東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

梅の木の水墨画

書籍名

蘇軾詩論 反復される経験と詩語

著者名

加納 留美子

判型など

340ページ、A5判、上製

言語

日本語

発行年月日

2022年10月

ISBN コード

978-4-87636-472-5

出版社

研文出版

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蘇軾詩論

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本書は、中国北宋の士大夫蘇軾 [そしょく] (1037-1101) の詩文にみられる独自の反復性――過去に作った自作の表現や着想、構造などを踏まえて新たなに詩を作るという行為――に着目し、その創作意図を論究したものである。
 
蘇軾は四十年を超える官僚人生の中で、[1] 朝廷での政治的対立に直面し、[2] 政争を避けて地方官を歴任し、[3] 罪臣として左遷され、[4] 名誉回復を果たすという過程を二度経験した。興味深いことに、その経歴と連動するように、以前詠んだ自作の表現や構成を踏襲して新たに詩を詠むという手法を繰り返し用いている。その具体例として、次の二首 (二句ずつ引用) を紹介したい。
 
去年今日關山路    去年の今日 関山の路
細雨梅花正斷魂    細雨 梅花 正に魂を断てり
「正月二十日、往岐亭、郡人潘・古・郭三人送余於女王城東禪莊院」
 
春風嶺上淮南村    春風嶺上 淮南 [わいなん] の村
昔年梅花曾斷魂    昔年 梅花 曽 [かつ] て魂を断てり
「十一月二十六日、松風亭下、梅花盛開」
 
前者は一度目の左遷時、後者は二度目の左遷時に詠まれたもので、その表現・詩句に高い類似性が認められる上、同じ韻を用いている。だが実のところ、二作の間には十五年弱もの隔たりがあった。こうした意図的な反復性から、蘇軾は年月の隔たりを超越して過去の自作から当該の詩を引き出す程の博覧強記な人物であり、自在に創作に応用させる天賦の技量を備えていたことが知れる。今日、「北宋文学の最高の成果を代表する者 (中国の碩学・王水照氏の言)」と評される所以である。
 
蘇軾が見せた「先人の表現を典故とするように、過去の自作を引用して詩を詠む手法」は、宋代以前の作品では殆ど確認されず、また蘇軾ほど徹底して実践した文人も存在しなかった。ただし、それは決して高級官僚や知識人としての自尊心を満たす為ではなく、波乱の官途を歩んだが故の必然的な戦略――過去の自作を応用させて詠むことが齎す効果への期待があった点に注意したい。すなわち、過去の類似する状況下で作られた自作を引用しつつ現在の境遇を肯定的に描き、それによって今後の好転を嘱望するという極めて私的な言祝ぎの役割を期待したことにこそ、その独自の意義が指摘できるのだ。
 
本書では個々の作品間に見出せる連環を、蘇軾の「自作参照」と呼び、実例を交えつつその多彩な「自作参照」のありようを6章にわたって考察している。各章では「自作参照」の起点となった熙寧十年 (1077) 徐州知事時代から建中靖国元年 (1101) 左遷地海南島から北上する途上で死去するまでの二十五年間の作品を中心に論じた。なお第6章では、「自作参照」が困難となった状況下で、蘇軾が試みた新たな表現・作風に着目している。各章の具体的内容については目次を参照されたい。
 
本書が有する学術的・社会的意義としては、日本では未だ蓄積が十分とは言い難い蘇軾文学の研究に新たな視座を提示したこと、加えて「過去の自作の表現や構成を踏襲し、新たに詩を詠む手法」たる「自作参照」にこそ蘇軾の詩人としての本質が現れるのだと解明したことにある。
 
蘇軾詩における「自作参照」は、制作時期や場所などを過去の作品に擬えた上で新たな詩を詠むように、並みならないこだわりを発揮させた事例が少なくない。敢えて制限を課して築かれた作品群を探れば、その深奥に詩を巡る本質的な問い――「人は何故詩を詠むのか」「詩を詠むことで人は何を成し得るのか」に対する、蘇軾が自らの生涯を掛けて証明した回答を見出すことができる。蘇軾という一個人に着目しつつも、その作品世界を探求することで中国古典文学をめぐる普遍的な課題へも切り込んだ点に、本書のもう一つの意義、および学術的価値があると言える。
 

(紹介文執筆者: 加納 留美子 / 2023年4月17日)

本の目次

序章 蘇軾詩における反復性とその検討
はじめに
1.蘇軾の生涯
2.本論の主題――蘇軾詩における反復性
 2-1.「自作参照」――過去の自作を踏まえた詩
 2-2.「自作参照」の祖型――「典故」の効能
 2-3.「自作参照」の諸相――新たな「連作詩」
3.景物との接触が促した反復性
4.各章の構成
5.使用テキストについて
 
1 徐州時代の蘇軾――「自作参照」の視角から
はじめに
1.徐州赴任の経緯
2.黄河決潰とその対応
3.黄河決潰と蘇軾詩の制作状況
4.「夜雨対牀」――「自作参照」の典型として
5.「吾生如寄耳」――黄河決潰が齎した詩意の転換
6.「河復幷敍」――成功体験が齎した「天報論」
おわりに――徐州時代の作品に見る「自作参照」
 
2 「人衆者勝天、天定亦勝人」――詩人が託し、詠った「天報論」
はじめに
1.自然現象に見出した「吉兆」――「臨城」詩と韓愈故事
2.天意の感得――「海市」詩
3.対立する天と人――「三槐堂銘」に見る「天報論」の確立
4.「吉兆」と「天報論」の合流――「行瓊儋」「次前韻寄子由」二詩
5.帰還の予感――黄河の北流
おわりに
 
3 「夜雨対牀」――蘇我兄弟を繋いだもの
はじめに
1.蘇軾兄弟と「夜雨対牀」
 1-1.作品一覧
 1-2.「夜雨対牀」詩の契機とその特徴
2.「夜雨対牀」の諸相
 2-1.夜雨を聞くことの意味――「聞雨」詩との比較
 2-2.月との比較――即時性と随意性
3.蘇軾兄弟「夜雨対牀」詩の諸相――貶謫から栄達へ
 3-1.貶謫期の楽観性
 3-2.栄達期の悲観性
4.「東府雨中別子由」――「梧桐」と「汝」が語る「自作参照」
 4-1.「東府」詩の構成――変化する「汝」
 4-2.「感旧」詩における「参照」――梧桐である所以
 4-3.過去との呼応――「夜雨対牀」詩の集大成として
おわりに――拡大発展を遂げた「夜雨対牀」
 
4 梅花の「魂」詠梅詩における「自作参照」
はじめに
1.「梅花二首」――梅花の発見
2.梅花と他の花の描写に於ける「自作参照」
 2-1.牡丹と梅花――意思持つ花
 2-2.海棠と梅花――異郷で邂逅した同志
 2-3.自作次韻型の連作詩――拡張される作品世界
3.梅花の「魂」――「自作参照」を経て獲得されたもの
 3-1.「正月二十日」三首――「招魂」から「返魂」へ
 3-2.「松風亭」三首――詠梅詩の集大成として
おわりに
 
5 蘇軾羅浮山詩考――繰り返された「作法」
はじめに
1.神秘に満ちた嶺南の風景
2.蘇軾の羅浮山作品
3.泰山に比された山――「游羅浮山」詩
4.来訪する山、返礼する詩人――「寓居合江楼」詩
5.蓬莱から浮来した山――「白水山仏跡巌」詩
6.羅浮山と和陶詩――新たな展開
おわりに
 
6 海南時代の詩における風景描写――詩人としての挑戦
はじめに
1.踏襲されなかった貶謫時の「作法」
 1-1.「初到」詩に於ける決意表明
 1-2.詠花詩を通じて得た自己肯定
 1-3.散文と韻文――現地観察に見る使い分け
2.抽象性と普遍性――間接的手法による称賛
3.居住空間の描写――演出された住環境
4.「欠月」の風景――「欠けたる美」の発見
おわりに
 
終章――「自作参照」が齎したもの
 
主要参考文献一覧
 
あとがき
 
索引

関連情報

受賞:
第3回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2022年)  
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
 
助成:
日本学術振興会科学研究費助成事業 研究成果公開促進費 (学術図書 : 採択課題番号22HP5043 2022年
https://www.jsps.go.jp/file/storage/grants/j-grantsinaid/13_seika/data/seika_saitaku/r_04_seika_saitaku.pdf