東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

淡いピンクと緑の表紙

書籍名

遺伝について家族と話す 遺伝性乳がん卵巣がん症候群のリスク告知

著者名

李 怡然

判型など

280ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2024年3月30日

ISBN コード

9784779517846

出版社

ナカニシヤ出版

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遺伝について家族と話す

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がんは環境要因と遺伝要因などが複雑に組み合わさることで発生する病気ですが、うち5-10%程度は、生まれつきの体質 (遺伝子の変化) が発症に大きく関与すると分かっています。本書で取り上げる「遺伝性乳がん卵巣がん症候群 (HBOC)」も、このような遺伝性のがんの一つです。
 
本書では、HBOCだと診断された、またはその可能性のある患者さんとご家族が、どのように発症リスクを受け止め、家族の中でいかなるコミュニケーションが行われるのか、という問いを設定しました。日本で、このようなテーマを主題にまとめた本はなかったことから、インタビュー調査を通して多くの当事者たちの声を集め、その多様性に迫ろうとしました。
 
HBOCに限らず、親から子に遺伝子の変化が受け継がれ得る遺伝性の病気の場合、家族に話すことの困難さが共通して語られてきました。親から病名を打ち明けられずに育ち、成人後に知ってショックを受けたという子の経験談もあれば、患者として家族にどう伝えればよいか悩む、などの困り事もよく聞かれます。
 
本書では、遺伝にまつわる家族内でのコミュニケーションを、「リスク告知」と名付けました。「病名・病状告知」や「予後 (余命) 告知」は、医療者から、診断や今後の見通しが確定した患者に向けて行われます。それに対し、「リスク告知」は、現時点では自覚症状がなく、見かけ上は「健康」な相手に対し、予測された将来の発症の確率を伝えることに特徴があります。
 
とりわけHBOCは、早期にリスクを知り、さらに未発症の血縁者にも広く情報共有することが、医学のガイドラインでは強く推奨されています。早期発見につながる、効果的な治療薬がある、予防的に臓器の切除ができる、など医学的なベネフィットが大きいと判断されるからです。
 
それに対し、情報共有という役割期待を寄せられた患者の側は、どう行動するでしょうか。医学的な観点は要素の一つにすぎず、重視する価値観や伝える相手の性格・状態の見積もり、相手との関係性に応じて、コミュニケーションのあり方はずっと複雑で多様になりえることが、当事者たちの経験から浮かび上がってきます。
 
本書では、患者たちは遺伝学的検査を受けてリスクを「知る」こと、予防的に乳房や卵巣を切除することを、どう選択し受け止めたのか (第5章)、親から子へいかなる意図のもと何を伝えようとするのか、伝えないのか (第6章)、きょうだいや親族に伝える際にはどのような葛藤や困難が生じるのか (第7章) を明らかにしていきます。
 
最後に。病気になってから、ではなく病気になる前から発症リスクを予測し、予防的に介入を目指す医療の戦略は、認知症や糖尿病、循環器疾患をはじめ様々な疾患へと拡大しています。「知る」こと、医学的に対処できることが増えることは、私たちの生き方にどんな変化をもたらすのでしょうか。
 
健康や病いをめぐる人々の理解と行動、家族内で話すというテーマ自体に関心がある読者にも、気付きとなることを願います。
 

(紹介文執筆者: 李 怡然 / 2024年8月7日)

本の目次

まえがき
用語集
 
第I部 遺伝性疾患について知る/知らないでいること、伝えること
第1章 家族内での遺伝をめぐるコミュニケーション
 1 遺伝性のがんについて家族と情報共有することはなぜ重要視されているのか
 2 本書のテーマと問い
 
第2章 遺伝/ゲノム医療の専門職の規範はどう変わってきたか
 1 「知らないでいる権利」を尊重する規範の成立
 2 対処可能性に基づく「知る」ことの推奨と規範のゆらぎ
 3 日本におけるがんゲノム医療の課題:二次的所見をどう取り扱うか
 4 血縁者との情報共有のガイドライン
 5 小  括
Column1 遺伝/ゲノム医療に関わる専門職
 
第3章 患者・家族の「告知」をめぐる先行研究
 1 遺伝性疾患の家族内のコミュニケーションに関する研究
 2 「告知」という研究枠組み
 3 本書における調査課題と対象の設定
Column2 医療者は患者の同意なく血縁者に告知してよいのか
 
第II部 HBOC患者と家族へのインタビュー調査
第4章 調査の対象と概要
 1 遺伝性乳がん卵巣がん症候群 (HBOC) とは何か
 2 調査の目的
 3 調査方法
 4 調査結果の章構成
 
第5章 遺伝学的検査とリスク低減手術にまつわる意思決定
 1 調査協力者の属性
 2 遺伝学的検査の受検に至るまで
 3 検査結果を「知る」ことのインパクト
 4 遺伝学的検査を受検しない理由
 5 リスク低減手術の意思決定
 6 小  括
 
第6章 親から子へのリスク告知
 1 調査協力者の属性
 2 遺伝について伝えるステップと役割の認識
 3 遺伝について伝える:子の発症前検査への態度に着目して
 4 遺伝について伝えない
 5 遺伝について伝えられた子の受け止め
 6 小  括
 
第7章 血縁者・親族へのリスク告知
 1 調査協力者の属性
 2 伝えることへの責任感
 3 伝えることに伴うジレンマ
 4 小  括
 
第8章 リスク告知のパターンと多様な価値観
 1 遺伝性疾患のリスク告知のモデル
 2 告知の意思決定に関わる要素
 3 告知の困難さと乗り越える戦略
 4 親としての子の結婚・出産への気がかり
 5 家族内のピアとして子を支える
 6 医療者の告知における関わりの限定と可能性
 
第9章 ゲノム医療の時代を生きる当事者=私たち
 1 臨床の実践や支援への示唆
 2 予測・予防が求められる社会の「リスク告知」
 
あとがき
Abstract

関連情報

受賞:
第4回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2023年)  
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
 
関連論文:
李怡然「家族内における遺伝性疾患の「リスク告知」――疾患横断的な展開へ向けて」 (『保健医療社会学論集』30巻1号pp.65-75 2019年)
https://doi.org/10.18918/jshms.30.1_65
 
李怡然、武藤香織「ゲノム医療時代における「知らないでいる権利」」 (『保健医療社会学論集』29巻1号 pp.72-82 2018年、共著)
https://doi.org/10.18918/jshms.29.1_72