利や主権の担い手となる市民が自らの社会のためにもつべき理念と考え方――カントはこれらを「根源的契約」と「思考様式」と呼んでいます――についてのカントの思想もまた、制度の改革に劣らず重要な論点だと私は考えています。
 
安定した道徳的な態度を示す「思考様式」はカントの道徳哲学の中心的概念の一つである自律に含まれていますが、その確立の困難さを個々の行為者と社会の次元で解明したのが本書の第一部です。人間には善への素質だけでなく、根元悪があるがゆえに思考様式の確立は困難であり、何も秩序がない自然状態では人々は万人の万人に対する闘争に陥ってしまうだろうとカントは考えるのです。
 
第二部では、カントが自然状態からの脱出と悪の回避を個人だけではなく市民社会の課題とみなし、その課題を既存の政治的社会 (国家) と倫理的社会 (教会) の改革によって解決すべきだと考えていたことを詳細に論じています。市民社会で人々が啓蒙を通じてあまたの問題を孕んだ既存の教会や国家の統治のシステムとは異なる仕組みを模索することが重要なのです。
 
第三部では、共和制への改革が君主だけではなく、根源的契約 (社会契約) の理念を尊重する思考様式をもつ人々 (政治家、学識者、市民) によっても促進されるというカントの見方を明らかにしました。このような視点から、共和制への改革が、しばしば強調されるように専制的支配を消滅させ市民の自由を創出するのみならず、世襲身分制の解体を通じて平等な市民の社会を形成するプロセスでもあることが理解できるようになるのです。
 
本書は政治制度の改革論にとどまらないカントの共和制の思想を描き出すことに挑戦しています。決して読みやすいとは言えないかもしれませんが、著者としては道徳哲学と政治哲学に関心のある多くの若い人に本書を手に取ってもらえることを願っています。
 
 

(紹介文執筆者: 斎藤 拓也 / 2020年10月28日)

本の目次

序論
 はじめに――「市民社会」の二重の構想
 先行研究――カントの政治思想における改革と市民の思考様式
 視座と方法
 本書の構成と内容
 
第一部 自然状態の原因
 
第一章 徳と幸福
 はじめに――最善の世界の探究
 第一節 道徳法則と有限な理性的存在者
 第二節 「理性の事実」としての道徳法則
 第三節 道徳法則を格率へ採用する――意志の自律と他律
 第四節 尊敬の感情
 第五節 最高善と理性信仰
 第六節 「神聖さ」の理念から「知恵」の理念へ
 
第二章 自由な意志規定にみられる悪の問題
 はじめに――悪と思考様式
 第一節 選択意志――格率採用の主観的根拠
 第二節 「悪への性癖」としての根元悪
 第三節 善き心術の成立と悪しき心情の諸段階――「格率の形式」から「思考様式」へ
 第四節 徳――心術と思考様式における革命
 第五節 有限な理性的存在者と「知恵」
 
第三章 自然状態の二重性――「法律的自然状態」と「倫理的自然状態」
 はじめに――カントの「自然状態」は何を意味するのか
 第一節 人間の本性と歴史
 第二節 根元悪と自然状態――悪の社会的次元
 第三節 社会的関係に見出される戦争状態
 第四節 自然状態の再定義
  1 倫理的自然状態――自然状態の原像
  2 法律的自然状態――権利の表象をめぐる争い
 第五節 「法律的自然状態」からの脱出と「倫理的自然状態」の残存
 第六節 傾向性から情念へ――市民社会の病理
 第七節 カントの「神義論」
 
第二部 市民社会と啓蒙
 
第四章 悪の問題の解決策としての二つの「市民社会」
 はじめに――「倫理的市民社会」と「法律的市民社会」
 第一節 教会を通じた純粋宗教信仰への移行――歴史的信仰の啓蒙と教会制度の改革
  1 倫理的公共体としての教会
  2 礼拝宗教から純粋理性宗教へ
 第二節 政治的公共体の目的――法権利の保障という「公共の福祉」
 第三節 根源的契約の理念と共同立法
 第四節 ホッブズへの反論――進歩の条件としての「言論の自由」
 第五節 市民社会の二重の構想と啓蒙
 
第五章 啓蒙――思考様式の真の改革
 はじめに――批判と啓蒙
 第一節 自分自身で思考する――啓蒙された思考様式
 第二節 真理と誤謬
 第三節 仮象、あるいは先入見――誤謬の源泉
 第四節 他の人の立場で思考する――拡張された思考様式
 第五節 いつでも自分自身と一致して思考する――首尾一貫した思考様式
 第六節 市民社会において「自分自身で思考すること」
 
第六章 理性の公共的使用と統治
 はじめに――統治と先入見
 第一節 啓蒙の「自己理解」――メンデルスゾーンとカント
 第二節 啓蒙の戦略――理性の公共的使用
 第三節 啓蒙の条件――統治者と市民社会
 第四節 啓蒙の危機――理性の自己保存
 第五節 「自分自身で思考すること」としての啓蒙から立法の原理へ
 
第三部 共和制への漸進的改革の諸相
 
第七章 民主政のパラドクスとカントの共和制概念
 はじめに――カントと一八世紀における共和制概念の変容
 第一節 主権論の系譜におけるカント
 第二節 正しい統治とは何か――主権の在処と統治の正当性
 第三節 統治における民主政のパラドクス――統治様式と支配形態
 第四節 共和制における政治的自律の構造
 第五節 立法における民主政のパラドクス――代議制の可能性
 第六節 古代の民主政から共和制へ――共和制の可能性の諸条件の探究
 
第八章 政治における「知恵」の概念――公的意志の形成をめぐって
 はじめに――「道徳的政治家」という形象と「知恵」
 第一節 道徳哲学における「知恵」の理念
 第二節 「思慮」から「知恵」へ――名誉欲と親切心の批判
 第三節 『永遠平和のために』における政治と知恵
  1 政治の知――「国家の思慮」と「国家の知恵」
  2 政治的道徳家――「自然のメカニズム」による国家の維持
  3 道徳的政治家――「国家の知恵」と共和制への漸進的改革
 第四節 政治的知恵のために――「言論の自由」と「公表性」
  1 公的意志形成の諸条件
  2 「言論の自由」と知恵の伝達――哲学と政治
  3 「公表性の原理」と政治的格率の吟味
 第五節 「共和制化」の構想における政治的代表観の変容
 
第九章 統治の改革と祖国的な「思考様式」
 はじめに――統治はどのように改革されるのか
 第一節 カントの政治思想における「市民」
  1 自由、平等、独立自存性
  2 庇護民から市民へ
 第二節 根源的契約の理念と改革
 第三節 家父長的統治から祖国的=共和主義的統治へ
  1 問題としての「統治」――「家父長的統治」
  2 「祖国的統治」と「祖国的思考様式」
  3 「統治様式」としての共和制
 第四節 共和制への改革の諸相――統治様式と思考様式
  1 「自由」への改革
  2 「平等」への改革と世論
 第五節 「市民的体制」としての共和制の諸制度――諸権力と代表制
 第六節 「祖国的であること」と「共和制的であること」
 
結論 「市民社会」が自らを変容させうる諸条件について
 最善の世界と自然状態
 市民社会の形成――国家、教会、公共圏
 共和制の諸原理と思考様式
  1 共和制における立法の原理と制度
  2 共和制における執行の原理と制度
  3 政治体制とメンタリティ――祖国的な思考様式
 共和制への漸進的改革における政治的代表
 
あとがき
 
参考文献
事項索引
人名索引