
書籍名
アンドレ・ジッドとキリスト教 「病」と「悪魔」にみる「悪」の思想的展開
判型など
440ページ、四六判
言語
日本語
発行年月日
2022年11月10日
ISBN コード
9784779128363
出版社
彩流社
出版社URL
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「悪」とは何だろうか。私たちはとかく社会の常識や慣習に則って、「これは良い」「これは悪い」と判断しがちである。しかし、常識や慣習という判断基準は、時代や地域が違えば異なり得る相対的なものである。であるとすれば、他者の言動を「悪」だと糾弾する人々が拠り所とする価値観そのものを問い直すとき、「悪」をめぐる一般認識は覆され得るのではないだろうか。
本書は、19世紀末から20世紀の半ばにかけて執筆活動を行ったフランスの作家アンドレ・ジッド (1869-1951) が、自分自身の「悪」と向き合うなかで示した思索と、それを足掛かりに展開した「悪」をめぐる思想の独自性を、「病」と「悪魔」という二つの軸となる観念を通じて明らかにしたものである。プロテスタントかつ同性愛者というフランス社会のマイノリティにあったジッドは、カトリックや異性愛者といったマジョリティによって形作られる規範や常識に対峙するなかで、あくまでもキリスト者に留まりつつ、既存の宗教的価値観とは異なる視点で「悪」を捉え直そうとした。そのロジックを明らかにし、同時代的・現代的意義を提示することが、本書の主要な狙いである。
フランス語において « le mal »(悪) という語によっても表される通り、「病」はまさに医学的・宗教的見地から「悪」と見なされるものであった。にもかかわらず、ジッドは幼少期から病弱だったうえに、当時の医学言説によれば「病」に他ならない自慰の欲求や同性愛といった性的指向を自認してもいた。さらに、「病」はキリスト教道徳において「罪」と同一視され、克服しなければならないものともされていた。それゆえ、ジッドは幼少期より自らの心身を「悪」と結び付け、「罪」の意識にとらわれていたが、やがて作品創作を通じて、独自の仕方で「悪」を把捉するに至る。
第I部では、当時の医学言説や宗教言説をふまえ、幼少期から1900年代頃までのジッドにおける「病」観を検討した。第II部では、「病」への思索を通じてキリスト教思想が深まった1910年代以降の作品における「病」の表象を分析し、キリスト教的価値観において「悪」とされてきた「病」を信仰の枠内で捉え直そうとするロジックと、そこから看取される既存の宗教に対する批判的意識を浮かび上がらせた。第III部では、「病」に次いでジッドの内に生じた「悪」の主題として「悪魔」の問題を取り上げ、信仰と矛盾しない仕方で「悪魔」を解釈しようとするこの作家の論旨を明らかにした。
ジッドが作品を通じて試みたのは、「病」や「悪魔」を「悪」として否定し、それらの除去や克服を求める既存のキリスト教的価値観の問い直しと、「悪」とされてきたものを否応なく抱える自己そのものの肯定であった。ジッドによれば、「悪」の排除に汲々として人生を浪費するのではなく、あるがまま生きることこそが、福音書に記されたイエスの言葉に適うものなのである。ジッドはあくまでもキリスト者として社会や時代と格闘した作家であった。だが、各人の生を肯定し、多様な価値観の存在を主張したジッドの態度は、必ずしもキリスト教的な価値観の内部でのみ意義のあるものではない。「悪」をめぐるジッドの長きにわたる思索は、彼個人、またキリスト教社会に留まらない普遍的射程を有していたと言えるだろう。
(紹介文執筆者: 西村 晶絵 / 2023年2月13日)
本の目次
第I部 「病」と宗教
第1章 幼少期から一八九〇年頃までのジッドと「病」
第2章 初期作品における「病」とジッドにおける「病」
第3章 「病」についての価値転換とキリスト教思想の形成
第II部 「病」、身体、宗教
第1章 「盲目」と宗教
第2章 カトリックと「病」――『法王庁の抜け穴』を通して
第3章 セクシュアリティと宗教
第III部 ジッドにおける「悪魔」の問題
第1章 ジッドの悪魔論
第2章 『贋金使い』における「悪魔」の問題
結論
書誌一覧
あとがき
関連情報
第3回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2022年)
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
受賞:
第40回渋沢・クローデル賞 奨励賞 (公益財団法人日仏会館 2023年)
https://www.mfjtokyo.or.jp/images/prixshibusawaclaudel/2023/nishimurakotoba.pdf
https://www.mfjtokyo.or.jp/images/prixshibusawaclaudel/2023/senpyo_nishimura.pdf