ケインズとハイエクは、一般にはそれぞれが景気対策としての財政・金融といったマクロ経済政策による市場への介入を是とするか否とするかを唱えて対立したライバルとみなされている。またもう少し現代の主流派経済学に通じた言い方では、両者の相違は異時点間の資源配分にかんし合理的な選択を行うというミクロ的な基礎付けを無視するか直視するかととらえられることもある。さらには両者の資本理論と金融政策を知る人であれば、不況時に裁量的な金融緩和を認めるか金本位制のルールを厳守し企業の閉鎖も看過すべきかで対立したと言うかもしれない。
けれどもそれらは両者の一時期の議論に焦点を当てた理解であったり、経済人の合理的選択という新古典派経済学に過度に引きつけた解釈である。本書はそうした観点から、ケインズとハイエクがそれぞれ初期から晩年までにたどった思想的な挫折や転換といった経緯を辿り返し、そこから共通点と相違点をさぐり、「自由」をどうとらえたかを論じるものである。
ケインズとハイエクにとって、容認する「政府の大きさ」は副次的な問題である。両者には、不確実な将来に向けて貨幣を投資ないし消費しようとする意思決定をマクロで論じ、景気変動を裁量的な政策で平準化させようとしたケインズと、ミクロで扱おうとして市場経済だけでは自律性を論証できないことから慣習法の必要性を悟った後半生のハイエクというように、市場経済をマクロでとらえるかミクロから理解するかという違いがある。ハイエクからすれば、「マクロ」を市場の分析単位とすることそのものが市場への介入の第一歩である。
彼らはともに将来を新古典派のようにリスクではなく不確実性でとらえ、それゆえに物々交換ではなく貨幣が媒介する市場経済を考察した。貨幣で商品は買えるが、商品は必ず売れるとは限らない。将来に何が起きるか分からないという意味での不確実性が高まると、貨幣を売れるかどうか分からない商品と交換しようとする人が少なくなるのが「流動性の罠」であり、ケインズはそうした危機において政府が財政政策によって商品を購入すべきだとした。一方ハイエクは、金本位制、後には民間銀行が通貨を競争的に発行するというルールおよび慣習法のもとでは、そもそも流動性の罠は生じないとした。両者は対立したというよりも、ケインズは市場経済を危機から、ハイエクは平時から分析したという解釈である。
ケインズとハイエクは社会政策全般を様々に説いているが、それは以上のような市場経済像を前提とするもので、そこから慣習と変化、政策と自由のあるべき組み合わせ方、すなわち保守主義・自由主義・民主主義を展望している。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 松原 隆一郎 / 2017)
本の目次
第一部 伝記―二つの人生とまなざしの交錯―
第一章 交遊と衝突
第二部 不況はなぜ起きるか―二つの反主流派経済学―
第二章 出発点としての「経済学」―「貨幣改革論」から「価格と生産」まで
第三章 ケインズとハイエクの衝突―書評論争をめぐって
第四章 論争後の軌跡―「一般理論」と主観主義へ
第三部 二つの自由論―進化と危機
第五章 自由の条件と終焉―「自由の条件」と「自由放任の終焉」
第六章 通貨機構論における対立―「国家的自給」と「貨幣発行自由化論」
第七章 複雑性・不確実性と人間―慣行と模倣をめぐって
第八章 保守主義をどう評価するか―「便宜」と「法」
第九章 二人を分かつもの―秩序と危機の認識
あとがき