東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

白い表紙に赤と藍色のジオメトリックな模様

書籍名

正義・平等・責任 平等主義的正義論の新たなる展開

著者名

井上 彰

判型など

256ページ、A5判、上製

言語

日本語

発行年月日

2017年6月23日

ISBN コード

978-4-00-061200-5

出版社

岩波書店

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正義・平等・責任

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本書は、政治哲学において新たな平等主義的正義論を構築する試みである。平等主義的正義論は、20世紀を代表する政治哲学者であるジョン・ロールズの主著『正義論』(1971年) が著名だが、それ以前以後にも政治哲学において、平等をめぐって、あるいは正義をめぐって活発な議論が展開されてきた。
 
そうした議論のなかに、1980年代以降、有力視されてきた議論がある。運の平等論 (luck egalitarianism) である。運の平等論は、選択の帰結に対し、コントロールしえない運の要素なり影響なりの関与を、可能な限り取り除くことを正義の要諦とする考え方である。この立場は、生まれつきの能力の違いや社会的地位の違いが原因での不平等には対応しても、ギャンブルのように自らの選択でまねいた格差には対応すべきでないとする点で、一見するとわれわれの直観に適ったものである。しかし運の平等論についてはこれまでに、大きく二つの問題点が指摘されてきた。
 
第一に運の平等論は、自発的選択によって生存の危機に瀕するような帰結をまねこうとも、その不平等な結果には責任があるとしてしまう。1990年代半ば以降、このような過酷な責任追求は平等主義とは相容れない、とする運の平等論批判が提起されてきた。
 
第二に運の平等論は、「なぜ平等なのか」という、平等を基軸とする根拠について必ずしも明示してはこなかった。運の要素なり影響なりを可能な限り排除する再分配が、いかなる規範性によって支えられるのかが不分明なのだ。
 
本書は、この二つの問題点を克服しうる責任感応的な平等主義的正義論を提示することを課題とするものである。第一の問題点は、合理的能力 (rational capacities) に応じた選択責任を人びとに割り当てる選択責任の構想によって克服しうるとした (本書第5章)。われわれの合理的能力は完全なものではありえない。このことは、認知心理学や行動経済学の成果によって経験的にも裏付けられている。それゆえ、合理的能力に基づく選択責任の正義構想は、運の平等論のような責任追及の過酷さとは無縁である。
 
第二の問題点は、平等に内在的価値があることを示すことで克服しうるとした (本書第4章)。その価値とは、われわれの世界に根ざしたコンテクストを超えて成立する、純粋理念としての等しい関係性を謳う宇宙的価値である。この「宇宙的価値としての平等」は突拍子もない理念にみえるかもしれないが、なぜ平等が正義の構想を展開するうえでの基礎となるのかを説明してくれるものである。実際、正義の構想が選択責任の過酷な追求を推し進めるものとならないように求めるのが、この平等理念の規範的特徴でもある。
 
私はこれにより、一方で巷にはびこる自己責任言説とは異なる、他方で無責任の体系を許さない平等主義的正義論を提示しえたと考えている。そういう意味で、責任の捉え違いがみられる日本社会に一石を投じる本になっていると、著者として確信している。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 井上 彰 / 2017)

本の目次

序論 平等主義的正義論の新たなる展開に向けて
第1章 分析的平等論とロールズ『正義論』
第2章 ドゥオーキンの平等主義的正義論――その批判的検討
第3章 左派リバタリアニズムの正義論――その意義と限界
第4章 宇宙的価値としての平等――平等主義的正義論の価値論的基礎
第5章 選択責任の両立論的構想――正義原理に向けて
結論
 

関連情報

書評:
『正義・平等・責任』井上彰 (評: 苅部 直) 読売新聞 (2017年8月27日)
http://www.yomiuri.co.jp/life/book/review/20170828-OYT8T50034.html
 

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