東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

白い表紙と光の写真

書籍名

バッハと対位法の美学

著者名

松原 薫

判型など

376ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2020年1月23日

ISBN コード

9784393932179

出版社

春秋社

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バッハと対位法の美学

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バッハ (1685-1750) の《フーガの技法》、《音楽の捧げもの》、《平均律クラヴィーア曲集》など、フーガやカノンの技巧を凝らした作品は、クラシック音楽ファンもそうでない人も、どこかできっと耳にしたことがあるにちがいありません。バッハといえば対位法である――これは今ではほとんど常識となっています。しかし他方で、バッハの伝記を読んだことがある人ならば、早くも彼の生前から、その対位法が時代遅れのものとして批判されていたことを知っているでしょう。
 
それでは今日に通じる「対位法の巨匠」というバッハ像は、いつどのようにして確立されたのでしょうか? 実のところ、この名声に至るまでのプロセスはこれまで十分に検討されてきませんでした。バッハの対位法は際だって素晴らしいのだから高い評価を得て当然である、という先入観が、おそらく研究者たちをこの問題から遠ざけてきたものと思われます。
 
そこでこの問いにあえて取り組んだのが本書です。
 
明らかになったのは、18世紀の間、対位法についての考え方は同時代の音楽美学を反映しながら、たえず変遷したということです。対位法はもともと作曲の根本をなしていましたが、18世紀中頃になると、その数学的要素、ゴシック的要素が時代の趣味に合わないとしばしば批判されました。ところが実際の音楽でそれがあまり用いられなくなっていくと、むしろ反対に、対位法はアルカイックで時代を超越する音楽書法である、という肯定的なイメージが形成されました。この「対位法観の劇的な大転換」と、弟子たちによる「バッハの作曲技法の正典 (カノン) 化」が互いに働きかけあうことにより、1800年頃までに対位法作曲家としての優れたバッハ評価が定着したのです。
 
本書は、各章で一人ずつバッハと何らかの接点のあった音楽家に注目し、その著述から対位法やバッハの音楽についての当時の考え方を汲み取る、というスタイルで進んでいきます。創作と演奏に身を捧げたバッハと異なり、音楽理論、批評の場でも活躍した彼らは、侃々たる議論を繰り広げたのです。ただし18世紀ドイツ音楽美学の膨大な文献は亀甲文字 (フラクトゥール) で印刷され、読みづらいこともあり、世界的に見ても十分に紹介、研究されているとは言えません。こうした文献を数多く取り上げている本書が〈音楽〉、〈ドイツ〉、〈18世紀〉への関心を呼び起こし、ひいては研究の手がかりに資するのであれば、この上ない喜びです。
 
読み進めていくうちに、古代ギリシャ以来の感性と理性の対立、ギャラント様式 (ロココ的様式) の流行、ドイツ音楽の固有性の問題、疾風怒濤 (シュトゥルム・ウント・ドラング)、ロマン主義的音楽美学など、18世紀の文化史を彩る様々な話題が登場することに驚くかもしれません。一見するとバッハと全く関係なさそうに思われるこれらの主題が、「バッハと対位法の美学」を織りなす――そのダイナミックな様子を、ぜひ目の当たりにしていただきたいと思います。

 

(紹介文執筆者: 松原 薫 / 2021年3月16日)

本の目次

序論
1 一八世紀とバッハの対位法
2 一八世紀において対位法とは何だったか
3 本書の構成
 
第1章 ハイニヒェン 数学的音楽観としての対位法を批判する
1 数学的音楽観の黄昏、ギャラント概念の台頭
2 一八世紀前半の対位法批判
3 対位法理論からの脱却――ベルンハルトとハイニヒェン
4 「規則からの逸脱」を正当化する趣味
5 バッハのギャラントな音楽?
 
第2章 マッテゾン 対位法をめぐる伝統と革新
1 バッハとマッテゾン、二人の巨人
2 「旋律論」とは何か
3 自然と技巧――「カノンの解剖学」
4 自然と数学――『完全なる楽長』
5 旋律論と対位法理論
6 バッハからマッテゾンへの応え
 
第3章 マールプルク 「ドイツ、フーガ、バッハ」を語る
1 バッハを崇拝するベルリンの音楽家たち
2 「ドイツ、フーガ、バッハ」のトポスの形成
3 フーガの普遍性の提起
4 ドイツ性と普遍性の交点
5 トポスのゆくえ
 
第4章 キルンベルガー バッハの作曲技法を継承する
1 『純正作曲の技法』、あるいはバッハの作曲技法
2 「純正」とは何か
3 「表現の多様性」と教会旋法
4 「表現の多様性」と四声書法
5 教会旋法と過去の教会音楽の探究
 
第5章 ライヒャルト バッハ批評の異端児
1 疾風怒濤 (シュトゥルム・ウント・ドラング) 時代のライヒャルトとゲーテ
2 バッハ評の意義と射程
3 バッハ評とゴシック
4 「真の教会音楽」への憧憬
5 ロマン主義的バッハ解釈へ
 
第6章 ネーゲリ バッハの対位法作品出版に挑む
1 バッハのフーガと厳格様式への関心
2 一九世紀初頭のバッハ作品出版
3 ネーゲリの音楽美学と厳格様式
4 一七九〇年代における《平均律クラヴィーア曲集》への関心
5 ネーゲリの《平均律クラヴィーア曲集》への関心
6 一八世紀的バッハ受容の到達点
 
結論
1 本書をふりかえって
2 対位法観の変遷
3 バッハの作曲技法の正典 (カノン) 化
4 バッハと対位法の美学
 
あとがき
 
参考文献

索引

 

関連情報

書評:
滝藤早苗 評 (『ドイツ文学』164号 2022年)
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jgg/-char/ja

松田聡 評 (『日本18世紀学会年報』第36号 2021年)
https://www.jsecs.jp/annual-bulletins

西原稔 評 (『音楽学』第66巻2号 2020年)
https://www.musicology-japan.org/publish/publish_main.html

小沼純一 評 (『音楽の友』2020年5月号)
https://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?code=032005
 
山下祐樹 評 (埼玉新聞 2020年4月19日)
 
朝山奈津子 評「バッハの音楽の評価軸の変化――バッハについて、「対位法」について、18世紀後半の思潮について」 (『図書新聞』第3444号 2020年4月18日)
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/shinbun_list.php?shinbunno=3444