東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

白い表紙、書名のタイポグラフィー

書籍名

ブリティッシュ・エイジアン音楽の社会学 交渉するエスニシティと文化実践

著者名

栗田 知宏

判型など

332ページ

言語

日本語

発行年月日

2021年7月1日

ISBN コード

978-4-7917-7400-5

出版社

青土社

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ブリティッシュ・エイジアン音楽の社会学

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本書は、ホスト社会から一枚岩的に捉えられがちなエスニック・マイノリティの一集団内における多様性と、集団内部の立ち位置をめぐって交渉するかれらのエスニシティの様態を、ブリティッシュ・エイジアン音楽と呼ばれるイギリスの南アジア系ポピュラー音楽の実践を事例として描き出す試みである。
 
イギリスでは、エイジアン (Asian) とは主に、かつて植民地であったインドやパキスタンを含む南アジア諸国からの移民、ならびにその子孫を指す。エイジアンという呼称は、ホスト社会であるイギリスからの (ポスト) コロニアルな「名づけ」としての性格と同時に、南アジア系の人々が自分たちのコミュニティや文化を指して自己言及的に用いる「名乗り」の側面も持っている。
 
しかし、その総称的で包括的な枠組のなかには、ある種の文化的な力関係も見出せる。エイジアン音楽とは、在英南アジア系アーティストの作る、南アジア的な要素を含んだ様々な音楽実践を含みうるカテゴリーである。それにもかかわらず、実際にはバングラー (Bhangra) という北インドとパキスタンにまたがるパンジャーブ地方発祥の音楽が、常に代表的な実践として前景化してきた。一方、それ以外の南アジアの地域的な要素 (歌詞の言語やサウンド) を含む音楽実践は、相対的に周縁化されやすい状況にあると言える。こうした様相に目を向けると、マイノリティ集団の内部におけるマジョリティ/マイノリティ性をめぐる人々の複雑な相互交渉が立ち現れてくる。
 
本書では、エイジアン音楽産業に携わる人々の総体的なネットワークを「場 (field) 」(P. ブルデュー) と捉え、その場を成立させているエイジアンという観念が当事者たちによっていかなる意味を持つものとして用いられているかを、(アーティストやDJを含む) 業界関係者27名へのインタビューデータを中心に考察した。マクロな社会構造に埋め込まれた「客観的諸関係の空間」としての「場」は、その内部の (H. ベッカーが「界 (world) 」概念から論じる) ミクロな相互作用によっても維持されうるという視座から、イギリス社会の人種・エスニシティという「客観的諸関係」に裏打ちされたエイジアン音楽場内部における、行為者たちの意味づけや相互交渉のありようを描いている。これにより、「エイジアン」というカテゴリーの意味世界を、(白人やアフロ・カリビアンといった) 他のエスニック集団との関係性に加え、エイジアン内部の多様なサブ・エスニックな背景を持つ人々の位置取りがもたらす効果として検証している。
 
言うまでもなく、人の帰属意識やアイデンティティとは複層的であり、また文脈依存的なものである。本書ではそうした、状況に応じて選び取られる様々なレベルのエスニシティの力学を、エスニック・マイノリティの音楽文化を手がかりに社会学的に論じることを試みた。ホスト社会に生きる「移民」や「エスニック・マイノリティ」という存在を、かれらのコミュニティ内部の差異と多様性に着目しながら動態的に理解するための一助となれば幸いである。
 

(紹介文執筆者: 栗田 知宏 / 2022年6月17日)

本の目次

はじめに
 1 本書の出発点
 2 ブリティッシュ・エイジアンという「一体性」(アイデンティティ) とその多様性
 3 ブリティッシュ・エイジアンのポピュラー音楽を取り上げることの意義
 4 本書の構成
 
第I部 問題設定と理論的検討
 
第1章 ブリティッシュ・エイジアン音楽を社会学する
 1 エイジアン (音楽) を研究するにあたって
 2 分析視角
 3 調査方法と対象
 
第2章 対象と方法 ―― エイジアン音楽場と文化的真正性・正統性
 1 「場」と「界」―― 文化作品の生産・流通・消費の圏域をめぐって
 2 「場」としての音楽ジャンル ―― ジャンルを成立させる「真正性」「正統性」指標
 3 「生産の文化」としてのポピュラー音楽 ―― 音楽産業論の観点から
 4 エスニック・ビジネスにおけるエスニシティの商品化
 
第3章 在英南アジア系移民とエイジアン音楽の発展
 1 在英南アジア系移民の歴史的・地理的背景
 2 エイジアン音楽の方向性
 3 エイジアン音楽の内部における多様性 ―― 宗教・カースト、地域性、ディアスポラ
 4 エイジアン音楽産業の構成
 5 エイジアン音楽場の特徴
 6 エイジアン音楽をめぐる先行研究の検討
 7 真正性・正統性指標からみるエイジアン音楽場の構成原理
 
第II部 データ分析と考察
 
第4章 「音楽的スタイル」からみるエイジアン音楽場
 1 インタビュー調査の概要
 2 〈伝統的象徴〉の音楽実践の諸相
 3 〈伝統的象徴〉×〈アーバン〉の音楽実践の諸相
 4 〈伝統的象徴〉の消失した音楽形式が「エイジアン音楽」となる構造的要因
 5 まとめ
 
第5章 交錯するエスニシティの力学
 1 「非エイジアン音楽」を演じるエイジアン・アーティストの布置
   ―― ジェイ・ショーンの音楽実践とその解釈から
 2 サブ・エスニックなマイノリティのエイジアン音楽場への参入をめぐって
 3 まとめ
 
第6章 「媒体」がつくるエイジアン音楽 ―― 音楽チャートとメーラー
 1 音楽チャートにみるエイジアン音楽としての「代表性」
 2 南アジア系イベントにおける音楽ステージの象徴的機能 ―― メーラーを事例として
 3 まとめ
 
終章 「エイジアン」カテゴリーはいかにしてつくられるか ―― その可変性/不変性
 1 音楽産業とメディアを介した場の「一体性」/「多様性」をめぐる象徴闘争
 2 エスニック・アイデンティティ備給装置としてのエイジアン音楽産業
 3 エスニシティの「個人化」と選択される「エイジアン性」
 4 交渉するエスニシティの動態的な理解に向けて
 

あとがき
参考文献
索引