
書籍名
映画館に鳴り響いた音 戦前東京の映画と音文化の近代
判型など
784ページ、A5判
言語
日本語
発行年月日
2024年7月10日
ISBN コード
9784393930496
出版社
春秋社
出版社URL
学内図書館貸出状況(OPAC)
英語版ページ指定
映画館に鳴り響いた音。このタイトルからどのような音を想像するだろうか。現代の映画館に響く音なら、重低音の効果音、メロドラマの涙を誘うストリングス、カーチェイスの手に汗握る音響、アクション映画の壮大なオーケストラ、SF映画に響く近未来のさまざまな音、あるいはお気に入りのアーティストの主題歌を想像するかもしれない。
しかし本書があつかうのは戦前の日本の映画館である。当時の音は現代の映画館から想像するのとは大きくちがっていた。あまりに現代の感覚と異なるので、研究をしながら何度もおどろかされてしまったほどだ。
フィルムに録音の音声がついていなかったサイレント映画の時代には、映画上映のおりには映画館ごとに実演でさまざまな音がつけられていた。弁士と呼ばれる語り手が台詞やト書きを語り、外国映画にはピアノから管弦楽まで映画館に雇用された楽士が西洋音楽を演奏した。しかし外国映画に琵琶を合わせるような試みもあり、日本人の音楽感覚がいかにちがったかがわかる。もっとも、観客のなかには、伴奏に使われた西洋音楽の曲名が気になり、上映中に演奏者の楽譜を覗こうとしてスクリーンの方へ歩いていく者さえいた。観客のふるまい自体も大きくちがっていた。
日本映画の上映空間も現代と大きく異なる。いまのテレビや映画には日本の伝統音楽が響くことは稀である。大河ドラマをはじめ時代劇にもオーケストラのサウンドが響く。しかしそのようになったのはサイレント映画の時代だ。実は当初、日本映画には声色弁士と呼ばれる語り手が舞台俳優の語りをまねて語り、歌舞伎などのように囃子鳴物が響き、さらには義太夫、新内、琵琶歌、浪花節 (浪曲) といった浄瑠璃、語り物を伴っていた。ところが時代が変わると次第に管弦楽合奏が増加し、西洋音楽を伴うようになった。しかしそれでもサイレント時代には西洋音楽と三味線の響き、あるいは琵琶歌が西洋音楽と共存していた。映画館の試行錯誤のなかで西洋音楽と日本音楽が折衷的に組み合わされたのである。
トーキー映画の時代になっても、さまざまな音が響いたが、映画館で響く音は実演から録音に変化し、日本音楽が減少して西洋音楽がますます一般化していった。サイレント時代の映画館にいた弁士や楽士が解雇されたことは比較的よく知られているが、現代の映画やテレビにもふつうに存在する伴奏音楽を排除しようとする動きもあったし、またナレーションのような声も試行錯誤のなかで登場したものだった。「サイレント」から「トーキー」へという映画史の大きな変化があった戦前において、映画館は多彩な音文化の拠点だったといっても過言ではないように思われる。
本書で試みたのは、日本の映画館においてスクリーンとともにどのような音が響き、また映像と音がどのような力学のもとで、どのような関係を取り結んできたのかを明らかにすることである。本書ではこれを可能なかぎり具体的に跡づけるために、東京の映画館に視点を限定して新聞、雑誌、書籍、映像だけでなく、映画館プログラム、楽譜、レコード、琵琶台本といった資料を分析した。そしてそうした音文化の特徴を考えるために、海外の事例にも視野を広げてグローバルヒストリーというべき視座のもとで考察を試みた。
現代はスマホやタブレットで短い動画を見ることが増え、映画の鑑賞環境が大きく変容しつつある時代だ。それは生演奏上映や応援上映など、映画鑑賞をイベント化して楽しむ例の増加にも表れている。サイレント時代からトーキー時代に移った歴史を逆行するかのようである。映画のあり方が大きく変化する今、あらためて過去の映画館の音の歴史を手掛かりに、映画や映画館の音の文化を考えてみていただきたい。
(紹介文執筆者: 柴田 康太郎 / 2024年11月25日)
本の目次
I サイレント時代1:洋画上映と洋楽伴奏の発達
第1章 草創期の映画館に響いた音:映画興行の発達と音響実践の多様化
第2章 日本の映画観客は西洋音楽をどう聴いたか:洋画専門館における休憩奏楽と映画伴奏
第3章 暗闇のなかの弁士と楽士:グローバルな伴奏音楽とローカルな映画説明の交差
II サイレント時代2:邦画上映と音響実践の変容
第4章 日本映画はいかにして西洋音楽で伴奏されるようになったか:純映画劇運動と松竹キネマの実践
第5章 松平信博による映画音楽の作曲:小唄映画の流行と日活作曲部の周辺
第6章 日本映画における映画琵琶の展開:日本映画琵琶協会とその周辺
第7章 時代劇伴奏の折衷性:和洋合奏・選曲・新作伴奏曲
III トーキー時代:トーキー映画と音響実践の再編成
第8章 トーキー転換期の映画館と録音された音響:音楽メディアとしてのトーキー映画の興行
第9章 邦画トーキーと映画伴奏の再標準化:映画監督・作曲家・映画観客
第10章 トーキー転換期における語りの再編成:解説版トーキー/浪曲トーキー再考
第11章 日本映画におけるリアリズムと伴奏音楽無用論:深井史郎とその周辺
終章
関連情報
第4回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2023年)
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
第46回サントリー学芸賞〔社会・風俗部門〕 (サントリー学芸賞 2024年11月12日)
https://www.suntory.co.jp/news/article/14700-1.html
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書評:
片山杜秀 評「無声映画時代の知られざる豊穣さ!」 (文藝春秋 2024年10月9日)
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