この本は、日本の中世前期における治安維持のあり方を通史として概論したものである。専門家以外でも読めるよう、史料は基本的に現代語訳としている。
ところで、過去を明らかにすることの意義の一つは、現在とは異なる過去の存在を知り、それがどのように変化した上に現在があるのかを知ることである。歴史を学ぶことは、現在を当たり前と考えず、過去から未来への一段階として位置づけることであり、過去と未来に対して責任をもって現在を生きていくために、必要不可欠なことである。
さて、従来の研究では、武士の政権である鎌倉幕府が軍事機能を担ったことは、半ば自明視され、特に治安維持の実態や段階差は十分に研究されていなかった。そこでこの本では、治安維持が幕府の義務となってゆく過程や背景、幕府による治安維持体制の整備過程、治安維持における幕府の達成と限界を具体的に明らかにした。
そして、鎌倉幕府の成立を、正当な物理的暴力行使の権利が国家によって独占され、治安維持が各種の権力者や集団による権利・利権ではなく、国家の義務と考えられている近代社会へと向かう大きな歴史的過程の最初の一歩として位置づけた。
鎌倉幕府は朝廷に対する反乱軍として出発したため、治承・寿永の内乱の中で、朝廷の意向にかかわらず、自らの判断と軍事力により戦争を遂行する能力と実績を獲得した。
内乱が終結すると、幕府と朝廷は、幕府を既存の社会の枠組みの中に位置づける必要に迫られ、建久2年 (1191)、幕府は全国の治安維持の担い手として位置づけられた。これは朝廷と幕府との政治的妥協の結果であったが、ここに全国の治安維持は、幕府にとってその存在の正当化の根拠、すなわち存在意義となった。幕府が後に「悪党」の取り締まりを推進し、また、推進せざるを得なかった理由はここに存在する。
幕府は、地頭の設置された地頭領と、地頭が設置されていない本所一円地とを区別し、朝廷・本所との摩擦を避けながら、治安維持の体制を整えてゆく。そして、弘長年間 (1261~64) 以降、幕府は、それまで管轄外であった本所一円地の治安維持にも関与するようになる。その最大の理由は、荘園制の動揺である。荘園制が展開する中で、荘園の権益をめぐる利害関係が錯綜し、さまざまな勢力が荘園の枠組みを超えて結びつくようになり、個別の荘園領主による支配が貫徹しなくなるのである。また、モンゴル襲来に際して、幕府が本所一円地の荘園領主にも、祈祷や人員・物資の提供を要請した結果、幕府は荘園領主から要請に応じられる条件整備を迫られた。
こうして幕府は、荘園の権益をめぐるあらゆる武力衝突の解決を求められることとなった。その際、対立する両者は、幕府の政策を踏まえ、相手を「悪党」として訴えることで、幕府の武力を自らの権益確保に利用しようとした。
こうして、幕府による治安維持は「武家役」として、その義務と認識されるようになったが、それを支える武力は御家人のみに限られており、幕府は十分な対応を行うことができないままに滅亡を迎える。
(紹介文執筆者: 史料編纂所 助教 西田 友広 / 2017)
本の目次
第一章 鎌倉幕府の成立と内乱後の新体制
1 治承・寿永内乱以前の治安維持体制
2 鎌倉幕府の成立
3 内乱後の新体制と朝廷
4 内乱後の新体制と鎌倉幕府
第二章 鎌倉幕府の成長と治安維持体制
1 地頭のいる土地、いない土地
2 幕府の治安維持体制の整備
3 守護と守護所
第三章 悪党召し捕りの構造
1 弘長の治安維持政策強化
2 モンゴル襲来と悪党対策の強化
3 権益争いの発生と外部勢力
4 悪党召し捕りの構造の成立
第四章 悪党召し捕りの流れ
1 悪党は誰だ
2 幕府の審理
3 御家人の出動
4 悪党の処分
第五章 悪党召し捕りの時代
1 相次ぐ悪党鎮圧令
2 錯綜する社会状況
3 文保・元応の悪党召し捕り
4 悪党の実像
第六章 悪党召し捕りの行方
1 鎌倉幕府の到達点
2 鎌倉幕府の限界
3 建武政権から室町幕府へ
おわりに 変化する治安維持体制
関連情報
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/faculty/gyoseki_tomohiro.html
書評
『週刊読書人』2017年5月12日 評者 衣川仁 (徳島大学教授)
http://dokushojin.com/article.html?i=1336