東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

和模様のグレーの表紙

書籍名

おのずから出で来る能 世阿弥の能楽論、または〈成就〉の詩学

著者名

玉村 恭

判型など

336ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2020年12月24日

ISBN コード

9784393930397

出版社

春秋社

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おのずから出で来る能

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本書で私が目指したのは、世阿弥の能楽論を芸術論として読み、彼の思想の特質は何かを美学 (史) 的な観点から明らかにすることである。すなわち、世阿弥を一人の芸術思想家と見立てて、いわゆる美学・芸術学的なトピックに関して世阿弥がどのような考えを抱いていたかを探ること、これが本書の目的である。
 
ここでいう「美学・芸術学的なトピック」とは、例えば演劇や音楽などのパフォーマンス芸術において、観客に訴える美的な価値とはどのようなものか、それらが目指す感動とはいかなるものであり、それはどういった形で観客に伝わるか (伝わらないか)、また、そのような美的な感動を引き起こすような演技や作品とはどんなものであるか、といったことである。
 
もちろん、世阿弥は600年も昔の能役者であり、現代の私たちが言うところの「芸術家」ではない。近代的な「芸術」の概念とも無縁である。しかし、芸術的表現に関する彼の問題意識は現代の我々のそれと重なる部分も少なくないし、彼が記したアイデアには私たちの関心に応えるものが多く含まれている。だが私の見るところ、彼の論が持つそうした可能性は、これまでの研究で十分には汲み尽くされていない。
 
これまでは、世阿弥の言説を歴史資料として、または、ある種の生き方を示す思想書として活用するというのが研究の主流を占めてきた。それらの研究で多くのことが見えてきたのは事実だが、本書ではそうしたアプローチをあえて避け、芸術学的な関心を前面に出す。そうすることが、彼の思想の今日的な意味を引き出す有効な手法だと考えるからである。
 
ここ四半世紀ほどの間に、美学、芸術学、文化研究でも大いに進展があった。「芸術」「芸術家」のほか、「作品」「作者」といった、これまでの芸術研究、芸術論読解の土台にあった概念が根本から揺さぶられ、美や芸術に関する新たなものの見方が求められている。そんな今だからこそ、世阿弥の理論を改めて分析の俎上に上げ、これまでの研究とは少し違った角度から見直す必要があるのではないか。これが本書の議論の根底にある問題意識である。
 
例えば、有名な「初心忘るべからず」の教え。これは現代では、ある種の人生訓として読まれることが多い。だが彼がこのテーゼを提示した最も根本的な理由は、生き方の問題以前に、「初心」を忘れないでいることが芸術的な効果をあげるために有効だからである。だとすれば、「初心」を忘れないことによって演者の表現行為に何がもたらされるのか。「初心」を忘れると表現の精度が下がる (つまり「初心」とは心がけの問題ではなく、純粋に表現の問題である) と彼は主張するのだが、それはなぜなのか。こうしたことこそが問われなければなるまい。(実は世阿弥はここで、我々の人間観・教育観に反省を迫るような過激な主張を展開しているのだが、それについては本書をお読みいただきたい)
 
21世紀も20年が経過して、今さら能でもあるまいと考える向きもあるかも知れない。だが、「伝統芸能」というフィルターをはずして虚心にテクストに向き合うならば、彼の言葉は表現を志す誰に対しても、ある種の迫力と真実味を持って迫ってくるはずである。世阿弥の思想の奥行きを、そして能という芸術 (敢えてこの言葉を使おう) の「懐の深さ」を感じ取ってもらえたら、嬉しく思う。

 

(紹介文執筆者: 玉村 恭 / 2022年2月22日)

本の目次


一 世阿弥の人間像をめぐって
二 これまでの世阿弥能楽論研究とその問題点
三 本論のアプローチと本書の構成
 
I 俳優
 
第一章 俳優の魅力とは何か――〈花〉
一 〈花〉という比喩
二 身の花
三 心の花
四 和合の花
五 花の種の探求へ
 
第二章 面白いとはどういうことか――〈めづらし〉
一 意外性
二 必然性
三 出で来る花
四 花の種の探求へ
 
II 演技
 
第三章 声はどこから出るか――〈一調・二機・三声〉
一 息としての機
二 心の機
三 陰陽の和合
四 声と舞
 
第四章 どうすればよく似せられるか――〈物まね〉
一 〈よく似せる〉
二 〈成り入る〉
三 〈大様な能〉
四 物まねと音曲
 
III 作品
 
第五章 作品をどう構成するか――〈序破急〉
一 作品存在とその統一性
二 世阿弥の作品観
三 〈終わり〉と〈まとまり〉
四 自然物としての作品
 
第六章 詞章をどのように綴るか――〈歌道〉
一 曲折する文-《班女》分析(一)
二 想像を飛翔させる-《班女》分析(二)
三 認知の撹乱、理解の先送り
 
IV 観客
 
第七章 観客に何を見せるか――〈秘すれば花〉 
一 秘することの〈大用〉
二 観客は敵か?
三 謎の創造性
四 花ぞとも知らぬ花
 
V 教育
 
第八章 可能性をどう育むか――〈初心〉 
一 成長とはどのようなプロセスか
二 〈初心〉とは何か
三 〈かつての自分〉とは誰か
四 可能性としての子ども
五 表現論と教育論
 

一 表現者としての〈強さ〉
二 世阿弥の思想のポテンシャル
 

参考文献
 
あとがき

 

関連情報

受賞:
第1回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2020年)
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
 
書評:
横山太郎 評 (『能と狂言』第19号 2021年)
http://nohgakugakkai.cside.com/journal.htm

[2021年上半期の収穫から - 45人へのアンケート] 荻野 哉「美学・芸術学」 (『週刊読書人』 2021年7月23日)
https://dokushojin.stores.jp/items/60f6841756e0f1165db7abb9
 
中尾薫 評「複数の世阿弥伝書をあやつり、スマートに原理をよみとく――芸術、演劇、演技という本来世阿弥が意図していたはずの原点に回帰」(『図書新聞』第3492号 2021年4月17日)
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/shinbun_list.php?shinbunno=3492

書籍紹介:
「能楽の大家・世阿弥が伝えたかった「初心忘るべからず」の本当の意味」 (「じんぶん堂」 2021年2月25日)
https://book.asahi.com/jinbun/article/14127836