欧米諸国に比べて難民認定率が低い日本は、しばしば「難民鎖国」と言われる。では、なぜ日本は難民政策をとるのだろうか。実は、日本においても諸外国においても、国家が難民保護に貢献する理由はあまり明らかにされていない。そこで、本書は、日本を事例に、この研究課題に取り組むために、戦後という長期的な分析の時間軸を設定し、日本政府の難民保護に関する意思決定過程を通時的に辿った。そして、戦後日本の難民保護の政策形成における特徴を明らかにし、これまで日本の難民研究で論じられてきたことを問い直し、欧州を中心に発展してきた移民研究と難民研究に対し、日本の文脈から新たな視座を提供することを試みた。
本書は、戦後日本の難民保護について、政治学的に分析した日本で初めての難民研究の学術書である。
これまで日本では、主に法学者や弁護士などの実務家が、日本の難民政策が米国などからの「外圧」を受けて発展してきたことを強調し、難民を受け入れようとしない日本政府の消極的な姿勢を批判しつつ、望ましい難民保護の在り方を追求してきた。しかし、法解釈や政策評価が盛んに行われる一方で、日本政府がどのように難民保護を捉え、どのような意思を政策に反映させてきたかは十分に明らかにされてこなかった。それは、難民研究という比較的新しい学際的な研究領域では、法学的な研究が盛んに行われている一方で、政治学的な研究蓄積がいまだに少ないということも影響している。そこで、本書は、政治学的な難民研究の発展に寄与することを目指した。
そもそも難民は、国民を念頭に置いた近代国家にとって例外的な存在である。庇護を求めてやってきた難民をなし崩し的に受け入れれば、国家の安定に影響が及ぶかもしれない。実際に、どんなにグローバル化が進展し、人権規範が国境を越えて普遍化しても、難民保護において国家は主権を手放そうとはしていない。このことは、国際人権規範による制約を受けつつも、国家がいかにして人の国際移動を管理しようとするのかについて議論を重ねている移民研究にも通じるものである。本書は、日本の難民保護の文脈からこの議論に参加した。
第2章から第5章では、日本における難民保護の主要な政策の転換期に着目した。そして、本書は、対外的なイメージ、ひいては外交的利益にかかわるときに、日本が戦略的に難民政策を転換させてきたことを明らかにした。また、その政策形成は、国内事情や国際人権規範の運用状況を踏まえ、段階的かつ戦略的に行われてきたことを示した。
その分析の過程では、戦後日本の難民保護の政策形成過程に一種の能動性も見出している。そして、この能動性をさらに高め、今後の日本の難民保護の在り方を追求していくために、本書は、出入国在留管理庁に難民保護に関する常設の有識者会議を設置し、政策評価制度を導入することを提言している。この意味で、本書は、難民保護において理論と実務の架け橋となりうる一冊である。
(紹介文執筆者: 土田 千愛 / 2024年5月22日)
本の目次
第1節 本書の問題意識
第2節 用語の説明
第3節 調査方法
第4節 分析の範囲
第5節 本書の構成
第1章 難民研究・移民研究と国境を越える人の移動
第1節 庇護と国家主権
第2節 国境を越える人の移動と国家主権
第3節 日本の難民研究
第4節 先行研究における課題と本書の位置づけ
第2章 難民保護の前史
第1節 単一民族国家形成の試み
第2節 外国人登録令の制定と出入国管理令の制定
第3節 出入国管理令における政治亡命者への対応
第4節 政治犯罪人と政治亡命者
第5節 出入国管理令改正の試み
第6節 政治亡命者の保護に向けて
考 察
第3章 インドシナ難民の保護から難民認定制度の成立へ
第1節 インドシナ難民の保護
第2節 「難民の地位に関する条約」への加入
第3節 難民認定制度の成立
考 察
第4章 難民認定制度の再検討
第1節 瀋陽総領事館事件と難民認定制度の見直し
第2節 新たな難民認定制度の成立
考 察
第5章 「送還を促進すべき者」と「保護すべき者」
第1節 送還に関する問題の変容
第2節 「送還停止効」の例外規定の創設
第3節 補完的保護に関して
考 察
終 章 日本の難民保護
第1節 日本の難民保護
第2節 難民研究・移民研究に対する学術的示唆
第3節 日本の難民研究に対する学術的示唆
第4節 政策提言
註
あとがき
参考文献
索引
関連情報
第4回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2023年)
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
著者特別寄稿:
土田千愛「なぜ日本は難民政策をとるのか」 (慶応義塾大学出版会|note 2024年3月7日)
https://note.com/keioup/n/n49c4c61183f8
書評:
山本哲史 評 (『図書新聞』第3638号 2024年5月4日)
https://toshoshimbun.com/product__detail?item=1714017974593x165604387696410620
関連論文:
土田千愛「出入国管理に関する法案と論争 (1969年から1973年):『生権力』の視座で」 (『The Basis:武蔵野大学教養教育リサーチセンター紀要』10号 pp. 247-262 2020年)
https://mu.repo.nii.ac.jp/records/1227
土田千愛「難民条約加入前の難民保護に対する日本政府のアイディアの変容――難民保護に関する政治過程の分析より」 (『移民政策研究』12号 pp. 112-128 2020年)
https://iminseisaku.org/top/pdf/journal/012/012_112.pdf
学会・研究会:
土田千愛「日本における庇護希望者の出入国管理―難民保護の政策形成過程分析より」 (政治社会学会移民難民部会第1回公開セミナー 2024年2月28日)
土田千愛「日本の難民保護―出入国管理政策の戦後史」 (第183回多文化共創フォーラム 2024年3月2日)