東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

ネイビーの表紙、キリストの像

書籍名

キェルケゴール美学私考 イロニーと良心

著者名

木瀬 康太

判型など

240ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2024年2月29日

ISBN コード

978-4-7793-0737-9

出版社

北樹出版

出版社URL

書籍紹介ページ

学内図書館貸出状況(OPAC)

キェルケゴール美学私考

英語版ページ指定

英語ページを見る

おそらく読者の皆さんは高校の「世界史」や「倫理」の授業で、「実存主義の先駆者」として、デンマークの宗教的思想家セーレン・キェルケゴールの名前を聞いたことがあるだろう。彼は1813年に生まれ、生涯のほぼ全てを首都コペンハーゲンで過ごし、1855年に42歳の若さで亡くなった。彼の「実存」の思想は、当時のコペンハーゲンでは奇異なものと見なされて、真剣に受け取られることがほとんどなかった。その後ようやく20世紀になって第一次世界大戦後のヨーロッパで、彼の思想は、カール・バルトによる弁証法神学と、カール・ヤスパースやマルティン・ハイデガーによる実存哲学の台頭に伴って、「危機」の時代の思想として広く注目されるようになった。それはまさしくキェルケゴールの思想が、極度に文明化した現代社会で人々が抱える精神的な不安、虚しさ、疎外といった現象を、一世紀も前に鋭く分析、かつ予言していたからにほかならない。
 
このような、現代社会における精神的疎外を克服していくためには、どうすればよいのだろうか。本書の、そして筆者自身の根本的問題意識も、この点にある。キェルケゴールは、この克服のために、彼自身の精神的疎外を凝視し、徹底的に深く突き詰めていた。
 
この精神的疎外という現象を考察するためには、搾取や抑圧といった外部社会の矛盾にもっぱら原因を求めるマルクス主義の方法と、人間の内面のあり方に原因を求める「実存主義」の方法が、伝統的に存在する。だが日本ではキェルケゴールによる「実存主義」の方法は、従来は概して、人生論を語る通俗的議論に切り詰められがちであった。
 
本書はこの「実存主義」の方法を、「知」と「信仰」との関係という、ヨーロッパで恒常的に顧み続けられてきている観点から見直したものである。すなわち本書が注目したのは、概念による思考を押し進めて思考内容をより明晰判明にしていく人間の「反省」という「知」の営みが、同時にまた、思考主体の人間を現実の現象から乖離させて精神的疎外をももたらしかねない、という両義性である。そしてキェルケゴールは、「直接性」という感性的な要素に根ざした「信仰」を要請することで、その「反省」がもたらす精神的疎外を克服しようと試みたのである。
 
「反省」という「知」の営みは、概念と現象との間に隔たりを生む。その隔たりをキェルケゴールは「イロニー」と呼んで、精緻に分析している。他方で、「直接性」に根ざした「信仰」は、「良心」という足場を要求する。つまり彼によれば、概念による思考がもたらす抽象化のせいで現実から浮き立ちがちな「知」を、地に足がついたものにするのが「良心」なのである。このような「イロニー」と「良心」の協働を生み出そうとする思考の態度を、本書は「美学」と規定している。
 
美学は、18世紀のドイツの美学者バウムガルテンによって「感性的認識の学」と定義された。本書もこの定義に準拠して、上述のように、「反省」的思考のあり方を「直接性」と突き合わせて問う認識論の立場に立っている。そして、キリスト教思想としてのみ説明されがちだったキェルケゴール思想の刷新を、意欲的に試みるものである。
 

(紹介文執筆者: 木瀬 康太 / 2024年4月8日)

本の目次

序論 本書の研究視角と叙述方法
 
第一部 初期キェルケゴールの哲学的美学:イロニー論
 第一章 キェルケゴールの問題意識
 第二章 美学研究の開始
 第三章 イロニーについての知見の拡大過程
 第四章 様々な美学的考察-イロニー論との関連で-
 第五章 『イロニーの概念について』における疎外論と「宥和」論
 
中間考察
 
第二部 初期以後のキェルケゴールの神学的美学:良心論
 第六章 誤った方向をとった「反省」に抗して-キェルケゴールによるハイベア批判-
 第七章 イロニーと良心の協働-『愛のわざ』を中心に-
 
結語 信仰の光学としてのキェルケゴール美学-尊厳論への展望-
 
あとがき
参考文献一覧
索引

関連情報

受賞:
第4回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2023年)  
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
 
関連論文:
「行き過ぎた「反省」を撤収させるということ-キェルケゴールによるハイベア批判と「教養」の問題をめぐって-」 (『新キェルケゴール研究』第20号 pp.1-16 2022年5月)
https://doi.org/10.57316/kierkegaard.2022.20_1
 
「キェルケゴールにおける「直接性」と「反省」」 (『新キェルケゴール研究』第17号 pp.31-45 2019年4月)
https://doi.org/10.57316/kierkegaard.2019.17_31